帰国してすぐに買った本

帰国してすぐに買った十数冊の本のうち、真っ先に読み始めたのがこの2冊。なかなかまとまった時間がとれずにいたところ、この週末でようやく読了した。「なんともやるせない」というのが両者に共通した読後感。南極越冬直後に読むのではなくてもっと精神的に安定してからのほうが良かったかも、と、今現在、胸の中のザワつきが心地悪くてちょっと後悔しているところ。
 松本雪崩裁判のほうは、若林先生がいう「江戸時代の雪崩知識」の犠牲になられた方々の思いを、そしてその人間模様をこれでようやく知ることになった。筆者が「20年遅れた近代雪崩学との出会い」と後悔するその思いの反対側に、雪氷学会の調査チームやASSHの活動、そして2017年に高校生らが犠牲になった那須雪崩事故にも関係してきた今の私の「30年越しの無力感」が、彼岸の鏡映のように存在する。それがこちらの本のほうの「やるせなさ」。


 この本の核心部分でもある雪崩学の本邦における近代化には、先般他界された若林先生をはじめとする北大勢の研究と啓発活動があり、私もその流れの中に少なからず身を投じてきた。東京に出てきた数年後にはもう、某都内私大山岳部が起こした雪崩死亡事故の相談が寄せられたり那須雪崩事故があったりして、古巣北海道との連携を強めながら、札幌を離れても雪崩事故防止にむけた啓発活動を継続してきた。遺族弁護団に協力したこともあるし、学術事故調査団の面々にも旧知の仲間が多い。
 それゆえに、研究者による事故調査が雪氷現象の解明にばかり終始して原因究明に至る人為的要素にまで踏み込んでいない、ということへのもどかしさは本書と同様にいつも感じてきたことでもあるし、「予測不能」「自然災害」という行政側の姿勢が旧態依然として松本雪崩裁判以後も繰り返されていることに無力感も感じてきていたところである。そりゃ「まったく同じことが繰り返されている」と思われてしまうのも無理はないよなぁ、と、この本の結論にはまるっきり頷いてしまうのである。そして最後には、本邦ではまだ大半がこの程度の認知度なのか、と無力感にもさいなまれてしまうのである(北海道は日本ばなれしている別世界なのかもしれない)。
 一方、ベルジカ号のほうは、南極でのはじめての越冬ということで有名な探検隊ではあるけれど、これほど詳しく内容を知ることができる文献は今までなかったように思う。かのアムンセンの若き日を鍛えたベルジカ号、現在の南極では昭和基地のお隣さんとしても親しいベルギー南極観測隊の始祖にもあたる探検隊、ということで、昭和基地でもなにかと話題にすることが多かったので、昭和基地でこの本を読めていたらなぁ、と思いながら読んだ。
 冒頭からのまったくのダメダメっぷり、そして、ページをめくる先々の悲惨さが当然のごとく予想されるという展開。実際に昭和基地で観測隊を率いてきた自分としては、ほとほと身につまされる場面も多々あり、逆に、こんなにはならなくて良かった、と胸をなでおろすところもあり。そしてベルジカ号一行の帰国後の悲惨さは、それに輪をかけて我が身の現状に重なり、身につまされてしまった。というのも、「南極性貧血」「ウィンターオーバー・シンドローム」とも解説にあるけれど、JARE特有の茶化した言い方では「高緯度障害」とも言われている症状にここしばらく悩まされていたからである(笑。実体験をまだ消化し切れていない今の時期にこんなに強烈な刺激を受けたものだから、ザラザラしたものが喉に詰まったようで息苦しくなっているのも無理はない。
 なお、南極探検史の記録を年代順に読み進めていくとしたら、ベルジカ号の出番はかなり前のほうになるはずだが、歴史として振りかえってみるつもりで読むならば、オーソドックスにアムンセンとスコットの極点到達競争からはじめたほうが良いだろう。スターウォーズをエピソードIVから見始めるようなものだ。ベルジカ号で地獄を共にしたアムンセンとクックが後に真逆の立ち位置に収まるところや、この航海が単なる悲劇に終わらず、残した数々の記録がその後の南極越冬隊に大きな影響を与えていく様など、逆向きに歴史をたどったほうが理解が進むと思う。蛇足ながら、環境科学最前線を担う研究者としては「The End of Earth」の二意性の指摘にはハッとさせられた。
 まだ積ん読状態の本がたくさんあるけれど、しばらく消化期間をおきたい気分。