地名問題と地理屋の意義
今朝の道新に,「アイヌ語名変え意味消失 国土地理院地形図の7河川で」という記事.AACHでも数年前から指摘してきたことがようやく取り上げられた.ホームページ上のコメント以外にも,メーリングリストなどで活発に議論や問題指摘があったことも付け加えておく.
地方自治体の合併で旧来の行政区名が失われつつあるけれども,河川はそれを越えた存在である.また,地名は歴史や文化もしょっているものであるし,世代を超えた共通認識メタファーでもある.
国土地理院は「地元自治体の申請がない限り、地名の変更はできない」と言っているけれども,こと地名に関しては自治体の権限がこれほどに大きいということに驚きを感じる.それだけに,自治体の責任は大きい.地元とは市町村レベルなのか都道府県レベルなのか,よくわからないところもあるけれど,そういう垣根も取り払って,責任転嫁・たらい回しをせず,積極的に正確な地名調査に乗り出すべきであろうと思う.北海道の場合はアイヌ語との関係もあって,事情はさらに複雑だけれど,地図化の歴史は和人の入植後の百数十年に限定できるから,むしろやりやすいハズだとも思う.
そういう地理的素養を持った職員が自治体にいないとすれば,河川管理に関する工学系に偏った日本の行政の文化度は低いと言わざるを得ない.翻って人材輩出機関としての北大をみてみると,北海道というフロンティアに直面してきたわりには,そもそも「地理学」という名称を関する部局が学科レベルで北大に存在したことは,わたしの知る限りこれまで一度もない.北大はその発足の経緯からして,開拓に関する実学を重んじてきたため,大英帝国的な地理学を教える学部が作られなかったのであろう.
地下資源開発とのからみで,北大の地質学が盛隆し多数の人材を輩出してきたという側面はあるものの,実際のところ,北海道に関する純地理学的な研究は,本州の大学の研究者によって実施されてきたという面は否定できないと思う.
道内の地元としてAACHがその肩代わりを担ってきた,というと言い過ぎ・自画自賛しすぎのところもあるだろうけれど,AACH内での議論を見ていると,あながちはずれでもないかな,とも思う.
今や,全国的に見ても,地理学がはやらないのか,地理学を標榜する大学はどんどん減っている.東大ですらもう地理学を冠する部局はない.それに代わってあちこちに出てきているのが,国際・環境・地域システム・都市研究などといった名称の学科だ.
とはいえ,これらの新名称領域を支えているのは,物理学に数学が必須なように,やっぱり地理学だろうと思う.以前,地理学には「–logy」がつかないので学問ではない,と揶揄されたことがあったけれど,「philosophy 」にしても「mathematics」にしても,メタ領域の学問にはことさら「–logy」をつける必要はないのである.だからといって,日本の地理学が安泰だとは思っていないのだけれど...
最近,こういうメタレベルの重要性(というか基礎固め)が軽視されているがゆえに引き起こされる問題が多いように思えて仕方がない.