温暖化の〈発見〉とは何か
連休の間の活字不足に耐えかねて,買ったまましばらくほおっておいた「温暖化の〈発見〉とは何か」(スペンサー・R.ワート (著), 増田 耕一, 熊井 ひろ美(訳))を読み始める.
この手のは職業上の必読書であるとはいえ,個人的趣向にも合っている.基本的には科学史のジャンルに分類されるのであろうが,歴史書にあるような言い古された言葉の羅列ではなく,今まさに問題になっていることの経緯について詳細に書かれていて,専門的内容以外のところでもいろいろと参考になるところが多い.
まず,序文からして含蓄に富む言葉から始まっている.私はこの部分を読んだだけでこの本を高く評価してしまった程である.
本書の目的の一つは…過去の科学者が気候変化の不確かさとどのように戦ってきたかを学ぶことで,科学者の現在の発言の理由を正しく評価するための準備を整えることができる.さらに,科学者が重要な影響力をもつその他多数の問題にどう取り組んでいるかをよりよく理解することもできる.
また,地理屋として敏感に反応してしまう記述も結構多い.例えば,近年の気候学が非常にダイナミックな学問であるという印象になっていることに対して,1950年代頃までの気候学をこう評している.
教科書の冒頭では,「気候」という用語は気象データの一時的な上下をならした一連の平均値として説明されているー定義からして安定したものなのだ.
あるいは,
大学で気候学者を探すと,地理学科にはいるかもしれないが,大気科学科や地球物理学科にはいなかったのではないだろうか.
なんていうことまで書かれている.
新参者が幅をきかせているどこかの研究院じゃ,地理学は,その存在意義がそもそも認知されていないし,ましてや評価されるなんて夢にも思えないのだけれど,この『科学史』書上では気候学(温暖化科学)の老舗として地理学が認知されているのはせめてもの救いである.しかし結局は「ダイナミックな気候学」に取り残された悲しい学問領域であるというニュアンスが残ってしまうのは悲しい.
また,あいもかわらず,「斉一主義」の間違った側面をことさら取り上げて「安定した気候学」の時代を印象づけようとしているあたりなど,「科学史」書としてはいただけないな,と思う部分も多少はある.その一方で,「最終氷期」に関する注釈(p69)など,あぁこの著者はよく分かっているな,なんて感心するところも多い.
いづれにしても,理論上の概念の発見・(遠い未来に)起こりうる出来事としての発見・はっきりとした影響を与えはじめていて,さらに悪化しそうな現象としての発見,という三つの発見の段階の流れをつかみ,議論の断片のみが取り上げられてセンセーショナルに騒がれたり騒いだりすることへの科学的教養としての免疫を養うには格好の書であろう.
いわゆるモデル屋がどのような精神構造の上に幅をきかせるようになってきたか,とか,一部の活動家がいかに断片的な知識で素人をたぶらかしているか,を知るにも,結構ためになったりするかも.