ここに来るべきもの
今夜も夜を徹して氷上輸送.がんばった甲斐あって,3夜の予定を2夜に短縮.まだ午前中だけれども,私にとっての4日はこれで終わった.
3日の朝日新聞に極地研究所々長の記事.例によって『南極越冬記者』の手によるもの.
開かれた基地 観測隊以外の人も南極へ
と所長は考えていらっしゃるようだ.しかし,私としては,新造船就航に込めるメッセージには『もっと南極に来て研究してください,そのためのプラットフォームは用意します』と,さらなる南極科学発展へのアピールもちゃんとしておいてほしかったんだなぁ...
南極観測が成り立つ基本条件は,当然のことながら,研究・観測を行っていることである.それ由,研究者が観測隊に参加することは当たり前のことと思われがちだが,じつはそうでもない.このBlogの読者には薄々感じている人もあるかと思うが,最前線の研究者はこの現場にはほとんどいない,というのが現状で,私が見る限り,南極観測の基本条件が危うくなっているように思われてならない.本当にここへ来ることを期待すべき,そして連れてくるべき人は,芸術家でもメディアでも一般人でもなく,研究課題と意欲と主体性をもった「研究者」なのである.
一般的に,日本で研究の最前線にいることを意識するような研究者は,生産性をあげ,その成果をアピールし,資金を調達し,プロジェクト参画者を食わせながらマネージしていく,という使命に駆られている.大学所属者であれば,これらにさらに学生の指導という責務も付け加わる.定常観測を受け持つ官公庁所属機関にしても,独法化やなんかで南極だけにかまけている余裕はない.
このように,研究・観測界のトップランナー集団にとっては,現在の日本の南極観測システムは,観測隊に参加したくても躊躇してしまうような要素が満載のシステムになっている.これは極地研究所のやりかただけに問題があるわけではなく,日本の科学界全体の仕組みの問題でもある.
米国では,NSFから資金をとりつければ(実はこれが一番難しい関門だったりするけれども),比較的容易に南極で研究観測計画を展開することができるシステムが整っているようだ.日本でも,米国と同程度の展開が図れるように,科研費制度・大学院教育・大量PD対策などを含めた総合的な地盤固めをしていく必要があるだろう.その役割の中心になるのが極地研であるように思う.
研究・観測以外にも開けた昭和基地をめざす,とアピールするのは良いけれども,その前提として,研究・観測がしっかり実施されていること,そのための人員が的確に確保できていることが先決.また,仮に最低限の人員を確保できていたとしても,それに満足せず,より多くの研究者が自らすすんで来たくなるような環境作りを最優先すべきだと思う.
日本の南極観測事業の門戸開放の末に,昭和基地にいる研究者がすべて他国人で占められ,その世話を日本から派遣された観測隊員が担っている,なんて結果になっていたらどうだろう?いくら南極が国境のない人類共通の科学フロンティアであるからといって,そこまでなったら日本もいよいよおしまいという気がする.あながちそれもあり得なくもなさそうな気がしているが...
新聞記事として一般うけしやすい言葉が,メディアサイドで取捨選択されてこの記事になっていることは理解できる.所詮,報道とはその程度のものだ.だけれども,きれい事ばかりをならべて南極をアピールできていた時代はもう終わりに近い.開放によって隊員以外の人が来るようになれば,なおさら,南極観測基盤の脆弱性が関係者以外の人々にもあらわにされることになるだろう.本気で日本の南極観測の将来を語るなら,この現実を正面から見据えて,本業である南極研究・観測にもっと研究者の触手をむけさせる方策について,世論も巻き込んだ議論を展開する勇気が必要なように思う.日本の学術界に蔓延する悪習をも打開する契機となる期待もこめて.