「人新世」その後
ここ数年、科学の世界を越えて一種のバズワードにもなっていた「人新世」ですが、地質年代として正式に位置づける提案は2024年に否決されました。では、それで「人新世」は終わったのかというと、どうやらそうではないようです。この論文は、Anthropocene Working Groupに関わってきた研究者たちが、その後の議論の軸を立て直そうとしている動きの一つとして読むと、とても興味深いものでした。
論点は「人新世を地質年代として正式に承認するかどうか」から少し離れて「地球システムの転換を記述する科学概念としてAnthropoceneをどう位置づけるか」へと移っています。
そもそも「人新世」という言葉が広く使われるにつれて、その意味もずいぶん拡散しました。人類が自然環境に影響を及ぼし始めた時代を広く指すのであれば、農耕の開始まで遡ることもできます。しかし著者たちは、そうではなく、約1万2000年間続いてきた完新世とは明確に異なる地球システムの状態が現れ始めた時代として、人新世を捉え直そうとしています。その転換点として重視されるのが、第二次世界大戦後の「Great Acceleration(大加速)」、具体的には人口、エネルギー消費、工業生産、肥料利用などの人間活動が急増し、それと同期するように大気・海洋・生物圏・物質循環までが地球規模で大きく変化していく1952年ごろです。
この論文がもっとも強く主張しているのは、early human impact と Anthropocene を区別せよ、ということだと思います。つまり「人類が自然を改変してきた長い歴史」と「人間活動によって地球システムそのものが完新世とは異なる状態へ移り始めたこと」を区別しよう、というわけです。これをPlanetary Boundariesとの関係と一緒に考えるのが重要だと思います。Planetary Boundariesが問うているのも、結局のところ、私たちの文明が成立してきた完新世的な安定領域から、現在の地球システムがどこまで外れつつあるのか、という問題だからです。
「人新世」という言葉を地質年代の名称として採用するか否かとは別に、私たちはすでに完新世とは違う地球を生き始めているのか、という問いとして読み直すと、人新世論はまだまだこれから盛んに議論され流布されていく概念だろうと思いました。