プラネテスと南極
早朝,今週末から開催される南極展のライブステージのリハーサルに引っ張り出される.
午後,埋まったソリの掘り出しやコーナーリフレクタの点検など,ブリ明けの後始末.
基地にあるDVDで『プラネテス』(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)というアニメの全話を鑑賞.人類が宇宙で生活をするのが当たり前となった近未来,長い宇宙開発の歴史の影で生まれた「スペースデブリ」と呼ばれる宇宙ゴミの回収を職業とする人々の話.けっこう気に入ってしまった.
主人公の一人の田名部愛という女性なんて,うちの院生の中に一人ぐらいいてもおかしくないようなキャラだ.北海道出身という設定だし...もう一人の主人公のハチマキも,私の故郷の町と姉妹提携している九十九里に実家があるという設定.ここはかみさんの家族の故郷でもあるし,設定自体が自分の環境に近い.
それ以上に,この物語で描かれている「だれでも行けるようになった近未来の宇宙の姿」は,生死をかけた過酷な環境,ゴミ処理をめぐる環境問題,限られた仲間と一緒で,長期間家族と離れなければならない,といった多くの点で,南極観測隊の現状にぴったりなんである.現状では宇宙開発はまだまだ無人探査が主だから,この物語に描かれている類似のものを現代の中に探そうと思ったら,南極基地で生活する人々が一番近いのではないか,と思うのである.
極地研が法人化して,いまや観測隊はそれぞれの派遣母体をしょったサラリーマンの集合と言っても良いくらいになった.また,予算構造がプロジェクト主体になっているので,隊そのものをリードするモチベーションや主体もバラバラになりつつある.しかも肝心のプロジェクトリーダーは日本のオフィスにいて,現場の隊員にあれこれ指示してくる形が強化されつつある.こうした変化によって,観測隊は全体として「選ばれた特別な人々」ではなく「任務を帯びたサラリーマン」という色合いが濃くなってきたような気がするのである.そのために噴出する問題も多い反面,一人一人の隊員を見れば,それぞれの南極に対する思いれもある.プラネテスに描かれている人間模様に,その一端をかいま見たような気になった.
人間の側ではこのような変化があったにもかかわらず,南極の自然の驚異はなんら変わることはない.物語の中で,一世代前の往年の宇宙空間作業士(船外活動員)たちがこぼす宇宙空間への覚悟・信念・憧憬といった心情にも,時代の変わり目を迎えた南極観測隊の世代交代に伴う覚悟のあり方の変化にも通じるものをみた気がする.
やっぱり世の中や宇宙は「愛」でつながっているんだろうか.そして未知のフロンティアは,「夢」を追い続ける人々によって切り開かれていくものなのだろうか,と考えさせられる作品であった.さらには,「ノノ」のような「ルナリアン」ならぬ「アンタークチィカン」が誕生すれば,国境や会社組織にこだわり続ける人類にパラダイムシフトをもたらすかもしれない,ということも夢想してしまったけど,それは考え過ぎかもしれない.