Mac

東大の教育用計算機システムの端末として,大量のMacが導入されるそうで,マスコミや巷の会社でも話題になっているらしい.

私は16年来のMac使いで,現在もMacなしの生活は考えられない状態.

かつては,Mac使いとして,盛んに知人にMacを薦めていた時期もあったけど,ある時期からなんだか積極的に薦める気がしなくなってしまった.それは,「しょせん世の中じゃMacはマイナーだ」というあきらめもあったし,ジョブス氏が戻るまでの一時期にApple自身が質的にも価格的にも変なハードを出していたこともその理由の一つ.

そうこうしているうちに,大学院ではパソコンを個人で所有することが必須の時代になった.必須といっても,院生にとってパソコンはそんなに安い買い物でもないわけだし,やがて社会に出ていく院生にとって,汎用性という意味ではWinが圧倒的に有利である.そういう時期に助手になってからというもの,教官としての立場で必須の道具としてMacを院生に押し付けるのもどうか,という意識も働き,ますます人にMacを薦める気がしなくなった.さらには,自腹を切らせる以上は本人の意志で好きなものを選べばいいじゃない,そして結果に満足するも後悔するも自己責任で,という投げやりな気持ちもあったことは確か.

しかし,BSDベースのMacOS Xになってから状況は一変したように思う.ハード面でも,トータルでみればコスト的に十分性能にみあう機種を出してきていることも評価できる.東大が導入を決めたから,という訳ではないけれど,その影響で世の中が「Macもわるくないな」と見直す方向にあるのならば,卒業して社会に出ていく院生諸君にも薦めてもいいかな,と思うようになった.昨今のWinのセキュリティホール騒ぎやMSの無責任ぶりに,多様性を欠いた社会のぜい弱性を見ているような気もして,大学院ぐらいはWin以外のOSを使わせてもいいんじゃないか,と思うようになったのも理由の一つ.

私がUnixを勉強しはじめたのは,Macを使いはじめた頃とほぼ同じ時期であったが,当時はパーソナルツールとしての実用性からするとMacにくらべてUnixはまったく使い物にならなかった.なによりも,その設計思想というかアーキテクチャーというか文化というか,そういうものがほとんど理解できなかった.もちろん,Unixを理解しておけば世界がぐっと広がるであろうことだけは分かってはいた.現実的にも,Unixを使わざるをえない状況にも直面していたので,私とUnixとの間にあるこの壁を打破しようと,買い込んだ解説本は何冊に及ぶことだろうか.

ところがMacOS Xが登場してから,一気にUnixの世界が理解できるようになった気がする.まだ本当に全部を知ったわけではないけれども,その文化や思想といったものが分かりかけてきたのだ.その架け橋になってくれたのがまさにMacOS X.OS9までのころは,UnixはMacOSの対極にあるもの,とさえ考えていたのに…

汎用性という観点でMacを薦められるようになった理由は,まさにBSDベースのOSとしての汎用性がMacOS Xにあることに尽きる.そして,Macという外皮を被っていることで,Unixへの世界への入り口の敷居がずっと低くなっているような気もするのである.

これからはまた,Macを積極的に薦めることにしようかな…