人体の不思議

人体の不思議展に行ってきた.朝一で行ったにもかかわらず,すでに長蛇の列.幸いなことに,会場内は順路に関係なく見て回れるので,混雑はそれほど気にならずにすんだ.

その後書店に立ち寄る.今話題の「死の壁」を立ち読みしていたら,まるで「人体展」の感想文のような内容であることに気づいた.養老氏は解剖学者だから,そんなもんかとも思ったが,「人体展」のパンフを見たところ,しっかり監修委員の一人に入っているじゃない.ふふんなるほど,と思った.

私自身は会場でメモを取りながら感想めいたことを書き留めてきた.子供たちの反応,物体としての人体,人体を知ることによる死の意識の変化等々...その内容のほとんどは,すでに「死の壁」の中にしっかり書いてある.たぶん「人体展」を見た人の大半は同じ感想を抱くと思われるが,こんなんでベストセラーになるんだから,養老氏もホクホクだろう.いい商売だなあ.そう思うと,金を出して買う気も薄れてしまったので,全部立ち読みですませてきてしまった.でもまあ,ベストセラーになるには,それなりに読者の共感が得られなければいけないわけで,それはそれで頷けるのではあるけれども...

以下は,肝心の,私自身が会場でメモしてきた感想の再構成.

第一点目.加工してあるとはいえ,展示物は全て生の人体.その精巧さというか生々しさに,自分が今まで抱いてきた人体感がすっかり変わってしまった.知識や図では知っていても,それとのずれがあまりにも大きかったのである.同時に,物事の本当の姿を認識するということがいかに難しいかを実感した.氷河にしても地形にしても同様で,まさに地球や宇宙を理解することの難しさにもつながる問題なのである.そしてこれは,養老氏の「なぜ人を殺してはいけないか」という問いかけなのであり,さらには「なぜ地球環境を壊してはいけないか」という問題にもつながるのである.その答えは,人も地球も等しく「精巧でユニークな唯一無二のオリジナルは,一度壊すと後戻りできない」からだということになる.

第二点目.本物の死体であるにもかかわらず,不思議と,気持ち悪さや不気味さや恐怖感は全く感じなかった.子供たちも結構たくさん来ていたが,だれも怖がっていなかった.その様子や自分自身の感覚から,そもそも死体への恐怖はイマジネーションから来ているものではないのか,と思った.そして,実際に死体や人体がどんなものかを知れば,その恐怖も消えるのではないかと思った.これは,養老氏に言わせれば「子供たちを葬式に連れて行けば,幽霊の正体見たり枯れ尾花,となる」ということになる.個人の人生の大切さや命の大切さを,ゲーム漬けの子供たちに分からせるには,「人体展」もいいかな,と思った.家業柄,子供の頃からさんざん葬式を見てきたり,山登り仲間を多く死なせている経験のある身にしては,今更ながらの結論.

最後に三点目.展示されていた人体は,個人の生前の意思に基づいて献体されたものである.聴衆として興味津々と眺めていられるだけの冷静さが保ててはいたものの,その物体にかつては個人としての人生や思いが宿っていたのかと思うと,非常に複雑な気持ちになった.とにかくは,その物体によって,私自身の意識に変革をもたらしてくれた訳だし,彼ら(彼女ら)の献体の意思は決して無駄にはなっていない.我々はその意思をくみ取り,役立てていくことを自覚する必要があるだろうと感じた.特に,この物体の加工や展示企画に携わった人々は,そういう大義名分はあるにしても,人前にさらすための作業に手を染めているわけで,生前の魂に対してなんらかの後ろめたさが付きまとっているに違いないとも思った.そしてそれは,養老氏の言う「エリート」が背負うべき責任でもある.

さて,わが「ガイドコース」は「指導者」を養成することを大きな目的の一つにしている.人体や生命と同じく,「まさに神が作りたもうたかと見まがうほどに精巧で,一度なくしたら後戻りできない」という「環境」という問題を扱うエリートである.そういうエリートは,それなりの手続きや規範,そして責任を背負う覚悟を持つべきなんだろうと思う.絶対の正義を振りかざすだけだったり,ただ煽ったりするだけの指導者ではダメなんである.

そもそも「地球環境問題」に対して覚悟を持つ,というのがどういうことなのかはまだよく答えられないけど,少なくとも指導者を養成しようとしている教員としては,修了生たちを世に送り出すことに覚悟を持たなければいけないし,大学院を離れていった彼らに対して加害者として「密かに手を合わせる」気持ちを持たなければいけないと思った.

とりあえず今日の体験については,物体となることを厭わずに献体してくれた人々に「弔意」を表したいと思う.

と,ここまで書いてきて,さんざん引用してしまったので立ち読みじゃ悪いなあ,と思ってしまった.養老氏にも敬意を表して,明日にでも「死の壁」を買ってくることにしよう.