日本人とフロンティア
「日本人とフロンティア」という検索アクセス記録があったので,エドモントン滞在記に2001/12/14に書いた記事をここに再掲する.
12月14日(金)
今日は1911年にRoald Amundsenが南極点に立った日で90周年にあたる.Robert Falcon Scottがたどり着いたのは1か月後の1月17日.私と同様に浄土真宗の寺の長男として生まれた白瀬 矗(Nobu Shirase)が大和雪原(やまとゆきはら)と命名した地点(S80’05”,W156’37″)を引き返したのが1月28日.村山隊長率いるJARE9が日本人ではじめて南極点に到達したのは1968年12月19日で,JARE43をのせた今年のしらせは今日現在まだ昭和基地にも到着していない.
あらためて地図で確認したところ,大和雪原はロス海に浮かぶ棚氷上にある.でも棚氷だと分かったのは最近のこと.加納一郎著『極地の探検』によれば,白瀬は,外務大臣に宛てて「南極で日章旗を立ててきたところは日本の領土であるからこれを政府に寄付する」という文書を出し,その後もたびたび大和雪原を日本領土と宣言するよう要望したが,政府は全くとりあわなかった,という.「海上じゃ領土にもできまい」と当時の政府が考えていたはずはないが,まあ日本とは当時から先見性が皆無な国だ.だが白瀬という個人がいたこともまた事実.白瀬は戦後GHQにまで嘆願していたらしい.ロス棚氷の東岸に白瀬海岸の地名がつけられているのは幸い.「やまとゆきはら」のほうはというと...
ところで,棚氷って領土を主張できないのだろうか?大陸だってマントルの上に浮いた氷みたいなもんだし,西南極なんかは氷を取り除いてしまえば海面下になるんだぞ.また余談だが,現在の日本の南極観測基地は大陸とは離れた小島にある.これも,国の完全バックアップのもとにJAREが組織されたわけではないという経緯に由来するといってもいいだろう.だがそれでも昭和基地を越冬基地に仕立てた(1957年1月29日で奇しくも白瀬と一日違い)JARE1の隊員個人個人には大きな敬意を表したい.そう考えながら検索していたら,日本人とフロンティアというページを見つけた.
- アフターレポートの重要性
ーう〜んなかなか鋭い(*).- 地誌データの整理と積み上げが植民地経営の基礎だった
-この日誌も「日本の自立」に役立つかも?(12/10を参照のこと)- 人間のフロンティアへの挑戦に対する最大の罪は「熱狂と忘却」ではないか?
-う〜ん,特に猿岩石と白瀬を4票差にするような日本人にはこれもまた然り.
そういえばHoffman教授が,講演の冒頭で,安定地塊のティライトについて早くから注目していた人としてDouglas Mawsonを紹介していた.南極探検に人生をささげ,Ernest H. ShackletonのNimrod Expeditionで南磁極へ到達したりRobert Falcon Scottの極点旅行を断って海岸線を明らかにする旅につくなど,死に直面しようともあくまでも地質学者としての本分を貫いた人だ...そういう人を紙幣の肖像に採用する国もあるというのに...でも新渡戸さんも好きだよ...
久しぶりに極地探検の本を読みたくなった.そこでAmazon.comに立ち寄ったらたくさん出てきて困ってしまった.これやこれなどは特に面白そう.“Customers who bought this book also bought”に紹介されている本もまた同様.
あらためて地図で確認したところ,大和雪原はロス海に浮かぶ棚氷上にある.でも棚氷だと分かったのは最近のこと.加納一郎著『極地の探検』によれば,白瀬は,外務大臣に宛てて「南極で日章旗を立ててきたところは日本の領土であるからこれを政府に寄付する」という文書を出し,その後もたびたび大和雪原を日本領土と宣言するよう要望したが,政府は全くとりあわなかった,という.「海上じゃ領土にもできまい」と当時の政府が考えていたはずはないが,まあ日本とは当時から先見性が皆無な国だ.だが白瀬という個人がいたこともまた事実.白瀬は戦後GHQにまで嘆願していたらしい.ロス棚氷の東岸に白瀬海岸の地名がつけられているのは幸い.「やまとゆきはら」のほうはというと
そういえばHoffman教授が,講演の冒頭で,安定地塊のティライトについて早くから注目していた人として