2113億円

今日は,研究資金を無心する書類書きなど.

道新によれば,北大の総資産額が2113億円と算出されたらしい.ちなみにこの額は,F15戦闘機約20機分に相当する.

農学部や理学部の趣きのある建物はそれぞれ約2億円,構内の木々は一本数百円〜数万円だという.

北大構内で数百年生き延びてきた木,とか,農学部の歴史を見続けてきた外壁のブロック,新渡戸稲造が使った机,なんてプレミアをつければ,こんな価格にはならんだろう.そのへんの差があるところに商売というものが成立する訳だが,なんとも不思議な気分.

独法化で,この資産を元手に資金を調達できるようになるという.逆に,2113億円で北大をまるごと買い取る,なんてこともできるのかな?有志で出資して買い取って好きなようにできる大学にしてしまうのも手かもしれない,なんて考えてみたり...そんな金あれば誰も苦労しないか...


みそあめ

十勝実習のときに,安易に口にほうりこんだみそあめのせいで,歯の詰め物がとれてしまった.

歯医者に行ったら,とれた詰め物はもう合わない,ということで作り直し.

麻酔で口がへんなので,今日はこれまで.


初夏清々

今日で五月も終わり.日も延びて7時を過ぎてもまだ明るい.今夕は,雨上がりのせいか,空気にすがすがしさがただよっていて,緑も映えて,気持ちがよい.実習で一日しゃべていたら疲れたので,早めに研究室を出る.札幌で一番良い季節を実感しつつ,夕日に染まる空を眺めながらゆっくり帰宅.

考えてみれば,この時期に札幌にいるのは久しぶり.昨年はScablandにいたし,その前はエドモントンだったし.

ところで,OCN系に障害が出て大問題になっているようだ.研究科のLANも午前中に例によってまたまたダウン.

めずらしくメンテの人がハブの様子を点検に来ていた.復旧しているのを見て不思議がっていたので,こちらでリセットしたことを伝える.ついでに,これはいつものことであり,頻繁に落ちるのでそっちでもなんとかしてくれ,と言っておいた.

ということで,自分たちでリセットすれば復旧することは分かっているので,また障害がでてもこちらで対処しちゃうんだけど,メンテの人はログが消えるからその前に一応連絡してくれ,と言う.でもねえ,いちいちメンテが来るまで待ってはいられないんだよねえ.それに,リセットすると消えるログなんて...なんにもならんじゃん.


The Two-mile Time Machine

広島より帰札.札幌駅の改札出口で,いきなり「水俣・札幌展」の案内掲示の出迎えを受ける.

広島旅行の間にR.Alley著の「The Two-mile Time Machine」の和訳「氷に刻まれた地球11万年の記憶」(山崎 淳 訳)を読む.2年ほど前に英語の原著が出たときにすかざず読んだ本だが,こういうのを日本語で読めたらなあ,と思っていたので,私にとっては待望の訳本.

この本でAlleyが自らの研究活動の紹介を通して語る,アイスコアからの気候変動復元の詳細は,さまに我々がここ数年,賞賛し,批判し,時には憧れを持って追いつき追い越そうとしてきた研究最前線を行く成果である.

おそらくこの本を書店で手に取る人々の大半は,この分野を専門としない一般人であり,多少なりとも,近年の地球温暖化問題に興味を示す人々であろうと思われる.そういう人々にとって,最も知りたいことは,これから先,温暖化はどうなるのか,そしてそれにどう対処していけばよいのか,という疑問への回答であるに違いない.

本書でAlleyは,気候変動復元研究の最前線で一級の成果を担ってきた研究者として,科学者が明らかにしつつある地球システム科学の成果を,一般にもわかりやすく解説しているのみならず,その結果が世界的な政治・社会を巻き込んだ環境問題につきつける内容について,自分なりの考察を披露しており,一般の読者にとっては,この点が一番読みたい部分であろう.

しかし,Alleyは慎重である.知らないものは知らないと答え,可能性と確からしさについて冷静な判断を下していると思う.あらゆる環境問題について,科学者が取り組むべきプライオリティとか,科学者の社会的責任などがよく指摘されるが,それはまた別の次元の問題であると思う.科学者は科学者なりの役割を十分に果たしており,その成果を現実問題にどう生かしていくか,という問題は,安易に彼らに解答を求めるべきものではない.そのような成熟した市民のあり方を示してくれる上でも,格好の本だと思う.

惜しむらくは,肝心の後半部分の訳が,やや不完全,とういか煮詰め切れていない日本語になっており,科学者の慎重なものの言い回しの中から,読者が独自の判断を導き出そうとするには,やや難があるように感じられる.実際,私自身には,英語の原著のほうがすっきりと頭に入ってくる.ただし,それぞれの言語の持つ論理性やニュアンスの伝え方の違いが,和訳への困難性をもたらしている可能性もあり,一概に訳者を責めることもできないとは思う.

いずれにしても,単なるアイスコア研究の解説本ではなく,その結果をどう解釈し覚悟していくか,という視点にまで言及している点で,環境科学を学ぶ者にとってはまさに格好の入門書であると評したいし,それが日本語で読めるようになったことを喜びたい.

両者を読み比べたい院生がいれば,私の所に両方があるので,貸し出しは可.「アイスコア」を「氷芯」としてしまっている点など,訳しすぎな点もあって,われわれの専門業界からみれば違和感のあるところもあるが,できれば,本著のネタとなっているダンスガード,ボンド,ブレッカー等の原著論文も合わせて読むことで,これをとっかかりにして業界人としての一歩を踏み出して欲しい.


広島

友人の結婚披露宴のため広島入り.修学旅行以来ほぼ20年ぶりの広島.

平和記念公園と平和記念資料館(原爆資料館)を見る,外国人客が比較的長く足を止めるのは原爆開発にかかわるマンハッタン計画のコーナーであるのが興味深い.

吉永小百合のナレーションによる音声ガイドは,なかなか情に訴えるものがあるが,他の言語のガイドはどうなっているのか知りたいと思った.

午後,披露宴に出席.

広島は梅雨入りした模様で,蒸し暑い.


水俣講座終了

野外実習から帰札.ぴーちくぱーちくの4日間.初夏というより真夏並みの天候ですっかり日焼けした.

夕刻,水俣・北大連続講座の最終回.農学部の柿澤宏昭さんの「環境問題の専門家とは誰か、その役割は何か—水俣から学びながら」.

前回の水溜真由美さんの「石牟礼道子と水俣病」は聞いていなかったので,それとあわせて2回分の後処理があるが,これで一段落したので一息.6月5日〜6日の【公開シンポジウム「水俣病に学ぶ市民自治」】があるけど,なんとかしてくれるだろう.


十勝実習

本日より3泊4日の十勝実習.


教室の売り物?

昨日書いた「プロジェクトSCIENCE-X」にも関係するが,北大キャンパスを一般に公開する「オープン・ユニバーシティ」が今年も行われる.夏の開催にむけて,今のうちから研究科の企画を詰めなければなならず,今年からの新企画として「研究室ツアー」を組もう,ということになったらしい.例年のような単なるパネル展示や講演だけではなくて,実際に研究している現場をめぐるというもの.

いかんせん,うちには人に自慢できるような見栄えのする最新の分析機器も化学実験室もない.地図や空中写真を見せても,観客はきっと退屈するだろうし...唯一,というかなんと言うか,対外的な人気者はいるにはいるけど,野外を別として研究室では一般人が想像するような科学者らしき実験行為をしているところはまず見ないし...(他の教員にしても同様だけど)...

私の本音を言えば,大学院の研究室の主役は,分析機械でもビーカーでもなく,院生ではないかと思う.だから,まさに人を育てている,というところを一般にアピールすればよいのではないだろうか.院生室で皆がお茶を飲みながらだべっているところを見学してもらうんだよ.題して「今日はあなたも大学院生」.

なぁんていったら,院生はだれも当日に出てこないだろうなぁ,きっと...なんかいいアイデアはないかなぁ.


プロジェクトScience-X

今日は「キャンパス・クリーン・デー」.

全学一斉に外回りを清掃する日だそうな.冬の間中雪に埋もれていたゴミが出てきて汚れの目立つ季節だから,確かにこの企画は良いかもしれない.でも,いつからこんなのができたんだろう?法人化した影響かな?事前に教授会を通じてまで参加を促すなぞ,たいした気合いの入れ様である.我が講座は,10日も前から出欠を取るまでして協力したつもりだけど,いかんせん,同時刻にゼミがあって,私は結局参加できず.参加されたみなさんお疲れ様でした.

夕刻,水俣・北大連続講座の7回目.田中俊逸地球環境教授の「水俣病と化学」.

プロジェクトScience-X」という構想も出たことだし,連続講座は,その趣旨ではすでに先を行っていると思う.実際のところ,連続講座を聴講している市民の皆さんの意識は相当に高い.講師もタジタジになる質問もよく出る.こういう機会は,研究者側にとってもよいトレーニングになるような気がする.

若者の理系離れとか,子供や市民に...というけれど,学費を払ってまで大学に来ている学生・院生の立場ってのは,どうなるんだろうねえ.少なくとも大学の研究者は,研究室に閉じこもっているわけではなく,日頃から若者である学生に講義をしているわけだし,一定の責務は果たしていると思うんだけど.学生というのは卒業したら社会に出て行くんだし,卒業したてならば,生きの良い研究最前線のことも体感しているはず.果ては子供の親にもなろうというもの.

結局,彼らが社会に出たときに,研究者のことを伝えられない,というか,研究の魅力を学びきらないままに卒業してしまう,というか,そこに問題の根元があるような気がする.それは,ひとえに学生だけのせいではなく教員側にも問題がある.そういう教員がそのままの状態で社会に対して何かをしても,どうなるもんでもあるまい.毎日接している学生が卒業した後に,大学で学んだことの面白さを周囲に吹聴してもらえるようになれば理想的.そういう気にさせるだけの魅力を十分に伝えたり学び取ったりできるかどうか,というところから出発しなきゃはじまらない,と自省を込めて思う.


画像ファイル

ウィルス感染警告への対処,画像ファイルの取り扱い指南,薬品管理用パソコンのセット,蒸留水の補充,ファイル転送用ディスクスペースの設置など.

使っている人はまだ少ないけど,コピー機のスキャナとしての性能が思っていた以上に良いので,PCにつないである共用スキャナは退役させようかな,と思う.コピー機から直接ファイル転送用ディスクスペースに画像ファイルも送れることだし,共用スキャナを退役させれば,スキャン画像を共用PCに置きっぱなしにされることもなくなって,メンテも楽になるはず.

ところで,解像度だとかサイズだとか色の数だとか,画像ファイルの取り扱いって結構面倒だよね.スキャナを使ってる人って,意外に必要以上の大きさで取り込んだままの画像を使っている場合が多い.

最近のPCはメモリも増えたし処理能力も上がったので,大きなファイルもそれなりに扱えてしまうから,必要以上に大きなファイルの弊害に気づかずに済ませられることが多いが,ほんとにそれでいいんだろうか?プログラムにしても,メモリやCPUの性能に甘えて巨大で冗長なコードになっている場合も多いのではないかと思う.

画像ファイルとは別の話になるけど,北大が導入した薬品管理用のページって,小さなモニタじゃ全画面を表示できないデザインになっているんだよね.おかげで,現役を退いた古いマシンを登録用に使おうとした目論見は断念せざるを得なくなったじゃない.これもまた,最近の標準に甘えた設計仕様.貧乏講座にとっては,こういうのは結構つらい.

ひと昔前までは,1MBにも満たないメモリでシステムもアプリも動かしていたんだから,今だって,小さくてキビキビしたシンプルなソフトを作ろうと思えばできないこともないんじゃないか?でも,それにはそれなりの技術力も必要なわけで,それこそプログラマとしての才能が問われる領域になるんだろう.最近は,そういう技術者魂がないというか,ボーダー仕様を上げて楽しようとか,そういう風潮があるように思える.

講座のPC周りのシステムの整備も一段落したし,新しいサーバーの運用のほうもこなれてきたし,これでちょっと一息.今の仕事に失業しても,そのへんのSE的仕事なら雇ってもらえるかも.卒業後にその手の仕事を目指すつもりのある院生は,私の手伝いをしながらスキルを盗み取るべし...といってもたいしたことないけど,講座のシステムがどういう仕組みになっているのか,興味を持って聞いてくる院生が一人ぐらいいてもいいんじゃないかと思うんだけど...


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