科学カフェ
NHKの「あすを読む」で「科学カフェ」の解説.「科学カフェ」とは,専門家を取り囲んで科学や技術についてざっくばらんに語り合うことができる場のことで,サイエンス・リテラシーの育成にも役立っているという.
そもそも「科学カフェ」の必要性がいわれるようになったのには,エネルギー・医療・生活インフラ,どれをとっても現代の生活は科学と技術抜きには成立しないものであって,そういう生活をしている以上は,科学や技術に対する理解が必要だ,というところからきている.
番組によるとカフェを成功させる秘訣は,
だという.1.専門家が普通の言葉で語ること.
2.知識ではなく,科学の考え方や理解を伝え,知ることが大切.
3.専門家や情報源の信頼性を大切にすること.
4.専門家でも「専門以外」は普通の人であることを意識すること.
番組の中で,科学・技術に対する理解度の意識調査結果がでていた.日本は先進国中最低だったけど,これは調査対象が偏っているか質問の仕方が間違っている結果のような気もする.「おたく」と言われるひとたちは在野にも意外といるもんだよ.要するに,よく理解して知っている人とそうでない人との分極化が進んでいるんだと思う.
理解度意識が一番高いのがフランスという結果だったが,あれは単に「知ってる,知ってる」って言いたがる国民性が出ているだけじゃないか,とも思った.だから,フランスは上記の2の条件でいえば,考え方を理解しているかどうか怪しい.逆に理解度意識最低となった日本は,上記の4の意識が徹底しているんで「専門以外のことは...」って答えてしまう結果がでているんじゃないかなぁ.
私は,政策決定に関わる人々の科学リテラシーが,今の日本には最も必要なのではないかと思う.オバカな政治家と文系高級官僚(百害入試制度にこだわる文科省は特に)にこそ,科学カフェが必要なんである.さらに加えるとすれば,オバカなバラエティ番組しかつくれないテレビ関係者と軽薄なコメントしかできない能なし芸能人たちにもカフェに行ってもらいたい.
では,カフェに招いて話をしてもらう専門家のほうはどうか?専門家って,おたくっぽくて口べたそうな人が大半なような印象があるけど,それじゃあ1の条件に合わないんだよねぇ.
確かに,専門家って言われる人の中にも話がうまい人はいるにはいる.けれども,私が見る限り,そういう人って,専門家の皮をかぶった単なるエバンジェリストに過ぎない確立が高い.こういう「話術」が立つエバンジェリストは聴衆には受けがよい.だからつい招きたくなるんだよね.でも,その自称専門家はナマのサイエンスをやっているとは限らないから,現場の専門家としてのホントの意見を聞くことはできない(つまり3の条件には合わない)のである.エバンジェリストには,せいぜい講演会でしゃべってもらうぐらいにしておいたほうがいいし,なにも「カフェ」じゃなくったって,そういう機会はいくらでもあった.
むしろ従来の「講演会」とは違う「カフェ」の独自性を生かしてその利点を引き出すには,カフェに招く専門家は寡黙で口べたなほうがいい,くらいに考えたほうがいい.そうでなきゃ,わざわざカフェにする意味も半減する.口べたな専門家からうまく話を引き出せるマスターをたてるとか,和やかな会場の雰囲気作りをするとか,そういうカフェ運営をしたほうが,エバンジェリストによる講演からは見えない,ホントの科学の理解を得られると思う.