学恩

礼文島より帰札.

2/13に書いた「癒しと謝意」に関して,ずっとわだかまっているものがあり,礼文調査の間中考えていた.その結果,私が癒されたいのはけっして謝辞によってでなんかじゃない,という結論に至った.

新コースの第一期生をなんとか無事輩出しようと,これまで院生たちと共同戦線を張ってきた訳だが,終わってシャンシャン一安心,という感じになっている現状を見るにつけ,単に泥縄綯いを手伝っただけ,という徒労感が残ってしまったことは前にも書いたとおり.そして,それは,今後の院生の生き方にも関わってくる問題なのではないか,と思い始めた.

当初,新コースの目標としては,従来のような研究型の修論を書くことは要求しない,ということであった.もし研究であれば,今まで世界中の研究者が積み上げてきた成果という塔の上に,わずかでも一つの石を載せることができれば,それが進展として認められていたが,本コースはそういうことは目指していない,と言ってもよい.

だからといって,文献もよまず,先人の成果を顧みることもせず,それを尊重することもしないような修了生を出してしまうようなことを,私はしたくない.新コースであれ従来のコースであれ,修了生たちには,ここで学んだことや修論としてまとめたことを,良くも悪くもしっかり振り返り,その内容につながる学問(知識)領域の塔を築いてきた人々をrespectすることで,自分の努力と向上心を示していって欲しいと思う.言葉を換えれば,自分の修論を大切にし,それに携わってくれた人々を大切にする.だからこそ,修論やそれにかけた2年間の経験をより良くしていこうという向上心が生まれるのだ.そういう姿を見て,我々教官は,手応えを感じることができるのである.それが「学恩」の正しいありかたかどうかは分からないけど,学問全般に対する「恩」のありかたは存在するような気がする.

私は助手であるから,彼らの指導教官ではないし,師弟関係にあるとも思っていない.ましてや彼らに恩義を押し売りするつもりもない.しかし,土壇場でふんばってアドバイスしてきたことが,無為に帰してしまうようなことだけはして欲しくない.

このままでは,この大事なことを伝えられないうちに泥棒さんが逃げて行ってしまうのではないか,という危機感が募ってきたのが,「せめて謝意を」という感情になったのではないかと思っている.

「研究型を目指さない」ということは,こういう所にまで影響するものなのか,と,自己反省も含めていろいろと考えた3日間であった.