かこつけ行事マラソンのアイロニー

洞爺湖サミットかこつけ行事が目白押し.おかげでレギュラーに地道に開催してきている活動の「いつもの会場」が先取りされてしまい,乏しい予算内で他を探すのに苦労している.マラソン側にはお金はあるんだろうから,格安会場を独り占めして,貧乏人を追い出すこともないだろうに,と思ってしまう.

かこつけ行事のお題目は,サステナだったり先住民だったり環境問題だったりするのだけれど,それらで本来取り上げられるべきは,地道な活動や生活の意義と将来性のはずだろう.それなのに,かえって本質的活動を阻害している結果を招いていることは,なんともアイロニックである.

雪祭りも然り.本来,寒く暗い冬の市民生活を盛り上げるための祭りのはずなのに,今や,市民はかえって喧噪と混雑を嫌って会場周辺にでかけることを控えるようにさえなってしまった.一時期の世の中の改革ムードも,成果を実感できないまま絶望感に変わりつつあるし,研究費の集中投資も,オーバードクター問題を助長こそすれ解決手段には結びついていない.

持続的で地道で,じわじわと成果を浸透させていくような活動がなかなか評価されず,声が大きくてお金持ちでマスコミ受けするようなものばかりが,刹那的に幅をきかせる時代.

求められるべきは,お祭が終わったあとで,どこかでいつの時期にか長期的な視点で一過性の打ち上げ花火の是非が評価を受ける機会が設けられることだろう.たぶんその時には,花火の責任者は一線から姿を消しているか,前に上げた花火のことなんかすっかり忘れてまったく別の花火を打ち上げ続けているに違いなく,過去の花火の評価なんて…とペロッと舌をだしていてもおかしくないし,それに気づく人もいるまい.

そういう人たちにサステナや環境や先住民を語る資格が,本来備わっているのかどうか,お祭りのとばっちりで会場確保に難儀させられている一底辺教員としては,はなはだ疑問に思ってしまうのである.