朝日新聞二題
朝から風が強い.この悪天を予想してすでに昨日から今日の外出をキャンセルしてお休み.そうとう久しぶりの休養日となった.
基地で昼食を取るのも久しぶり.たまった事務処理を片付ける.そろそろ次の隊に託送品を持ってきてもらう手はずを整えなければならない時期.研究室や自宅に連絡して,送ってもらう物をお願いする.
今日の朝日新聞に,おもしろい記事が二つ.「ワールドくりっく」というのに『英の南極探検家にみる危機のリーダーシップ』というのと,「かがく批評室」に『ニセ科学』の記事.
『リーダーシップ』のほうは,スコットとシャクルトンの比較.所期の使命を達成出来なかったリーダーの人命を賭した場面での判断の違いの背景にあるようなものを解説.私はもともとシャクルトンの大ファンだが,スコットの背景にもうなづけるものがある.
ボスにはアムンセン,夫にはスコット,恋人ならシャクルトン
と言った博物館の女史の寸評はなかなか良い.なにかに使えそう.
『ニセ科学』は科学まがいのことが一般に受け入れられてしまうことの背景についての解説で,
パブリックイメージとしての科学は,そのような曖昧な返事をせず,「さまざまな問題に対してきちんと白黒つけてくれる」ものなのではないだろうか.ところがこれはニセ科学の特徴である.
科学の結果だけが求められ,その本質である合理的思考のプロセスは求められていない.
と述べているところに筆者の意図の神髄がある.
大学院の教育でも,私(達)は常にこの点に気を配ってきたが,特に新しいコースを志向するような院生は「結果」を求める傾向にあるように思える.彼らの欲する「結果」は,サイエンスの「結果」であると同時に「教育」として与えられるものの「結果」でもあるように思う.実は,すぐに使える実用的な技ではなくて,合理的思考のプロセスを会得してもらいたいと望んでいるのだが...
私自身の研究テーマは,学会を二分するような大きな議論の渦中に置かれているテーマでもある.それだけに,論文が受理されるまで苦難の過程を経なければならないつらさを味わっているが,一方で科学のあり方や進展ということについて考えさせられることも多く,いろいろと勉強させてもらっている.これらのことはこの雑感のページやエドモントン滞在記にも何度も書いてきた(11/16や7/3や9/4,あるいは市民科学者の育成と氷河地質学など).
今日,時間がとれたので,一昨日Shaw教授から送られてきた論文をじっくり読んでみると,まさにこの問題に関わる議論が展開されている.Benn & Evansの水流説への批判は,Creationistsにも好まれる危ない学説だ,と冒頭から述べており,まさに「エセ科学」の危険性をはらんでいるかのような警告から始まるのだ.この論争には,PopperやOccam’s Razorまで飛び出して,まさに科学哲学論争の様相を呈している.これについては,私も「Channeled Scablandの解説」で書いたことがある(実際には火星の水流地形研究でも有名なBaker教授の受け売りで書いたのだが).
この批判に対するMunro & Shawの反論は,まさに当を得ていると思う.もちろん私はShaw派なのでひいきもあるが,何よりも,Benn & Evansは氷底水流説のメッカであるカナダのフィールドを一度も検分していないのだ.実際に「もの」も見ずに頭の中だけで批判しているのは,フィールドサイエンティストとしては最低である.
さらに,「関心のない科学者はあえて危険な仮説に飛びつく必要がない」ということも論争されていて,これらはまさに,私が滞在記の2/21や火星の論文(雪氷(2005), 67, 163-178.)でも書いたとおりの展開となっている.日本語で書いているので彼らが参照しているとは思えないが,私の考察のほうが先を行ってる感じがするのはなんとも気持ちがよい.岡目八目の効果かもしれない.逆に,自分の考察を英文で発表できていたらどんなによかっただろうと,ちょっと後悔もしたりする.
いづれにしても「氷河地質学的」「堆積学的」そして「科学哲学的」な『合理的思考のプロセス』を院生に教授するには,この論争が良い題材になることは間違いないと思う.