手前味噌
手前味噌な話で恐縮だが,北大山岳部の検討システムは非常に良くできているとつくづく感じる.一学生団体が構築・運営しているのだと考えると驚異的でさえある.このごろは今までに増して強く感じるようになった.
南極観測では,訓練やマニュアル・指針などを通して念入りに安全・危機管理が行われているけれども,それを実行する段階での運営システムはほぼ越冬隊の内部努力に委ねられているといっても良い.他になにかできるかと言われても,実際のところどうしようもないのも事実であるが...だからこそ,現場で運営に携わるものの責任は大きい.
そういう中ではどうしても過去の越冬経験者の比重が大きくなりがちである.南極体験は隊ごとにいろいろあるから,過去の経験がそのまま今回にも適用できるとは限らない.それ由に,過去の経験に頼りきってしまうのは問題だというのも一理ある.しかし,判断というのもは大なり小なり経験に基づくものであり,尊重しなければいけない面があるのも確かだと思う.
越冬隊員にはそれぞれの履歴があり経験がある.医療・建築・製造・海保・自衛隊等々,それぞれの現場・職場で安全管理や危機管理について充分トレーニングされている人も多いし,まさにそれを仕事にしている人すらいる.そういう経験や知恵を結集すれば,いろんな問題は解決していけると思う.
これまで私は,自分流のやり方を前面に出すのをためらってきた面もある.自分の自信のなさからかもしれない.実質的には押しつけていながら,声高にオーソライズされることを忌避してきたきらいもあって,それがかえって問題となった面もあると反省している.でも,明確に方針を示せば理解が得られることは分かってきた.
そこで冒頭の手前味噌に戻るが,私の経験の元は,AACHで趣味の世界とはいえ人命に関わる検討と反省を繰り返してきたこと,そして仕事の上で野外調査を主とする院生たちの研究・調査活動を支えてきたことにある.もちろん全てが成功してきたわけではない.死亡事故を経験したこともあるし,やむを得ずレスキューの指揮をとったこともある.
それらに照らしても,北大山岳部流のやり方はここ南極でも通用するし,今,越冬隊内で要求されている事項は,まさにそれを適用することで解決できるとすら思えるようになった.歴史的に見ても,観測隊の中でAACH出身者が果たしてきた役割はけっして小さくない.それを考えると,AACHが南極観測から得た経験を自らの活動に取り込んできたのか,あるいは逆にAACHのDNAが観測隊に取り込まれているのか,そんな可能性すら感じるのである.「AACH流が使える」と思うこの感触は,私個人の感覚の域を超えていると思う.
ただ,AACH流というのは,議論に多くの時間を費やすものである,という性格を有する.信頼感に基づいた議論は,対立意見が白熱しても決裂には至らないものである.その信頼関係をどう構築するかがAACH流が生きるかどうかの前提条件の成立にかかってくる.
学生時代の純真さならばそれも比較的たやすかったが,いい大人の集団では困難なことも多い.だけれども,南極観測隊という自負心と協調性を信頼すれば,かえって,それぞれの経験を活用できる点で,もっと有効に機能するのものと信じたい.