水俣シンポジウムに思う事
先週末に開催された公開シンポジウム「水俣病に学ぶ市民自治」の収録ビデオを編集している.あともう少し.
その都合上,全ての議論をビデオで聴視することができたのだが,いろいろと勉強になった.そして不満と言うかさらなる欲求も出てきた.
今回のシンポは,学術創成研究費の「グローバリゼーション時代におけるガバナンスの変容に関する比較研究」,まあ平たく言えば「市民ガバナンス」の概念の創出,という枠組みで,「水俣・札幌展」とタイアップする形で行われたわけである.この研究は,シンポを打ちまくって,それを本や報告書にまとめて形に残して行く,という手法をとっているようで,これもそのうち本にでもなるんだろう.
さて,感想としてまず思う事は,シンポを聞いた限りでは「市民ガバナンス」ってことがさっぱり理解できなかった,ということである.水俣のことはなんとなく分かったような気がするけど,じゃ,市民としてのガバナンスはどうあるべきか,どうすればいいのか,ってところが非常に曖昧で,専門家の意見も結局は専門家の域を出ていないし,堂々巡りをやっているような印象を受けた.
それじゃみもふたもないのだけれど,原田正純熊本学園大学教授の人柄に触れられたことは大きな収穫であった.影響力のある本や文献の著者,あるいは功労者として賞賛されている人の姿を拝見し,その物腰しや話し振りを実際に見聞きできるというのは,どの分野でも重要なことだと思う.その上で実際に著書にあたってみれば,その印象も変わってくる.水俣に深入りするつもりはないけれど,あらためて原田教授の著書を読んでみようか,という気になった.
さらには,このシンポの前に開催されていた「北大連続講座」で,細切れに話されていたそれぞれの題目が,原田教授の話で一つにつながったのも収穫の一つである.どちらを先に?と問われれば迷うところもあるが,連続講座の一部として,原田教授の話は聞いておかなければ片手落ちになることだけは確かであろうと思う.
第二に,科学や科学者のあり方,という点については,個人的にはどうしても「コース」のことと切り離しては考えられず,研究科の改革のことともからんで,自分自身に問いかけながら聞いた.
宮沢賢治の「われわれはどんな方法でわれわれに必要なわれわれの科学を手に入れることができるか」という言葉は,小野先生が折に触れてよく引き合いに出す言葉であり,今回のシンポのめざす命題の代名詞ともなっているようであるが,要するに「冷たく暗い科学」をどう「実践的な知識と技術」にしていくか,という問いかけなんである.
この問いかけを,今回のシンポに即して考えるに,冒頭で書いたような「市民ガバナンス」ってことがさっぱり理解できなかった,という聴衆がここに一人でもいる限り,なんら回答になっていないのではないか,と思ってしまうのである.
それはなぜか?結局は,私は社会学も法学も専門としていないので,そのバックグラウンドやその先につながるものが見えないからなのではないかと思う.水俣の構造には,法的・社会的・政治的弱者が被害者になる要素が含まれていることが,一連の講演の随所で指摘されていた.賢治の理想も,学識もなく字さえも読めない農民にとっての科学を創造し実践することにあった.それならば,水俣や「市民ガバナンス」にとっては,私も,水俣の弱者や賢治が対峙した農民たちと同様なのである.
いきつくところ,「市民ガバナンス」や「われわれの科学」を手に入れるためには,最低限の教養とロジックを身につける必要がある,ということだろう.それは,識字率ほぼ100%の国民的ポテンシャルの高さに甘えて,というか立脚しなければ立ち行かない問題でもある.だからこそ,優秀な指導者による,環境教育が重要なのであり,啓蒙が必要なのである.
さて,「コース」あるいは「研究科改革」を鑑みるに,我々が輩出しようとしている人材は,指導的立場として,賢治の農民以上にものごとを理解し実践する能力を身につけさせなければならないわけである.メタの立場に立って冷静に判断できる能力も必要である.原田教授の人柄に倣えば,一つの事を実直に根気強く継続し,信頼されることも重要な要素かもしれない.
はたして,三角関数の応用から教えなければならないような今の院生たちに,そのレベルに到達することを要求することは可能なのだろうか?...はなはだ疑問...
とはいえ,血肉のある,行動する科学者として振る舞うには,まず科学者として成立していなければならないことは自明な事である.一級の論文を書き上げることまでは要求しなくても,他の科学者が書いた論文を読みこなし,分析し,それを噛み砕いて二次資料を作成し,市民に伝える.そいういことができるように訓練することが肝要なのではないかと思う.
これまた小野先生がよく引き合いに出す炭酸ガス濃度の変化曲線にしても,そういう成果が科学者サイドから出ている事を知っていなければ,その重要性に気づく事すらできないのではないか?R.Alley著の「The Two-mile Time Machine」なんて,最低限理解しておくべき基礎知識のうような気もするんだけど,ダンスガード,ボンド,ブレッカーって誰?と言っているようじゃ始まらないよなあ...と思ってしまうのは,我田引水すぎるだろうか? 以上の記述は,科学者や教員のひとりとしてというよりも,「賢治の農民」の一人として書いたつもり.はたして賢治だったら,この疑問にどう答えてくれるであろうか?
野外実習から帰札.ぴーちくぱーちくの4日間.初夏というより真夏並みの天候ですっかり日焼けした.