人生のタイミング
最近専属オペレータが顔を見せないので,必要に迫られて久しぶりに自分で解析図化機を操作してみた.思い出しながらやっていると効率が悪い.根をつめて写真を覗いていたら目がショボショボになってしまった.トシか...
今や,いろんな情報が電子化されてすぐに手に入る時代,この機械の優位性もいつまで続くのだろうか,と思ってみたり,オペレーターがもうちょっとしっかりしていてくれれば,この機械を武器に論文をまとめてくれる院生も大勢出せただろうに,時期を逸してしまったなあ,と残念に思ってみたりする.はたまた,この機械を自分の専属で使えていれば,学位論文もその後の展開もまったく違ったものになっていただろうなぁ,などと思いながら,往年の失恋相手に向かって昔話をしているような気分になった.
思えば,この機械の履歴には,私の人生のタイミングがからんでいたんだよねえ.
夕刻,情報・システム研究機構となった極地研から,非常勤研究員募集の案内が来た.今年度からはじめる所内外の研究者によるプロジェクト研究体制に参画してもらうのだという.来年出発予定の観測隊に参加の可能性もあるとのこと.2年間で4本以上の査読付き論文を国際誌に投稿すること,という,南極に行っていたらできるんかいな,と思うような厳しいハードルも用意されている.
厳しさはあるにせよ,南極付きなら情熱でもってシャカリキに踏ん張れそうな自信はある.でも,このトシで越冬となれば人生もかかってくるし...あと5才若かったら応募したのになあ,と思う.
この公募に人生のタイミングをかける人もいるんだろうなぁ.応募する時点ではそう思っていなくても,南極がらみの人事は人生を簡単に変える力があるかんねえ...そのうち実感する日が来るよ,きっと.
このところ,いろんな場面で,人生のタイミングみたいなものってあるんだなあ,とつくづく思うようになった.
ところで,非常勤枠で厳しい業績を要求するやり方がどこでもはやっているようだけど,ほんとにそれで良いのだろうか?特に,南極なんていう高度の特殊事情がからむ分野にとっては,長期的に情熱をもって携わってくれる一過性ではない本物の人材を培う必要があると思うんだけど.
大学の教育もしかり.大学院でも一人の研究者をまともに育てようとすれば5年はかかるし,それを支える組織も理念も最低限その期間は存続していかなければならないはず.使い捨てをしたり,目先の業績にとらわれずに本気で踏ん張ってくれる人をないがしろにしたりすると,きっと痛い目にあう日が来ると思う.
そのころには,痛い目にあっている,と全体を思う人すらいなくなっているだろうから,どうでもいいんだろうな.
アメリカにしても欧州にしても,表面的な競争の裏には協調・共存の精神で,永続性への布石がしかれていることを忘れてはいけない.
世の中,超人やスターばかりではない.みんながトップスターになったらトップスターがいなくなる,スターが独走したらそれをスターと認める底辺がいなくなるのでスターという概念が消滅する,というジレンマ..こんなこと等をつらつらと考える夜更けである.