綺麗な芝はいったいなんのため?

10月6日の北海道新聞Web版に以下の記事が載っていました。

北大(札幌市北区)が今春から、構内の緑地「中央ローン」や一部の芝生への立ち入り規制を強化し、近隣の幼稚園や保育園に戸惑いを広げている。札幌市内の中心部には園庭がない施設が少なくない。これまで構内の芝生で子どもを遊ばせていた多くの園からは「子どもが楽しめる貴重な場所なのに」と困惑の声が出ている。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0324046.html

このところ北大は血迷っているとしか思えないことが多いです.うちの子も中央ローンにはお世話になって大きくなりましたし、北大を去ったとはいえ母校ファンの一人である以上は、この問題には無関心ではいられません。この記事はあちこちで議論を生んでいるようです。他所で「ここは公園じゃなくて大学の敷地なんだし大学がダメということに市民が文句言えた筋じゃない」という、あきらめともとれる意見があることも知りました。そういうのも出てくることは、残念ですが想定済みのうえで、私自身は「何を血迷ったか!」と嘆いています。

長年キャンパスの変遷を見てきた立場から言えば理念の追求から大幅に後退しているのが丸見えなんです。30年前に私が北大に入学した頃は、北大構内はそれなりに大都会の中のオアシス的な雰囲気はありましたが、今ほどきれいに芝が整備されていた訳ではありませんでした。特に中央ローンの変遷を歴史的にたどれば,食糧難の戦中には畑にされていたこともありましたし、サクシュコトニ川が現役だった昭和40年代頃までは河川区域という指定で建築が認められない土地であり、北大が自由に手出しできないちょっとやっかいな区画でもあったわけです。

国立大が独法化して文科省の中央主権から離れ、比較的独自性のある裁量が認められるようになった頃が良い方向へのターニングポイントでした。案内板や柵などが整備され、芝の手入れも行き届くようになり、北大にいた我々ですらも、公園風に洗練されていく様子を見ながら「磨けば光る北大キャンパス」と、名実ともに都会の中のオアシスへと変貌していく様子に驚きと自負を感じたほどです。こうしたキャンパス再生事業を支えた基本理念は、「キャンパスマスタープラン (CMP) 2006」にみることができます(ちなみにその前進である「CMP1996」は、「当時の国立大学としては先駆け的なもので、他の国立大学に大きな影響を及ぼした」といわれています)。CMP2006には大都市の中でのキャンパスのあり方や環境に配慮した再整備がうたわれていていて、今問題になっている中央ローンの扱いだけみても、下記の格調高い文言を見つけることができます。

・憩い空間を確保するゾーン
・レクリエーション利用と沿線の景観の保全を重視するゾーン
・良好な景観と快適なレクリエーション環境を維持・向上する。
・中央ローンとスクエアを中心としたオープンスペースは、人々が語らい憩う場とする
・クラーク会館 周辺(クラーク像、中央ローン、農学部前庭を含む)の再整備を行い、キャンパス南部の国際的な交流空間を実現する。

キャンパスマスタープラン2006以降には、サステナビリティなどの新しい概念なども追加導入されて更新版が何度か出されていますが、当初の理念は変わらず受け継がれています。もちろん、地域コミュニティとの連携・協働、行政や関係団体との協議なども盛り込まれていますので、今回のような市民への一方的な通告・排除は、これまで連綿と受け継ぎ発展させてきたCMPの理念からは大きく逸脱・後退している、とはっきりいえるのです。

先日、予算不足から大幅な人員削減の方針を打ち出した、というニュースが衝撃を持って伝えられました。旧帝大といえども大学運営が大変な時代になりつつあります。それでも、大学が守るべき理念や伝統や文化資源はあるはずです。CMPという誇るべき理念もその一つでしょう。逆に「大学の勝手」という理屈で市民の納得を得られるのなら、わざわざお金をかけてキャンパスを美しく保つ必要もまったくなく、CMP以前のキャンパス管理体制に戻せばよいだけの話です。現状では、まるで、赤字経営の会社のくせに社長室だけは豪勢で、汚れるから作業服の社員や一般のお客さんは入室お断り、とふんぞり返っている放漫経営者のように見えて仕方がありません。芝のことであれこれいうくらいならば、むしろ大学の本分である研究・教育に少しでも予算を回しなよ、とも言いたくなるわけです。

いづれ、文科省にはこれ以上頼れないと悟って、自立を決意する日も来ると思います。授業料の値上げや独自財源を模索しなければならなくなるかもしれません。そうなれば寄付の確保や民間資金の導入など、外向けにお願いしなければならなくなることは必至です。そのときには、自由の校風や開放的なキャンパス環境にあこがれる「北大ブランド」こそが重要なアピールポイントになってくるはずです。幼い頃に中央ローンの芝で遊んだ思い出を持った子供たちが、やがて北大を目指してくれるようになるかもしれません。あそこなら安心して学ばせるをことができる,と思う親たちもでてくるでしょう。市民に愛される芝を維持する費用なぞ、安いものじゃないですか。今回のような、CMPをないがしろにした一方的措置で市民の不評を買ってしまうことは、北大ブランドという優良資産を失うリスクをはらむ愚行です。経営判断として執行部がどこまで覚悟してこの措置に踏み切ったのか、はなはだ疑問でなりません。

綺麗な芝はいったいなんのため?大学執行部はこのへんも含めてちゃんと説明する責任があると思いますよ。