お決まりの介護通い

高齢の親を持つとお決まりの介護通いで一時富山に帰省しています。梅雨入り前に現れる立山(薬師岳)の雪形がよく見えます。黒い部分を何かに見立てる春先の雪形が有名ですが、六月のこの時期は残雪部の白い雪形になるのが特徴です。
実家の整理も兼ねてますが、なんでこんなに物が多いのかとイライラすることもしょっちゅうです。そこを、別荘に来て好きなようにデコってくつろぐ、というくらいの発想の転換でしのぐことにしました。今回は田舎の旧家にありがちな高い天井の作りを逆手に取って、吹き抜け風のリビングにアレンジしてみました。次はどこに手を入れようかと考えると、介護や掃除の面倒さも軽減できそうです。

介護がてらにまだらボケっぽいの父親の昔語りに付き合っていると、「え”ぇ!っ」と驚くようなことを口にすることがたまにあります。今日は「わだばゴッホになる」という言葉で有名な世界的版画(板画)家の棟方志功の習作が寺のお堂のどこかにあるので見かけたらちゃんと取っておいてくれ、というものでした。
 棟方志功が戦時中に富山県福光町に疎開していたことはよく知られています。でも、おやじの昔語りによれば、志功が富山県内で最初に居着いたのは上市町で、富山弁で「カッチャ」と呼ばれる水車小屋を間借りして陶芸と墨書に打ち込んでいた、というのです。磨崖仏で有名な大岩山日石寺に籠もって研鑽を積んでいた、とも語っていました。確かに志功の板画には不動明王をモチーフにした作品がいくつかありますので、上市との繋がりがあることは確かでしょうけれど、その当時の作品が実家にもあるらしいというのは驚きでした。 志功に水車小屋を貸していた主がうちの檀家だったかなにかの縁なのだそうです。
 夕刻から催される大学の式典のために今日中に帰京しなければならず、お堂を捜索するまでの時間はなく、気になったので東京に向かう新幹線の中でネット情報をいろいろ検索してみました。大岩不動のこと以外は志功と上市町との関係を示すものは見つけられていません。また、戦後に陶芸家との協働で窯名や包み紙の意匠を多数手掛けていたらしいという事はうっすらわかりかけてはきたものの、自らも陶芸をやっていた時期があるという情報も得られませんでした。
 まだらボケっぽくなって、思い込みや要領を得ない一人語りが多くなってきたオヤジですが、内容を丁寧に解読してみると意外に正しいことを言っていたり鋭い洞察を含んでいたりするのです。何度も繰り返し語るのに付き合うのはしんどい面もありますが、今のうちに聞いておくべきこともたくさんあるのではないかと思っています。
 次の介護帰省は思わぬ宝探しとなりそうです。