日々の雑感 一覧

御堂の片付け

お盆明けになってようやく郷里に帰省しました。母の初盆でしたが、数日後には命日もやってくるので、新盆を兼ねてこの週末に一周忌の法要を営むことにします。
関東は台風がらみのぐずついた天気でやや過ごしやすかったのですが、富山は連日の猛暑。断熱性能ほぼゼロの古い実家は、日中になると文字どおり灼熱です。それでも、数少ない帰省の機会。相変わらず「無間地獄」と化している実家の片付けを続行しました。今回、ようやく手をつけたのは御堂です。
施設に入ってすっかり恍惚の人となった老爺は、住職であるにもかかわらず、この御堂を長年、理科教材の開発作業場にしてしまっていました。電池、ニクロム線、輪ゴム、定規、磁石、歯車、竹ひご、針金、テープ、ビーカー、試験管、ソケット、針、スポイト……。ありとあらゆる工作道具と素材が手製の棚いっぱいに並び、90歳を過ぎても、古びた知識とこだわりと思い込みを頼りに、もう誰から期待されているのかもよく分からない教材づくりを続けていました。
「御堂は御堂として機能させなきゃだめでしょ」と何度言っても聞く耳を持たなかった頑固親父。けれど、その親父も、もうここへ戻ってくることはおそらくないでしょう。母の一周忌もあることだし、ずっと気にはなりながら、なかなか踏み込めなかったこの場所を、ようやく片付けることにしました。
不思議なのは、この猛暑のなかでも御堂だけはなぜかひんやりしていること。これはずいぶん助かりました。熱中症になりかけながら黙々と片付けていると、単に物を捨てたり並べ替えたりしているというより、「親父はいったい何を考えて、これを入手し、手を入れ、そしてここに置いたのだろう」と、その思考の跡をたどっているような気分になります。
工作道具を載せていた手製の棚をいったん分解し、組み直して、今度はLPレコードの棚に転用しました。このレコードもまた、実家の「ゴミの地層」から大量に発掘されたものです。段ボールにして20箱ほど。本と同じで、レコードというものはまとまると恐ろしく重い。せっかくなのでジャケットを表向きにして何枚か飾ろうと思ったのですが、2000枚はあろうかというコレクションの割に、人に見せたくなるような定番やレア盤が驚くほど少ないのでした。ビートルズはたったの1枚。サウンドトラックなら『サウンド・オブ・ミュージック』。懐かしものでは『太陽にほえろ!』の挿入音楽集。いまのところ、私に分かるのはそのくらいです。
棚を解体し、荷物を移し、レコードを運び、また棚を組み直す。ここまでで丸二日。いつもなら、窓越しに見える剱岳が励みになるのですが、夏場は決まって厚い雲の中。今回も、なかなか姿を拝むことはできませんでした。母のものを片付け、父のものを片付け、家の役割も少しずつ変えていく。片付けというのは、ものを減らす作業というより、その家に積み重なった時間を読み直す作業なのかもしれません。
疲れ果てましたが、御堂はようやく、少しだけ御堂らしい空間に戻ってきました。


黄金絹唐傘茸

お盆が近づく中、ポトスの鉢の中に『黄金絹唐傘茸』が生えてました。寿命が2-3日と非常に短いので滅多にお目にかかれないことから、見つけると「願いが叶う」「幸せが訪れる」と言われているらしいです。
昨夏に他界した母の新盆でもありますし、施設に入った老爺に代わって墓参に来る檀家さんの相手もしなければなぁ、と思っていた矢先。この、別名「お釈迦様のきのこ」が目に付いてしまったということは、どうやら彼岸からお呼びがかかっているということなのかもしれません。此岸の諸般の事情により帰省するのはお盆あけになります。どうもすみません。


地理学専攻大学院の集中講義

ゼミ以外の授業を担当しなくなってから、もう3年ほどになります。このたび、久しぶりに地理学専攻大学院の集中講義を担当しました。
話の始まりは、約1年前にさかのぼります。探検家の岡村隆さんのお別れ会に参列した際、同席されていた本学探検部の顧問の先生から、「大学院の集中講義を担当してもらえませんか」と声をかけられました。突然の依頼だったので最初は戸惑いました。役員の仕事は想像していた以上に多忙ですし、授業の準備時間はもちろん、そもそも集中講義に求められる授業時間を確保できるのかさえ分からなかったからです。
そのとき、ふと祭壇のほうに目をやると、遺影の代わりに掲げられていた岡村さんの似顔絵が飛び込んできました。象にまたがり、勇ましくこちらへ駆け寄ってくる姿です。どう見ても、あの世から岡村さんが、「引き受けなさいよ!」と言っているようにしか思えません。それで、引き受けることにしました。
とはいえ、十分な準備時間が取れたわけではありません。そこで当初は、何とかうまく手を抜く方法はないものかと考えていたのですが、ちょうど都合よく、菅沼悠介さんの最新著書『南極の氷から探る地球大変動――氷床融解の連鎖はいつ、どのように起こるのか』がブルーバックスから刊行されたばかりでした。菅沼さんとは、一緒に南極を経験し論文も共同で書いてきた間柄です。この本で扱われている研究の背景や現場については、いわば一心同体。書かれている内容の多くを、自分自身の経験とも重ねながら話すことができます。これは手抜きに使える、と思ったわけです。さらに、少し前に紹介した『まったく新しいテクスト分析の教科書』からも大いに刺激を受けたところでした。結局、手を抜くどころか、最新の研究成果に加えて、それらに触発されて自分なりに考えてきたこともふんだんに盛り込み、久しぶりの授業に臨むことになりました。手前味噌ではありますが、菅沼さんの本の内容を、研究の背景や南極での調査経験まで含めて語れる講師はそう多くはないでしょう。しかも、刊行されたばかりのこの本を教材に授業をしたという点では、おそらく私が日本最速だったのは確実ではないかと思います。
さて、時間割は、1コマ100分の授業を1日4コマ、それを4日間ぶっ通し。教える側にも受ける側にも、ほとんど耐久レースです。ところが、ふたを開けてみれば、受講生の約8割が社会人大学院生。私より年上の方も少なくありませんでした。何より驚かされたのは、その学ぶ熱意です。長時間の授業にもかかわらず、皆さんの集中力は途切れず、質問や発言も次々に出てきます。すでにそれぞれの仕事や人生経験を積み重ね、私と同年代、あるいはそれ以上の年齢になっても、なお新しいことを学ぼうとして大学院の門をたたく。その姿勢には、教える側である私のほうが大いに感心させられました。植村直己や高倉健の名前を出しても、「それは誰ですか?」という顔をされる普段の現役学生とは違い、世相ネタも懐かし話も、驚くほどバシバシ通じます。それだけでなく、それぞれの経験や知識を踏まえた反応が返ってくるので、一方的に話し続ける授業にはなりません。受講生の皆さんとの掛け合いを交えながら、こちらも楽しく進めることができました。
今回あらためて感じたのは、大学院の授業には、学部の授業とはまた違う面白さがあるということです。学部生を対象とする授業では、まず幅広い教養や基礎的な考え方を身につけてもらうことが大切です。一方、大学院では、教科書に書かれていることを説明するだけでなく、現在どこまで研究が進み、どこから先がまだ分かっていないのか、研究者のあいだで何が論点となっているのかという、研究の最前線そのものを扱うことができます。完成された知識を伝えるというより、いままさに更新されつつある知見を示し、受講生と一緒に考える。自分が研究者として蓄積してきた経験を、最も直接的に授業へ持ち込めるのが大学院教育なのだと、久しぶりにその醍醐味を味わいました。そして、学ぶ意欲にあふれた受講生が相手だったからこそ、こちらも遠慮なく研究の最前線まで踏み込むことができました。
授業では、岩田修二先生の大著『氷河地形学』をテキストに指定しました。氷河地形学を体系的に学ぶうえで、いまなお欠かせない本です。ただし、刊行からすでに15年が過ぎ、その後の研究の進展によって、新たに付け加えるべき内容も増えてきました。この本が刊行された2011年は、まだ「日本には現成氷河は存在しない」と考えられていた時代です。当然ながら、その後、北アルプス各地で次々に確認された流動する氷体、すなわち現存氷河については書かれていません。つい最近も、白馬沢の氷体で流動が観測されたことを報告する論文が受理されたとのこと。これで、日本で確認された現存氷河は10カ所になりました。さらに、IPCC第6次評価報告書が「疑う余地がない」と断定した人間活動による地球温暖化、海洋に末端を持つ氷河と陸上に末端を持つ氷河を区別することの重要性、南極氷床の不安定化と海洋との関係、MISI(海洋氷床不安定性)やMICI(海洋氷崖不安定性)といった、岩田先生が同書を執筆された当時にはまだ一般的でなかった概念も盛り込みました。
教科書を土台にしながら、その後の15年間に何が明らかになり、研究の見取り図がどのように変わったのかを伝える。まさに、大学院だからこそできる授業になったのではないかと思います。そんな話を延々として、さすがに疲れてきたら、南極観測隊の裏話でひと休み。受講生の皆さんと一緒に盛り上がったところで、また氷河と氷床の話に戻る。そんな調子の、濃密で楽しい4日間でした。
社会人大学院生の皆さんの学ぶ姿勢に刺激を受け、私自身も、教えることと学ぶことの面白さをあらためて思い出す機会になりました。引き受けるよう背中を押してくれたのは、やはり岡村さんだったのだろうと思います。


まったく新しいテクスト分析の教科書

『まったく新しいテクスト分析の教科書』(阿部幸大著・光文社)を読みました。ひと言でいえば、とても斬新な「ゴジラ」を読まされた気分でした。
「教科書」と銘打っているだけあって、章立てに沿って読み進めるうちに、テクスト分析の基本的な考え方と手順が自然に身につくように設計されています。その構成の巧みさにも感心しました。「まったく新しい」シリーズの前作『アカデミックライティングの教科書』にも大きな衝撃を受けましたが、本書もまた傑作だと思います。
実は、私自身が社会学部で担当している「地球と自然」という授業でも、「ゴジラ」を素材にした回を展開しています。社会学部に所属する自然科学者として、学生たちに何を伝えられるのか。そう問い続け、試行錯誤の末にたどり着いたのが、「ゴジラを題材に、社会問題に直結する自然科学のテクストを読み解く、そのための視野を、地球科学の側から育てる」という授業の位置づけでした。
文系の学生には、しばしば「言語化する力」が必要だと言われます。しかし、そこで求められるのは、単なる文章表現力だけではありません。理系・自然科学的なコンテクストを理解し、その内容を損なわずに言葉へ変換する素養もまた必要です。なぜなら、自然科学の知見は、文章だけで構成されているわけではないからです。数式、グラフ、統計値、モデル、観測データ、誤差範囲、因果関係、時間・空間スケールなど、さまざまな形式によって表現されています。そうした自然科学の成果を、社会学的な視野のもとで的確に言語化するためには、まず自然科学の表現形式そのものを、ある程度「読める」必要があります。たとえば、グラフを見て「気温が上昇している」と書くだけでは不十分です。
・どの期間の変化なのか。
・絶対値なのか、平年偏差なのか。
・年ごとの変動と長期傾向を区別しているか。
・相関なのか、因果関係なのか。
・観測値なのか、モデルによる将来予測なのか。
・不確実性の幅はどの程度なのか。
これらを理解せずに文章だけを整えると、読みやすくはあっても、科学的には誤った説明になりかねません。また、文系学生に求められる言語化とは、専門用語を日常語に置き換えることだけでもありません。理解する。構造化する。読者に応じて表現する。少なくとも、この三段階が必要だと思います。
さて、本書では、第1章で「分解」、第2章で「統合」、第3章で「解釈」が取り上げられます。テクスト分析は、いわば、(分解+統合)×解釈 によって成り立つ、というのです。さらに、description、observation、interpretationという「解釈」に含まれる三つのプロセスが示され、その補助線として「参照」という考え方も登場します。この「解釈」が、私が授業で意識してきた「翻訳・媒介能力」と深く通じているように思います。
とりわけ興味深いのは、地理学との接点です。「諸学の母」ともいわれる地理学は、細分化された学問領域を示す「-logy」という接尾辞ではなく、まず記述することから始まる「-graphy」を名に持っています。地理学は、何よりもまずdescriptionから始まる学問だ、とも言えます。目の前の現象を記述し、観察し、他の事象と参照しながら、その意味を解釈していく。そう考えると、本書が示すテクスト分析のプロセスは、地理学的なものの見方とも驚くほどよく響き合います。自分の感想や考えを文章にするだけではなく、数値、図表、モデル、理論を含む異なる形式の知識を理解し、その前提、論理、不確実性を保ったまま、社会的な文脈に即して他者へ伝える。それは単なる「言語化能力」というより、科学リテラシーを基盤とした知識の翻訳・媒介能力と呼ぶほうが適切なのかもしれません。
そして、そうした能力を社会学部の学生たちに身につけてもらうことこそ、視野形成科目の重要な役割なのだと思います。社会学部の学生たちにとっては「異なる知の形式」である自然科学が選択必修の授業に登場する意味もそこにあるのだ、と自分に言い聞かせながら、授業をつくってきました。
私の授業で「ゴジラ」が登場するのは、同位体や核分裂を扱う回です。
・地球の年齢が、なぜ約46億年だとわかるのか。
・年代測定法とは、どのようなものなのか。
・半減期のような非線形の物理変化を、私たちはどのような尺度で捉えているのか。
・そして、フィンランドのオンカロに象徴される高レベル放射性廃棄物の問題を、数万年、数十万年という時間スケールのなかで、どのように考えればよいのか。
そんな構成です。「ゴジラ」は怪獣映画であると同時に、核、科学技術、災害、戦争、社会の記憶、そして人間の時間感覚を考えるための、きわめて豊かなテクストなのです。
もっとも、このような授業を展開してきた背景には、私自身の研究者としての現在地もあります。最新の研究論文に共著者として協力する体制は維持しているとはいえ、近年は専門の最前線に立つフィールドワークから遠ざかり、主体的に研究を構想し、牽引するPI研究者としての活動からも、すっかり離れてしまいました。その慰みとして、社会学部の学生たちを相手に「自然科学エバンジェリスト」を演じてきた――そんな側面も、なきにしもあらずです。しかし同時に、これは自分にしかできない地球科学の講義なのだ、という自負を持って展開してきたことも確かです。自然科学の知識を教えるだけではなく、自然科学という知の形式そのものを、社会学部の学生たちに向けて翻訳し、媒介する。そのことには、自分なりの意味があると思ってきました。
一方で、正直にいえば、「本当にこの方向でよいのだろうか」という不安も、ずっとどこかにありました。専門研究の最前線から離れた者が、社会学部で自然科学を語る。その営みは、研究者としての後退を教育によって埋め合わせているだけなのではないか。あるいは、専門外の学生を相手に、自分の得意な話をしているだけなのではないか。そんな自問が消えたことはありません。
今回、新進気鋭の著者が提示するテクスト分析の方法を学び、自分が授業のなかで試みてきたことに、思いがけず理論的な補助線を引いてもらったような気がしました。異なる知の形式を読み、その構造を分解し、再び統合し、社会的な文脈のなかで解釈する。その過程に自然科学の視点を持ち込むことは、決して場違いではありません。むしろ、自然科学を学生たちにとっての「異質な知」としてきちんと提示することによってこそ、彼らの解釈や言語化の射程を広げることができるのかもしれません。
自分の進んできた方向も、あながち間違いではなかった。
そう思えたことに、少し安堵しました。そして同時に、私自身の「ゴジラ」の読み方も、授業のつくり方も、まだまだ分解し、統合し、解釈し直すことができるのだと思わされました。


十勝岳が小噴火

前から警戒情報は出ていましたが、ついに、ですね。今回、本格的な積雪期でなかったことは、不幸中の幸いなのかもしれません。噴火によって大量の雪が一気に融ければ、三浦綾子の『泥流地帯』に描かれたちょうど100年前1926年の大災害の二の舞にもなりかねません。
 私が学生だった昭和末から平成への移行期、十勝岳は、山岳部の冬合宿中にも火砕サージを伴う噴火を起こしました。それでもまだ登山を続けるつもりでいたところ、札幌から「強制下山」の命令が届いたことを覚えています。
 当時、私は地質学科の学生でもありました。火山学の大家だった勝井義雄先生が、定年間近の老体にむちうって厳冬の現地で精力的に調査されていた姿も記憶に残っています。この噴火を受け、白金温泉周辺では、砂防設備や高台への避難路などの整備が大がかりに進められました。かつての記憶を呼び起こしながら、今後の推移を注意深く見守りたいと思います。


コンコルディア基地でマイナス84.1°C

7月18日に南極のコンコルディア基地でマイナス84.1°Cの低温を記録したそうです。これは2012年以降に地球上で観測された最も低い気温だそう。しらべてみたら同日の昭和基地の日最低気温はマイナス24°Cでした。ちなみに、観測史上の最低気温は、1983年にロシアのボストーク基地で観測されたマイナス89.2°Cです。今日も暑い日本との温度差110℃。南極の極寒が恋しいです。

「氷縁湖」を南極全域にわたって調べた論文

最近の投稿で、私自身はすでに研究代表者、いわゆるPIとして先頭に立つ活動からは少しずつ遠のいている、と書きました。しかし、研究そのものから離れたわけではありません。若い研究者たちの挑戦を後押ししつつ、ともに議論しながら共同研究を進めてはいます。そしてありがたいことに共著者としても加えてもらっています。
このたび、その一つの成果として、南極氷床の周辺部に存在する「氷縁湖」を南極全域にわたって調べた論文が、学術誌『Polar Science』で出版されました。2026年7月25日付でオンライン公開されていますので、興味のある方はご覧ください。
Hata, S. et al. (2026): An inventory of ice-marginal lakes over Antarctica from 2017 to 2022 using Sentinel-2 imagery, Polar Science, 49, 101414. DOI: 10.1016/j.polar.2026.101414
https://www.sciencedirect.com/…/abs/pii/S1873965226000599
かつて毎日新聞に、私が南極研究にのめり込んでいった「なれそめ」をたどるような紹介記事を書いていただいたことがあります。「一度行ったらやめられない 見つけた水流の跡、センセーション」という、少々気恥ずかしくなるような見出しの記事でした。2021年12月に掲載されたものですが、現在も毎日新聞のウェブサイトで公開されています(有料記事のため、全文を読むには購読が必要です:https://mainichi.jp/articles/20211207/dde/012/040/015000c)。
この記事にもあるとおり、初めて南極で越冬した1993年、氷から解放された岩盤の上に「とい状の滝」のような地形が残されているのを偶然見つけました。水で削られたように見える地形が、水の流れないはずの極寒の南極に、なぜ存在しているのか。その単純な疑問を追究していくうちに、かつて南極氷床の底で大量の水が流れるイベントが起きていたのではないか、という仮説を立てるに至りました。その仮説は学位論文へとつながり、やがて私のライフワークになりました。しかし、発表した当時は「そんなことはありえない」と、ずいぶん否定されたものです。新聞記事では、投稿した論文を何度も退けられたことや、その後、南極氷床の下に巨大な湖が存在することが明らかになり、少しずつ私の研究にも光が当たるようになった経緯が紹介されています。
あれから30年以上の月日が流れました。その間、南極氷床の安定性を理解するためには、氷床の表面で起きていることだけでなく、氷と岩盤が接する底面の状態、とりわけ水の存在と動きを知ることが重要だという問題意識を軸に研究を続けてきました。南極だけでなく、ヒマラヤ、パタゴニア、グリーンランドなどにも赴き、地形調査、熱水掘削、氷河湖決壊、リモートセンシングなど、さまざまな手法による研究に取り組んできました。
さて、今回出版された論文の対象である「氷縁湖」とは、氷床や棚氷と、氷から露出した岩盤との境界付近に形成される湖のことです。平たくいえば、南極氷床の周縁にできる「水たまり」ですが、その規模はさまざまで、なかには相当量の水を蓄えているものもあります。しかし、これまでその全体像は十分に明らかにされていませんでした。
今回の研究では、2017年から2022年までの南半球の夏に撮影されたSentinel-2衛星画像を用い、南極の17地域から417の氷縁湖を抽出しました。その総面積は約493平方キロメートルで、87%が東南極に分布していました。また、湖の形態を、氷でせき止められた湖、モレーンでせき止められた湖、岩盤に囲まれた湖など、五つのタイプに分類しました。
なかでも興味深いのは、確認された湖の約4分の3が、氷床や氷河そのものによってせき止められた「氷河せき止め湖」だったことです。氷河でせき止められているということは、氷床の縁辺部の水の行き先が、地形だけでなく現在の氷の状況によって強く支配されていることを示しています。氷縁湖は、陸上の一般的な湖のように、いつも静かに水をたたえているとは限らず、氷の状態が変わると、短期間に一気に湛水が排出されたり、排水された水が氷の下へ流れ込んだりする可能性があるのです。実際、筆頭著者である波多さんたちの研究チームは以前、昭和基地に近い「かみの谷池」で、大規模な排水現象が起きたことを明らかにしています。
今回の論文は、そのような個々の氷縁湖の排水現象の記載から一歩進んで、もっと広域的な視点から、南極のどこにどのような氷縁湖が存在するのかを、統一した基準によって南極全域にわたって整理したものです。いわば、これから湖の変化や排水現象を監視していくための「基礎台帳」をつくったような研究なのです。今回作成したインベントリは、今後、極寒の南極における氷河湖決壊や融け水の循環、さらには氷床下の水文システムを研究するための出発点になるでしょう。氷床の下で起きている水の動きを直接観測することは、現在でもきわめて困難ですが、かわりに氷床の縁にある湖の水位変化や排水前後の変化を追うことで、目には見えない氷床下の水の通り道を知る手がかりが得られるかもしれません。
30年以上前、私は岩盤に残された水流の痕跡から、かつて氷の下を流れた水の存在を想像しました。当時は、過去の地形から目に見えない水の流れを推測するしかありませんでした。現在では、人工衛星によって南極全域を見渡し、水の存在を一つずつ地図に記録できるようになりました。研究の対象も方法も大きく広がりましたが、「南極の氷と水は、どのようにつながっているのか」という問いは、私のなかでずっと一本につながっています。
若いころに立てた仮説が、そのままの形で正しかった、と言いたいところですが、科学というものはそう単純な話ではありません。新しい観測によって仮説が修正され、別の研究者の視点や新しい技術が加わりながら、少しずつ実像に近づいていく営みです。それでも、最初の越冬で見つけた小さな水流の跡から始まった問いが、世代を越えた共同研究として今も続いていることには、少なからず感慨があります。
論文を主導した波多さんをはじめ、共同研究者の皆さん、そして研究を支えてくださった多くの方々に感謝したいと思います。


米子に来ています

明日大学主催で開催される地方父母懇談会に役員として出席するため、米子に来ています。「ばか(=地理屋)と煙は高いところに登りたがる」という格言どおり、到着早々、30℃を超える暑さのなか、100メートルほどの標高差を駆け上がって、米子城跡を散策してきました。山頂からは米子の街と中海を一望できましたが、楽しみにしていた大山はあいにく雲の中でした。石垣には奇石がいろいろあるようで、名物の「鯛石」を見つけたところで暑さにまいって下山してきました。
 私が副代表を務めている雪崩事故防止研究会(ASSH)では、雪崩事故を防ぐための啓発活動を広げ、2024年から大山でも講演会やセルフレスキューの実践講習会を開催してきました。私はもっぱら裏方で、これまで現地に足を運ぶ機会がありませんでしたが、いつか大山を訪れてみたいと思っていました。残念ながら、諸事情により今シーズンの大山での開催は見送ることになりましたが、こうして少しだけその麓の空気に触れることができました。
 出雲大社や鳥取砂丘など、訪ねてみたい場所はほかにもたくさんあります。ただ、米子からはどちらも意外に距離があり、前泊の半日と本番直前の朝の隙間時間では、とても足を延ばせそうにありません。次はぜひ、もう少し涼しい季節に、時間をとってゆっくり訪れてみたいと思います。

南極観測70周年記念 南極展

奇跡的に、ぽっかりと予定の空いた平日。「行くならここしかない」と思い立ち、日本科学未来館で開催中の「南極観測70周年記念 南極展」を見に行ってきました。夏休み前の平日にもかかわらず、会場には思いのほか多くの人が入っていて、少し驚きました。入場してすぐの映像には、私の姿も何カ所か登場しています。
 開南丸から二代目「しらせ」まで、歴代の南極観測船が勢ぞろいした模型展示も見応えがあります。しかし、未来館から歩いて5分ほどの場所には、初代南極観測船「宗谷」の実物が係留されているのを忘れてはいけません。もちろんこちらにも足を延ばしてきました。
 賑わう南極展とは対照的に、宗谷の船内はひっそり。入場無料なのに、なんとももったいないことです。ちょうど、宗谷を管理する海洋科学振興財団の担当リーダーで、元「しらせ」乗組員の方がいらっしゃったので、「せっかくこれだけ近くにあるのですから、南極展と連携しないのはもったいないですね」と話しかけたところ、「なぜか、こちらは70周年から蚊帳の外なんですよ」と、寂しそうに話されていました。さまざまな事情があるのでしょうが、どうにも割り切れないものを感じます。やはり、実物に勝るものはありません。南極展を訪れる方には、ぜひ70年前に昭和基地建設を成し遂げた主役でもある宗谷まで足を延ばしてほしいと思います。
 外はうだるような暑さでしたが、極寒の南極に触れ、気分だけは少し涼しくなりました。締めくくりは、7階のカフェで、南極海に浮かぶ氷山をイメージしたフロートをいただきました。このカフェには、私にとって忘れられない思い出があります。今から20年前、南極観測50周年の頃、当時、日本科学未来館の館長を務めていた宇宙飛行士の毛利衛さんが昭和基地を訪問され、「昭和基地は宇宙よりも遠い」という印象的な言葉を残されました。当時、私は越冬隊の一員として昭和基地側でこのVIP訪問団をお迎えしており、その言葉を直接聞いていました。帰国後には、そのときのお礼にと、毛利館長自らこのカフェを貸し切り、私たちの帰国歓迎会を開いてくださいました。
 氷山のフロートをいただきながら、南極観測50周年から70周年へと流れた20年の歳月を、しみじみと思い返した一日でした。

ラックモデル

3Dプリンタを購入してほぼ2か月が経過しました。時間を見つけては、使い方の習得も兼ねて、自前のサーバーラックを作ってきました。写真は、試行錯誤の末にようやくたどり着いた現在の最終形です。ずいぶん大きく見えるかもしれませんが、実際の幅はわずか5インチ。一般的な19インチラックの、なんと約4分の1サイズです。
 コロナ禍から昭和基地での越冬期にかけて使い始めたRaspberry Piが、あれこれの実用用途や実習素材として、いつの間にか10台近くまで“繁殖”していました。まだ半導体関連機器が高騰する前のことで、比較的手頃に購入できた時期のものです。今になってみれば、あの頃にそろえておいてよかったのかもしれません。
 一方で、機器が増えるにつれて、サーバーやルーター、電源、SSD、ケーブル類が雑然とたまり、いつかきちんと整理したいと思い続けていました。最近では、実家を遠隔管理するためのスマートホームサーバーも構築しており、全体をもう少しシステマチックにまとめたいとも考えていたところなのでした。
 ネットで公開されている既存の3Dプリント用ラックモデルをあれこれ試した結果、10インチ規格の「LabRax」、そのハーフサイズにあたる「Mini Lab Rax」、さらに引き出しのように機器を収納できる「RackMod」の組み合わせが、自分の用途には合いそうだと分かってきました。
 昭和基地では、VLBIや衛星受信観測機器のラックを整理した経験があります。その際に学んだのは、ラックを組むうえでは、電源ユニットの配置、ネットワーク用パッチパネル、機器のマウントサイズ感、レールによる引き出し機能、そしてパネルに収まりきらない部材用のあそびスペースといった、基礎的な要素を先に整えることが大切だということでした。その意味では、サーバーやルーターといった主役級の機器は、ラックという基盤の上に収まる“客室のゲスト”のようなもの。今回の構成では、電源系とネットワーク系を限られたスペースにすっきりまとめるために、PoEハブに電源供給とスイッチングハブの役割を集約したところが、ひとつのポイントになっています。
 研究室、役員室、実家、自宅と、それぞれに置くものを作っていたら、ラックの方もまた、あれよあれよという間に“繁殖”してしまいました。どうやら3Dプリンタは、物を整理するための道具であると同時に、新しい物を増やすための道具でもあるようです。


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