柿の「なり年」と「裏年」
そろそろ9月も終わり。大学の役員室フロアも少しずつ秋仕様に衣替えです。季節ごとに飾りが変わるので、記録も兼ねていつもの場所から定点観測の一枚です。
一方、しばらく帰省できていない富山の実家については、ときどき様子を見てもらっている従兄弟から現状報告の写真が何枚か送られてきました。気になったのが、家の横の大きな柿の木。昨年は枝がしなるほどの豊作だったのに、今年は見事なくらい実がひとつも付いていません。柿には「なり年」と「裏年」があるといいますから、典型的な隔年結果なのかもしれません。ただ、昨年の写真と比べると、今年は葉の付き方まで少し寂しいように見えるのが気になります。
父が元気だったころには脚立をかけて実を収穫していましたが、今となっては剪定も収穫もなかなか手が回りません。実がなればなったで、最近は熊を呼び寄せる心配もしなければならないご時世です。長年、実家の秋を知らせてくれた柿の木ですが、そろそろ伐ることも考えなければならないのかもしれません。
東京では秋デコをととのえつつ、実家の柿の木の行く末を考える。そんな9月の終わりです。
一方、しばらく帰省できていない富山の実家については、ときどき様子を見てもらっている従兄弟から現状報告の写真が何枚か送られてきました。気になったのが、家の横の大きな柿の木。昨年は枝がしなるほどの豊作だったのに、今年は見事なくらい実がひとつも付いていません。柿には「なり年」と「裏年」があるといいますから、典型的な隔年結果なのかもしれません。ただ、昨年の写真と比べると、今年は葉の付き方まで少し寂しいように見えるのが気になります。
父が元気だったころには脚立をかけて実を収穫していましたが、今となっては剪定も収穫もなかなか手が回りません。実がなればなったで、最近は熊を呼び寄せる心配もしなければならないご時世です。長年、実家の秋を知らせてくれた柿の木ですが、そろそろ伐ることも考えなければならないのかもしれません。
東京では秋デコをととのえつつ、実家の柿の木の行く末を考える。そんな9月の終わりです。