地平線40年に際して

 今月はけがの後遺症で指を動かせなかったり,学期が始まったゴタゴタなどでSNS系になかなか投稿できなかった.これではヤバイので,10月も押し迫った日になってしまったが,今月を振り返って一言残しておこうと思う.

10月14日に青山で開催された地平線会議40年祭.開場前の客席で一人たたずむ代表の江本さん.実はこの周囲はスタッフがバタバタ騒々しい.ほんの一瞬の一コマ.

 10月13日と14日の二日間にわたって「恋する地平線 ヤケッパチでも続ける宣言!!」とした地平線会議40年祭が行われた.地平線報告会にゼミ生たちを連れてくるようになってほぼ半年になるが,節目となる40年祭の開催の年と重なったことは,偶然とはいえ意義の大きなことだと思っている.指導教員として,40年祭には必ず参加するようにゼミ生たちに指示したのはいうまでもない.しかし蓋を開けてみると,全プログラムを制覇したものは一人もおらず,部分的なつまみ食いに終わってしまったようだ.

 歴史は,それを直接経験していない世代にも次への指標を示してくれるものだろうと思う.ただ,それには,直接の経験を有しない次世代が,語りや記述で知り得た歴史を実感へと変換する「受容体」とでも言うべきスキルを持つ必要がある.

 実のところ,ゼミ生たちは,「さとり世代」あるいは「コスパ意識世代」とも称される世代.みどころ満載の40年祭ですら,つまみ食いで終わらせようとするのはまさにその現れである.所詮彼らは,探検や冒険への強烈な志向というよりは,ユルユルのゼミ運営のお得感と漠然とした興味に惹かれて集まってるといったほうがよいのだろう.しかも,齢二十前後と若い彼らは,自らなにかを成し遂げてきた経験がまだほとんどないといってよく,残念ながら歴史に感化される彼らの「受容体」は未成熟である.よほどの自惚れかませた好奇心でもないかぎり,地平線会議の40年の歴史や不断の継続性の意義を自らつかみ取ることは相当に困難であろう.テレビや雑誌の上で繰り広げられる世界の延長にしかなり得ないのではないかと,指導教員ながら,心配しつつ見守ってきている.

10月13日に開催された地平線会議40周年前夜祭の「3分映画フェス」。第一線の旅人たちがどのように自らの行動を動画で伝えるのか、刺激を受けるのが楽しみ。

 こうして40年祭の意義を反芻しつつ我がゼミのあり方に思いを巡らせていた時に,早大探検部のtwitterで「最近巷で話題のカムチャツカ遠征の他にも多種多様な活動が行われているが,ごく一部しか報告が完了しおらず,報告の重要性が痛感される」というつぶやきに出会った.続けて「しかし探検部とはそのような仕事ができない人たちが集まるところなんだよなあ…」ともあった.これには「けだし名言」と感服したのだが,実践者・行動者としての資質や歴史に対する受容体が育っているなとも思った.

 近刊の好著「ホモ・デウス」の導入に「行動に変化をもたらさない知識は役立たない.だが,行動を変える知識はたちまち妥当性を失う」と,歴史の知識のパラドクスを指摘する箇所がある.歴史をよく理解するほど,歴史は早く道筋を変え,既得知識は早く時代遅れになるという.つまり,知識の増大は変化の加速と増大を生み出して将来予測をさらに困難にする,というイタチごっこが起きてしまうというのだ.

 予測困難な将来に立ち向かう姿勢もまた「探検や冒険」であるとするなら,探検や冒険が自ら生み出す情報は,次への指針となると同時に目指す対象すら生み出している,と言って良いのではないかと思う.過去15年にわたって毎月欠かさず発行されてきた地平線通信のフロントだけを集めた『地平線・風趣狩伝』は,個々人の営みであった行動を一所に集成し,それに時代背景を添えて残している.その意味でも,「行動を変える知識」としての素質を有する一級の記録でありインベントリーであると思う.「ホモ・デウス」に従えば,それは一級であればあるほど早く時代遅れになる宿命を有することになるが,それは歴史の受容体を持つ行動者にとってのことである.それが身内だけにいるとは限らない.発信力が強ければ強いほど受容体を持つ他の行動者にヒットする確率も高くなる.

 ゼミ生たちは今,11月末に開催される学部研究発表会でこの半年間に見聞きしたことをプレゼンすべく作業を進めている最中である.この考察をゼミ生たちに伝えるべきかどうか,自発的な気づきに期待するのがよいのかどうか,一指導教員としてはまだ答えは出せていないが,アカデミズムの営みに「受容体」の育成が期待されるとすれば,それはそれで使命を果たしつつあるのではないかとも思ったりしている.

 話は変わるが,この夏,古巣の北海道で広域停電を伴う地震災害が起きた.電力に依存する社会システムの脆弱性を目の当たりにする出来事がだったが,SNS等を通じて入ってくる知人たちの情報に触れるにつれ,明かりの消えた星空を愛でたり保存の利かない食材処理のためにBBQしたりと,困難な状況とはいえたくましく適応している様子が伝わってきた.彼らはむしろ,突発的に出現した社会システムの退化を楽しんでいるようにも見え,そういう被災地での知人たちの様子を,頼もしく,そしてうらやましくさえ思った.

 先日発行された北大山の会会報の編集後記に,編集長の米山さんが『山での時間と下界での時間が地続きのものとはどうしても思えなかった』と山岳部の若手が記していたのを読んだ感想を書いていた.『電気や化石燃料の無い世界を山岳部員たちは長期の山行で知っているのだし,暴風あり,増水あり,雪崩や土砂崩れありと,山の中は年中災害がおきているようなものなのである.この夏の出来事は,安全対策や危機管理は,システムにではなく自らの身のうちにこそ宿るべきものと,あらためて気づかされる契機となった』という.ちょうど私も,地平線40年への寄稿原稿を書きながら同じ事を書こうと思っていたところで,先を越されたか,とも思ったが,行動者の発想は同じところに行き着くのだな,と安心したりもした.