デルス
放送電波の届かない昭和基地には,娯楽用のビデオがたくさんある.日本の日常では得難い贅沢な鑑賞時間もふんだんにあるし,映画好きの私にとって宝庫の中にいるようなものだった.
自分の原点を振り返る意味で,昭和基地でじっくりと見直してみたいと思う映画もたくさんあった.「南極物語」や「ライトスタッフ」なんかはそんな映画の例だけれど,どうしても基地内で見つけられなかった映画がある.それが「デルス・ウザーラ」.昨夜,久しぶりにテレビで放映されていたので,当時の欲求不満を解消することができた.
プロジェクトリーダーは自ら「南極のデルスになりたい」と言っていた.「カピタ〜ン」と叫ぶのがハヤリそうになったりしたのを思い出す.
シホテアリン山地を探検するロシア人とガイド役ナナイ人「デルス」との交流を描いたこの黒沢作品は,中学生の私に探検・山岳・北方という意識を強烈に埋め込んだ.自然を読み解く力は,探検家が目指すような地理的・科学的手法だけにあるわけではない.足跡を読み取り,臭いをかぎ分け,大気の状態を感じ取り,万物を畏怖する,デルスが発揮するそういう能力もまた,自然を理解する力である.対照的な二人の主人公を見ながら,両者を兼ね備えたような探検家になりたいと思った.
そんなこんなで,北海道へやってきて,山登り生活を満喫してきたし,極東北方域の片鱗をかいまみるようなこともやってきた.あこがれの南極行きも果たしたし,あのころの憧憬はまずまず実現できたのだろうとは思う.けれど,今の自分を見てみると,カピタンにもデルスにもまだま遠く及ばないなぁとも思う.
暖房の効いた部屋の中で,窓の外の雪景色を眺めながら,家族と団欒し,パソコンをいじっているのは,探検家の一時の休息としてはあり得るけれど,それが日常となってしまうのは自分としては悲しい.やっぱり自分の本来の居所は,自然の中にあるんじゃないかなぁ,と思ってしまうのである.
まあ,今の世の中,そんな生活は現実にはありえないけれど,図らずもアンバを撃ち殺してしまったデルスにならないうちに,もう少し,自分の本来の居場所に戻る努力をしてみようと思った.