あそこもでも似たようなことが
「うちのトイレは使うな! 国際宇宙ステーションでもめ事」って,どこかで聞いたような話だな,と思った.
この話,宇宙でドッキングした米ロの宇宙船内での出来事で,ロシア人クルーが米国側モジュールに設置されているトイレを使用したり備蓄されている宇宙食を食べたりしていたことが判明して,運用規則違反だと米国の地上側が怒っている,というもの.
上記の記事でデジャビュに襲われた私は,実は,これと同じことを南極で経験しているのである.
部外者にトイレも自由に使わせない,などという過敏とも思えるほどシミッタッレな反応になってしまうのには,宇宙と南極に共通した背景があるんである,それは,設備のキャパが小さく,そしてその限界が生死に直結している問題だという点.
最近の昭和基地はそうでもなくなったけれど,少なくとも十数年前には,交代要員として到着した次期越冬隊にすら,基地内のトイレや食堂の利用は制限されていた.増水能力・汚物処理能力・電力,どれもが,同規模の二つの隊をまかなうには不十分だったのである.観測を支える最低限の設備で一年間がんばっていた,といってもよい.
それ由に,越冬交代して前次隊から基地を引き継いだ新越冬隊内では,「天下をとった」と歓喜する光景が繰り返された.まさに旧勢力が城を明け渡したところに新勢力が入城するという,下克上の様相を呈していたのである.こんな感じだったから,前後する隊同士があまり仲良くなかったりする場合も多い.
人間模様として面白いのは,当初は新参者としてイヤな目に合っているにもかかわらず,一年越冬してみると,今度は逆の立場で同じことをしてしまうということ,そういうことが何度となく繰り返されてきた.新参者のあまっちょろい認識と,一年間を孤立無援で過ごしてきた籠城組みとの間に,どうしても意識のズレが生まれてしまうことは仕方のないことだろうと思うし,新参者が一刻も早く一皮むけて極限環境に慣れるには,丁度良いくらいの刺激だったのだといえるかもしれない.
だから,「米ロの飛行士同士は良好な関係でやっている」と伝えてきていると聞いても,絶対に現場のホンネじゃない,と私は思ってしまうのである.こういう話は,宇宙や南極を夢見る青少年には聞かせたくない話かもしれないし,幻滅させて欲しくない,と思う向きもあるかもしれない.人間的にも素晴らしい宇宙飛行士同士なら,こんなことは本当に些細なこととして精神的には自己解決できるのかもしれない.しかし,極限環境で生き抜くとは,そこまでシビアに対処しなければならない,ということでもあり,そういう条件の中で人間関係を営んでいくということでもある.これは,どこかでちゃんと伝えていく必要があるのではないかと思う.
今後の南極観測にあらたな展開を生み出すには,キャパの拡充は必要不可欠な要素だろうと思うけれど,設備面の拡充には保守のための人的資源もさかなければならない,という側面があるので,そう簡単に拡充を叫ぶわけにはいかない.宇宙ステーションに象徴されるように,ロジスティクス上の制限,エネルギー上の制限,保護された人口空間の壁一枚外側は生死がかかった過酷な環境,という要素との兼ね合いをどうするか,という問題は,極限環境においては,いつまでも続く,古くて新しい,永遠の課題であるように思う.