キャッチボール
快晴.北大構内の樹木が日ごとに若葉の芽をのばしつつあるのがよくわかる.
オーストラリアですっかり遊びきってしまった我が家は,この連休の遠出はなし.退屈している息子を相手に北大構内でキャッチボール.南極に出かける前にはまともにボールを投げることもできなかったのに,いつの間にか鋭い直球を投げられるようになっていた.
男の子らしく最低限やらせておいたいことがたくさん思い浮かんできた.でも,近所の空き地で友達と…という機会もなかなかない環境でもあるし,相手をしてやる必要性を痛感.
教育再生会議が,大学院への内部進学者を制限する方針を出したそうだが,これってどうなんだろう?うちは,もともと学部がないので100%部外なわけで,その意味ではすでに優等生な訳だけれど,大半の大学の設備や教員や環境が均等に整備されている状況じゃないと,うまくいかないだろうと思う.
それに,数値目標で縛るのは不幸の連鎖を起こすだけではないだろうか.奨学金制度,学生・院生の社会基盤的保護,移動にかかるコストの保証,生活環境の整備など,学生・院生の生活にかかる状況を総合的に考えないと,どこかで大きな歪みが生まれるのは必定.外部へ進学すれば良いことがある,と思わせるような動機付けを作っていくほうが重要なように思う.
学部で特色のある教育・研究をしているころほど,部外に行き場所がないという状況も起こりうる.たとえば,極地や氷河の研究など,日本ではかなり特殊な部類に入るので,学部時代から子飼に育てても,内部進学の規制に引っかかって行き場を失うことにもなりかねない.
下手に特定の分野や特殊性に染めてしまうような学部教育よりは,むしろ,何にでも通用するような無色・透明の基礎教育をしっかりやってくれるような学部(大学)を選択しておいたほうが,特殊性を極めた大学院をめざす学生にとっては有利な状況も生まれそうな感じもする.
まあ,うちなんかは,院生リクルートが活発になる状況としては何も変わらないんだけどね.
特色あるなんとか,となれば,今話題の野球特待生の問題も気になるところ.高野連って別に行政組織でもなければ裁判所でもなく,ただの野球組織の連盟にすぎない.そこににらまれたからといって,悪いことをしているかのように報道されたり批評されている高校はかわいそうだ.
一連盟にすぎない団体の古めかしく時代遅れの理念に,特色を出そうとする高校の努力としての特待生制度がそぐわないのであれば,高野連のいちゃもんなど放っておけば良いのだ.高野連に賛同しなくても野球はできる.そういう高校が集まって第二高野連を作って,たとえば「札幌ドーム杯」みたい目標を設定すれば良いではないか.一つの連盟に高校野球のすべての胴元をにぎらせているほうがおかしい.異なる理念の野球連盟がいくつもあってもよいのである.ちなみに,インターハイに野球がないのは高野連にすべてをにぎられている高校野球界の不幸を如実に表している.
高野連は単なる連盟にすぎないとはいえ,現実問題として唯一の胴元として影響力が大きいだけに,彼らが特待生制度を否定しているその姿勢が,一種の指針を高校生につきつけていることに自身で気づかねばならない.それは,野球以外のすべてのスポーツや芸術や学業で特待されている高校生やその関係者からの反発を買うことも覚悟すべきであろう.いいかげん,野球だけが特別だという意識は捨てたらいかがだろうか.
息子とキャッチボールをしながら,子供たちの熱意を純粋に育てる難しさについて,つくづくと考えてしまった.