適応・超越・自省
今日で連休も終わり.実家から帰る道すがら,仕事モードへのリハビリもかねて,平川教授から勧められていた「教養主義の没落」(竹内 洋著,中公新書)を読む.前半から中盤にかけては,まあ予想していた内容で,町人文化との比較あたりは結構面白い.
全体の趣旨が“より近い時代からの遡及”ということなので,『だからどうだ』っていう主張はないのだけど,最後の「教養の機能としての適応・超越・自省」の指摘は読者をうならせるものがある.それともう一つ重要なのは「人的媒体」.
最近の学生・院生のレポートを読んでいると,こちらが出した課題に対して「そうですね」とか,「そのとおりだと思います」なんていうふうに,教員のほうに迎合するような,悪く言えば媚びへつらうような意見しか書いてこない場合が多い.これも「新中間大衆文化」や「キョウヨウ」に生きる現代の大学生の「過剰な現実適応学生文化」の一面なのかもしれない.
とはいっても,「現実に距離をとる超越性」や「超越性を相対化する自省」は,特に大学院教育において(環境保全指導者ならばより明確に)身につけさせるべき「教養」であることには変わりはないのではないかと思う.しかし,どうもそれを身につけさせるのは,今や,書物を与えてもだめらしい.
加えて,「コース」の第一期生を出した際のゴタゴタを振り返ってみるにつけ,「人的媒体」のほうの有効性もすでに限界に来ているような印象を受ける.
じゃあどうすればいいのか?「大衆的平均文化」から脱却した指導者的人材を育てるには,こちらも大衆に媚びるようなことを教育プログラムに入れてはいけないのでは,と思ってみたり...残るは,宗教的に「超越」し「自省」するしかないのかもしれない...などと考えてみたりもする.
全然リハビリにならなかった...