ローマと極東の中間で

この前のフィールドは,二十数年ぶりのキルギスだった.前回行ったのはまだソ連だった時代で,チェルノブイリ原発事故の翌年.私にとっては生まれて初めての海外旅行でもあった.

その時に,限られた重量の中で選りすぐって携えていったのが塩野七生氏の「海の都の物語」だった.そして今回は,塩野氏のエッセイ集である「日本人へ リーダー篇 & 国家と歴史篇」を持って行った.ローマと極東日本の中間にある中央アジアの小国にいると,塩野氏の論調はビンビン心に響いてくるから面白い.さらに今回は,やじろべえのもう片方を補うつもりで,内田樹氏の「日本辺境論」も持って行った.これもまた同じように心に響く.

これらを読んで感じたいろんなことをフィールドノートに書き留めてきたけれど,それを披露するヒマもなく,もう次のフィールドへと出ようとしてる.今回はかなり時間がありそうなので,大作「ローマ人の物語」にでも取り組んでみようと思っているところ.邪道かも知れないけれど,まずは,一番面白そうなカエサルのくだりから.

ところで,この時点で最新の内田氏のblogに,『もうおしまいだ」的なワーディングで危機を論じる人』の危険性が書いてあった.

危機論者にとって危機の到来は個人的には「喜ばしいこと」なのである(なにしろ彼らの未来予測の正しかったことが事実によって証明されるからである)

という指摘は確かにその通り.だけど,塩野氏がエッセイにも書いているカサンドラのジレンマにも似て,破局の予言者として苦しい宿命を背負った研究者もいることはいる(特に環境科学者に多い..かな..).そういう危機論者には「だから私にやらせなさい」という出方もありうるし,そういう提案を積極的に認めるべきだろうと私は思う.

日本はこれから「縮んでゆく」..(中略)..「縮むこと」がもたらすメリットを最大化する工夫を凝らすこと、それが私たちにとってもっとも緊急な公的課題ではないのか。

まあ,内田氏の本当の論旨はこっちにあるんだけれども,この趣旨にしたって,やっぱり環境科学者は前向きに『縮むこと』を課題として受け止めていくべきだろう,とも思うのである...研究にしても教育にしても...