自分に対する反転疑問??

高校地学をやってない学生には私の授業は初耳だらけです.地球内部や表層の物質循環を理解するのに不可欠な比重の概念,チバニアンで注目されるようになった地磁逆転,地震や火山などの自然災害問題につもながるマントル対流,地球温暖化の理解に欠かせない太陽光スペクトル,人類の文明と将来に関わる氷期ー間氷期サイクルの概念,等など.従来から学生たちには授業後にリアクションペーパーを書いてもらっていますが,オンラインになってから「〜がなかったらどうなるのだろう?」という記述が少なからず見られるようになりました.科学的事実を突きつけている授業だというのに,それを受講したあとでその疑問はないだろう,と,この種の記述が増えたことを不思議に思っていたところでした.

つらつら思いをめぐらせているうちに,これは,授業以前のその事実を知らなかった自分に対する反転疑問の可能性があるのではないかと考えるようになりました.「地磁気逆転がなかったらどうなるのだろう?」というリアペは,つまり「地磁気逆転のことを知らずに生きていったとしたら,それを知ってしまった自分と比べて,いったいどうなっていたんだろう?」ということの裏返しなのだと思うのです.

「〜がなかったらどうなるのだろう?」という質問には,つい「それが現実なのだから考えなくてもよい」と返したくなってしまていたのですが,この記述が,それまで無知だった自分への反転疑問だったのだと思えば,ムキムキすることもないかなと思えるようになってきました.

そこでふと「マントル対流がなかったら日本はどうなっていたのか?」という質問には,「あなたが“マントル対流”を知る前の世界にもどるだけです」という哲学的な回答を思いつきました.そして「知ってしまったあなたはもう違う世界に生きています」と続けようと思います.

この質問のバリエーションに「地磁気逆転のメリットってなんですか?」という類があります.これもおそらく「そんなこと知ってなんになるんですか?」という,無知から既知になってしまった自分の変化に戸惑う心理の反転疑問だろうと思うのです.さてこれには何と応えたらよいでしょうか?「あなたを一つ賢くします」とでもしますかね.

このように,最近頻発するようになった「〜がなかったら?」「〜のメリットは?」という学生のリアペを,オンライン授業という孤独な学習空間にさらされている自分への「反転疑問」であると解釈してみると,新しく得た知識をどう処理すべきか戸惑っている様子がうかがえてきます.知識を与えられたまま放り出されても困る,という悲痛な訴えに聞こえてくるのです.その先に必要なのは,考える軸=知識を処理する作法についてなのではないかと思います.

最近,教育工学を専門とされている国際大学の豊福とういう先生が,twitterで今回のコロナ休校で保護者や学習者側から強力なデジタル情報ライフラインのニーズが顕在化したことを取り上げて,面白い考察を展開されているのを読みました(https://twitter.com/stoyofuku/status/1272128130870730752).豊福氏はその中で「対面授業の拘束力を解いた先にある学習者の自律に必要な『自己調整学習』を鍛えないと自分の学びを自分で支えられない」と指摘されています.私もこれに強く共感しました.

この思いを強くするのは,プレートテクトニクスの授業回の最後にパラダイムシフトの話を入れたところ,この部分へのリアペが充足感に満ちた内容になっていたことに気づいたことにもよります.対面授業時は逆順でパラダイムシフトを先に話してからPTに移っていたのですけれど,「考える軸=知識を処理する作法について」への渇望があるのではないかと推測した自分の仮説を試してみようと思って,今回は意図的に順番を入れ替えてみたのです.その結果,パラダイムシフトのパートに対するリアペが充足感に満ちた結果となり,この思いを裏付けてくれているものと解釈しました.パラダイムシフトの話は,考える軸や枠組みの事例を教えてくれるので,学生たちは知識の持って行き場が与えられた感じがして充足するのだろうと思います.

前述の豊福氏は,オンライン学習への転換の議論は戦略レベルで行うべきもので,戦術・戦技レベルの具体的製品・アプリ・授業指導案の話でいきなり展開してはいけない,と締めくくっていますが,同時に指摘されている「従順から自律へ、自己調整学習を鍛える方向に転換」という課題は,授業展開ノウハウでも補完すべきことのような気がしています.