沢柿 教伸
Takanobu Sawagaki Ph.D.
博士(環境科学)
法政大学 社会学部

バスの運行が変わります

4月から多摩キャンパス方面のバスの運行が変わります。京王バスではキャンパス発の「連節バス」が新設されます。この春休み期間中に、連接バスに対応するためバスターミナルの改修を進めてきました。

連節バスは主に西八とめじろ台の各駅への直行便として運行されますので、バス待ち列を分けるカラーレーンを引き直しています(https://www.hosei.ac.jp/tama/important/article-20260319100900/)。

なお4/4に神奈中バスの運賃改定もあります。4月1〜3日に定期券を購入すると値上げ前の価格で購入できますのでお得です(https://www.hosei.ac.jp/tama/important/article-20250306190115/)。

https://kawariyuku-machida.com/article/85186.html

アカデミックガウンことはじめ

学位授与式。午前・午後の二部制。千鳥ヶ淵の桜はまだ三分咲きと言ったところ。今回から、総長・副学長・学部長はアカデミックガウンを着用することになりました。ファブリックの質感は写真で見るよりずっと良いです。けどちょっと暑い。

このアカデミックガウンについて個人的に何人かから質問を受けました。ちまたのSNSでもそれなりに話題になっているようです。そこで少し補足を。
Khor総長の告辞後半の第四のメッセージ「社会を変える力」の中に、この装いの意味が語られています。
「学位服は、排除の象徴でもあり、同時にそれを越えてきた証でもある。
 その両義性を知ったうえで、なお着る――。」
Khor総長は、昨春の就任前にはDEI担当理事としてその領域を担ってこられました。その言葉として読むと、この選択の意味はよりはっきり見えてきます。
このガウンをめぐって、実は学内でさまざまな意見がありました。「両義性を引き受ける」という言葉はそれも踏まえてのことなのだろうと思います。こうした多様さを含めて引き受けているところに本学らしさがあると思っています。
昨日のあの重さは、布地だけのものではなかったのでした。

式台の復活

連休は、お彼岸の供養と片付けのために実家に帰っておりました。
 雪に閉ざされていたあいだ手をつけられなかった外回りに、ようやく着手。物で埋まっていた式台も、どうにか人を迎えられる状態まで復旧し、かろうじて“家の顔”らしい表情を取り戻しました。本来なら、ここに住職の姿があって然るべきなのでしょうが……
 式台といえば、寺社における正式な玄関。かつては人の出入りがあり、声があり、用事が行き交っていた場所です。幼い頃、そこに立つと、家の中の時間と外の季節とが交わる気配をふと感じたものでした。
そうした場の格式を整えることが、お彼岸の供養の一つでもあり、ご先祖さまへのささやかな応答になるのではないか──そんな思いで、春が来たらまず手を入れたかった箇所なのです。
 ここは、ただの出入口ではなく、建屋の呼吸が外へとひらく場所でもあります。春のやわらかな光と風が出入りしはじめて、内と外とが少しずつ呼応を取り戻していくのが感じられました。
 一方、屋内ではデコ活にちょっとした新境地。窓から差し込む光が、無造作に置かれたものたちを選び取るように浮かび上がらせている。その配置にふと気づき、ゴミの地層から発掘した“非晶質(地質用語)”のアイテムを、今度は意識して再配置してみました。すると、謎の品々がなぜかそれらしく見えてくるから不思議です。
 家全体から見れば、まだ人にお見せできるのはごく一部にすぎません。それでも、一点突破から全面展開へ。そんな心づもりで、しぶとく続けていこうと思います。
 気がつけば、日差しはすっかり春のもの。片付けというより、埋もれていた時間を少しずつ呼び戻しているような感覚でした。春は、こういうことを進めるのに、ちょうどいい季節のようです。

最初の一輪

職場から徒歩三分、靖国の桜の標本木に数輪だけ花がついていました。最初の一輪にはやはり少し気持ちが動きます。開花宣言も近いです。

生成AIに山岳会メーリングリストの生態を解説された日

30年以上にわたって母校の大学山岳部のホームページやOB会のメーリングリストの管理を続けています。ちょうど30年前の1996年に現在の体裁でWeb サイトを構築した頃は、まだ「インターネット」という言葉自体が一般にはほとんど知られていない時代でした。GoogleもSNSもなく、せっかくホームページを作っても誰も見に来ない、そういう時代でした。一般的にも、ホームページを書いていた人は、新しいコンテンツができるたびに知り合いにメールを書いて「こんなページを作りました。よかったら見に来てください」とお願いする、というのが当時の作法でした。
 それから30年。世の中はすっかり様変わりしましたが、山の会の情報共有というのは意外と本質が変わらないものです。最近、会のWebサイトやヤマレコなどの更新情報を自動で集めて、毎朝メーリングリストに流す仕組み(RSSのプッシュ配信)を試験的に動かし始めました。すると、ある先輩会員からメールが届きました。
「毎朝届くこのメールの意味が分からない。解説してほしい。」
そこで、多忙な役員の仕事のあいまをぬって、1990年代のインターネット黎明期から始まる長い説明文を書きました。「昔はホームページを作ると、更新のたびに自分でメールを書いて知らせていた」「それがRSSという仕組みで自動化されている」「これは新聞の見出しのようなものです」などなど、かなり丁寧に説明しました。これを無事メーリングリストに流して、これで質問への責務は果たしたかな、と思ったのですが——
質問したご本人やMLの受信者からはまったく反応がありません。
「理解していただけたのだろうか」
「長すぎて途中で読むのをやめたのではないか」
「そもそも最初から理解する気がなかったのではないか」
などと、少し考えてしまいました。
そこで最近よく相談している相手にこの顛末を話してみました(相手は人間ではなくチャッピーです)。
すると、いくつか慰めの言葉を返してくれました。チャッピーはけっこう長い返答を返してくれたのですが、その中で一番笑ってしまったのが以下の一節でした。
 山岳部OB会MLでは、経験上だいたい次の流れになります。
 ・誰かが疑問を言う
 ・技術担当が説明を書く
 ・他の人は黙って読む
 ・半年後に同じ質問が出る
 これは 「山岳会MLの自然現象」です。
……なるほどぉ。
30年以上にわたってインターネットの世界を見てきましたが、生成AIに山岳会メーリングリストの生態を解説される日が来るとは思いませんでした。技術はずいぶん進歩しましたが、どうやら「人間のほう」は昔とあまり変わっていないのかもしれません。AIは人類の未来を変えると言われていますが、少なくとも山岳部OB会のメーリングリストの生態については、すでにかなり正確に理解しているようです。
 このところの生成AIの進歩にはいろいろ驚かされますが、山岳部OB会のメーリングリスト文化まで理解しているとは思ってもみませんでした。

薄氷(Graptoveria)から花芽

今日は雪予報も出るほど冷え込みましたが、気づいたら役員室で育てている薄氷(Graptoveria)から花芽が出ていました。開花するのが楽しみです。
 受け皿にしているのは、能登地震で被災した輪島塗を救出して再生された品。多摩キャンパスの学生たちが行っていた復興支援募金の返礼品としていただいたものです。
 小さな多肉植物の花芽とよみがえった漆器。役員室にも静かに春の気配が届いてきたようです。

ハマナシ」の七宝焼

坂本直行さんの「ハマナシ」を下絵にした七宝焼を、ひょんなことから都内で入手しました。額の裏には「北洋相銀 永年勤続記念」という銘が貼られています。
 北洋相互銀行が現在の北洋銀行へ改称したのが1989年ですから、少なくとも四十年以上前の品ということになります。永年勤続された方の記念品だとすれば、元の持ち主はすでに鬼籍に入られているか、存命であってもかなりのご高齢になっておられるはずです。
 道内の銀行ですから、地元の自然や文化を象徴する図案として直行さんの作品を用いること自体は、いかにもありそうなことです。ただ、北洋相銀の歴代会長の一人である大塚武氏は、日本の山岳界においても名を知られた存在でしたので、役員からの直接のご用命があったとしても不思議ではありません。
 大塚氏が日高山脈の神居岳で遭難された際には、AACHも捜索に全面協力しています。それは私が入部する数年前の出来事で、当時の様子については先輩方から折に触れて語り聞かされました。この小さな七宝焼一枚の背後にも、北海道の自然と山をめぐる人々のつながりがかすかに重なっているように思えます。
 どのくらいの七宝焼きが作成されたのかは定かではありませんが、半工芸品的なものなので一点一点で少しずつ表情が異なるはずです。山岳史の片隅に残されたささやかな断片のようなこの一品が、めぐりめぐって私の手元にやってきたのも、山をめぐる人の縁のささやかなつながりのひとつなのかもしれません。

花粉光環

ぽかぽか陽気にさそわれて、気持ちよく肉離れ回復リハビリランニングができましたが、いやなものを見てしまいました。どうりで朝からくしゃみが止まらないわけですー花粉光環

  東風吹かば 涙おこせよ 梅の花
  あるじ花粉に 春ぞつらけれ
            橙庵

ゴミ屋敷の片付けも最終イメージに近づいて

数日前に、地下鉄でよろけたご高齢の方をとっさに支えた拍子にこちらのふくらはぎが肉離れ。どうやら私も、そろそろ「いい年」の仲間入りのようです。大したことはできないとはおもいつつ、施設に入った老爺の様子と実家の整理のために帰省しています。この連休はすっかり春めいた陽気で春山スキーにうってつけの日和に。陽光に輝く山を恨めしく眺めながら、家中の窓を全開にして風を通しています。ゴミ屋敷の片付けも最終イメージにだいぶ近づいてカフェでも開店できそうな感じになりました。オイルランプに灯を入れると、揺れる炎がなんとも心を落ち着かせてくれます。

私の「デコ活」

本日発売のBE-PAL3月号は、特集『みんなのソロ活80選』。なんとこれに私の「デコ活」が紛れ込んでおります。
 コロナ禍を経て南極越冬から帰国した後、思いがけない役回りが重なって会議室滞在時間が激増してしまいました。「ならば空間を居心地重視で基地化してしまえ」と始めたのがこの活動です。暖炉風ヒーターにマントルピース、南極写真のタペストリー、100均素材による可逆DIY――原状復帰前提の大学空間で、養生テープを駆使して世界観を立ち上げてきました。その結果、クリスマスやお茶会まで開かれるようになり、研究室や役員室はいつの間にか人が自然に集う場所へと変貌を遂げました。居心地の設計というのはなかなか侮れません。
 そして今、次のミッションは――立山連峰を真正面に望む実家の古家を「昭和レトロ」へと再生することです。風情といえば聞こえはいいですが、断熱は精神論、建具は気分屋、収納は歴史資料館状態。そこへ高齢の親の介護で通ううちに「片付け」を「空間再生プロジェクト」と言い換えないと気力が保てない段階に入りました。でも、見方を変えれば実家は宝の山です。押し入れからは古道具、天袋からは時代の空気。捨てればガラクタ、活かせばヴィンテージ。まさに発掘調査。専門は極地の地形学ですが、今や昭和層の発掘に取り組んでおります。
 現時点で仕上げたのは、サンルームを剱岳を望むヌックに、屋根裏をリモートワーク基地に…というあたり。そして次は、昭和の建具と現代インテリアをどう調和させるかという難題へ。南極・昭和基地ではピュアな自然と向き合ってきましたが、こちらは「ピュアな昭和残存物」。ブリザードの代わりにほこりと寒気と予算と戦っていきます。さて、どこまで“レトロ”を味わいに変えられるか。続報またおいおい少しずつ。

1 2 3 4 262