たった7人
「しらせ」から送り出される物資を極地研で受け取る作業.日通や極地研の職員が手伝ってくれるものの,越冬隊員でこの作業に当たっているのはわずかに7名.つまり,この7名が極地研と密接に連携しながら昭和基地で観測を行ってきた隊員の全てなのである.たったの7人...
観測隊が帰国するたびに毎年繰り返される作業であるが,次の隊が動き出すまでにはこれらを整理しなければならない.昭和基地と日本との間を行き来する物資の総量は,一つの小さな研究所が一年ごとにまるまる入れ替わっているくらいの規模がある.しかもそれらは,全く異なる研究課題に対する機材・物資が行き来しているものだし,年代的な進歩に伴う更新や改良も含まれている.
はたして,こういうやりかたが効率的なのかどうかは分からないけれども,相当すごいことをやっていることだけは確か.
話はかわって,最近頭から離れないことへの考察.気分的にすっきりするための吐き事なので,興味のない方は続きを読まないほうが幸せかも...
本研究院・学院における「助教問題」は,教育理念とかそんなものの上に成り立つ議論や問題ではなくて,労働者としての人権・自尊心をかけた労働条件・人権闘争に属するものである...最近いろんなことがあって,つくづくそう思うようになった.
助教審査基準をそれなりに定めて,「しっかり審査しました」なんていう体裁を取り繕っているのは,あくまでも運営側の論理であり,お上向けの顔でしかない.基準作りや審査は,助教・准教授・教授体制へ移行する段階で過去をきれいに払拭しよう,とするための儀式なのであって,責任を持って院生を指導するための自律行為などでは決してない.私にはそういう風にみえて仕方がない.
過去には,正規の規定ではその資格がないにもかかわらず,助手に院生指導の相当部分を実質的に任せてきた明らかな事実がある.これは,ひいては教授・助教授の無能ぶりを示すことにもなりかねないきわどい事実でもあるのだが,審査側はそれを逆手にとって「助教として博士課程を指導するには終始一貫して修論を指導した実績が必要」などというとんでもない条件を設けることによって正当化し,双方にとって過去の全てをチャラにしてしまおうとしている.むしろ,ここでそのような審査の対象にされている助手こそが,旧規定ではその責務がなかったにもかかわらず,責任感と情熱だけに支えられて精魂こめて院生の指導に携わってきた者達なのである.逆に言えば,今回のような教育実績評価の際に,公的な資料として組み込まれない危険性もあったにもかかわらず,その役割を引き受けてきたのである.そのような助手たちに向かって,よくも「責任を持って院生を指導したことがありますか?それを正規の記録として出せなければ博士課程の指導をさせません」などと聞けたものだ.このような状況では「院生向けの責任感から審査基準を設けている」という審査側の言葉は,ただむなしく響くだけだ.
規定では指導できないことになっていたんだから,そもそも公式にそのような記録があること自体おかしいはずなのに...これだから,教育実績評価なんてあてにならないんだよね.評価される側として,今後先,何が評価対象になるかまで考えながら仕事をしていかないと,とんだ損を被ることになりかねない.今回がいい例だ.
規定外ということで,正規の評価に組み込まれない可能性があったにも関わらず,これまで助手という立場で大学院教育に携わってきたことは,研究・教育労働者としての自尊心からでもあり,その自尊心があったからこそ個人的な屈辱を乗り越えることもできた.これは人として生きていく上での信条の問題であり,労働者としての人権に属するものでもあると思っている.
運営側に「メンツは責任よりも下位」という意見があるということを耳にした.しかし,「教員人生のメンツ」と,教育組織として考慮すべき「学生への責任」とはまったく別次元の問題であって,同次元で序列化したり階層化すべきものでは決してない.メンツも責任も,別の次元においてそれぞれ最上位に位置するものだと思う.
もちろん私も「院生に対する責任と自律」を基準に助教審査を受けることにはやぶさかではない.そのような基準では正々堂々と審査を受ける心づもりもある.ただ,「メンツは責任よりも下位」と言ってのける詭弁や,過去に規定外の自助努力で行われてきた指導実績をうやむやにしてしまおうとする運営側の方針をみるにつけ,ビジネスライクに審査を受けるよりも,自身の尊厳をかけて審査に対処する必要があるように思えてきてしまったのである.そうしなければ,これから先,自分自身を精神的に支えていく何かを失ってしまうような気がして...なんとか収束させようと尽力いただいている方々には申し訳ないけれども,かくして私の助教問題は「メンツは責任よりも下位」と詭弁を弄する人たちとの労働条件・人権闘争になってしまうのである.
審査を受ける側として助教審査を経験してみて,今この組織に欠如しているものが何なのか,薄々見え始めたような気がする.私ならばなんとか耐えられるだろうけれども,欠陥が院生に人権的・精神的被害を及ばさないうちに,運営側が気づいてくれることを心から願う.もうすでに遅いかもしれないけれど.