氷床の安定性
札幌へ戻る.前にも書いたが,この時期のしっとりとした曇り空に赤に黄にと色づいた紅葉が一番好きだ.
さて今回から不定期で,JARE47でのプロジェクト実施へとつながる屈折十余年の我が歩みを振り返り,折に触れて書き留めてきたことを紹介しようと思う.すでに,正式に出版された論文の一節に組み込まれているものもあるが,今回のプロジェクトの意義と今後の新たな展望を考える記事へと発展させる意味も含めて,この機会に再掲載しておこうと思った次第.今回はその第一弾で,氷床の安定性に関するもの.
以下エドモントン滞在記1月30日より転載
今日一日“月刊地球”とQuaternary Science Reviews 21 (2002)のEPILOG特集号を交互に読みながら,つらつらと考える.
「氷床変動と海面変動の問題」というと「地球の気候変動の問題」と同じと考えがちだ.確かに水は融点を境いにして固体になったり液体になったりするから気候変動は大いに関係があって,寒冷期を“氷期”温暖期を“間氷期”とよぶ慣わしにさえなっている.しかし本来は「氷期=氷床拡大期=低海水準期」なのであって必ずしも「氷期=寒冷期」でなくてもよい.寒暖サイクルだけなら,氷床の大きさや海水準の高低を使わなくても,植生や酸素同位体比などの他の指標を用いて復元できるし,現在ではそちらのほうが気温のメインの指標として用いられている.気温プロクシデータは氷床コアからも得られるのだが,そのことがかえって誤解を招きやすくしている原因の一つになっている.実は氷床コアでは,寒暖サイクルは復元できても氷床の大きさの変動自体を復元することはできないから,氷床変動と気候変動を直接結びつける方法にはならない.
「氷床変動と海面変動」とは,厳密には「地球上の水の配分の変動」という問題である.氷と水の配分を模式化した場合,“コップの中の氷と水”という最も単純なモデルもあれば“洗濯板の上に氷があって,その下のタライに水が張ってある”というのも考えられる.たぶん後者が現実に近いと思うが,その場合でも,板上で融けた水がタライに流れ下るという場合もあれば,氷のままタライにすべり落ちて水につかることで融けてしまう場合もありえる.つまり氷と水の分配問題では,単に気温の変化だけではなくて,氷床の氷がどのように海水に戻っていくかというプロセスを解明する必要性があることがわかるだろう.
ということで,我々は今,南極氷床と海洋の変動問題を考えようとしており,下図の天秤で現象を模式化できる.できれば天秤の片方を押し下げる力となる寒暖サイクルにも言及できれば良いが,それは二次的なこととすべきだろう.
さて,上記のモデルになぞらえれば“月刊地球”中の論文のほとんどは,タライの中の水やタライの内側についた水面の跡を調べて,それらから逆算して氷の状態を推測しようというもので,左図でいえば「Q1」や「Q2」に相当する.それらの論文中では,左図の右向きの矢印は単に「氷床の融解」という言葉で述べられているに過ぎない.それに対して“澤柿・松岡論文”は,板の上に氷がちゃんとのっかっているかどうか,あるいは氷がタライへ落ちるとすればどんなタイミングでどんなふうに落ちていくのか,ということに注目してみようという提案であり,融解プロセスそのものを指す左図の「Q3」に相当する.“澤柿・松岡論文”では,左図の「Q1〜Q3」のつながりについての説明が不十分だったため,全体構成の中ではやや浮いた感じになってしまった.また,研究計画の提案論文としては説得力に欠けるのではないか,という危惧と反省の念をいだいている.
こうして模式的に示してみるとよく分かるが,天秤の氷床側にはQがない.これは,氷床の量そのものの変化を復元することが非常に難しく,大抵の場合は海水量変化からの逆算や地殻の隆起量から間接的に求められていることを示している.EPILOGのまとめでも明らかになったように,南極氷床量の変動史は他の氷床にくらべてまだよく分かっていない.
たぶん今後もこの傾向はかわらないだろうが,南極はなんといっても今現在も氷期にあるのだ.グリンランド以外の他の氷床はとっくの昔に消えている.その南極で氷床の安定性と海洋への流出プロセスに注目することが,ひいては氷と水の分配問題の解明につながる,ということを主張したかったのである.すでに出版されてしまった論文の言い訳をするようで反則ぎみだが,日記ということでお許し願いたい.
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