なかなか

午前中は前期の私の担当分の最後の実習.

難航のプロジェクトについてメールでやりとり.

学会支部の研究発表会の会場費の支払い.

助成金申請の送付.

今日もこれらでつぶれた.


すりばちやま

爽快な晴天日.掃除・洗濯などで一日を過ごす.

撮り溜めていたビデオの中から「Black Robe」というカナダ映画を見る.カナダ先住民と彼らに布教しようとするカトリック神父との間の確執を描いた作品.カナダの壮大で美しい自然を背景に描かれており,風景を眺めているだけでも楽しめる.

その中に,まるっこい形の山が出てくるシーンがある.紅葉に色づき始めた木々をまとって,湖にその影を映している光景は,感動的なほどに美しい.

実は,その形状は南極リュツォ・ホルム湾沿岸にある「すりばち山」にそっくりで,これは,きっとロッシュムトーネにちがいないと確信した.そして思わず,周辺にS-formがないかどうか,目を凝らしてしまった.どうやら山の周囲には流線型の丘が配列しているようにも見えるんだけど.職業病か...それとも南極ホームシック?

南極では紅葉は望むべくもないけど,もしすりばち山に木があったら,きっとこんな光景になるだろうと思った.このシーンのロケ地が分かれば行ってこの目で確かめてみるのだけど.Shaw教授に聞いてみようかしら.


大局

このところ連続して週末がつぶれていたので,久しぶりに家で休養.

仕事を離れてゆっくりできるかと思っていたけど,やっぱり行き着くのは研究のこと.一つ一つを詰めながら整理していると,普段は忙しさにまぎれてはぐらかしていた大局的なことへと思惑がおよび,それへの対応の必要性を自覚する.

それにしても判断材料となる情報が少ない.できるところから手をつけるか. 


氷芯関連最新トピック

Natureの最新号にのっている,ヨーロッパの連合部隊が南極のドームCで実施したアイスコア掘削プロジェクトの成果報告を読む.

このプロジェクトの成果が公表されたものとしては,これが最初のものだということで,これまでに南極氷床で得られたアイスコアとしては最も古い過去74万年までさかのぼる記録が得られたらしい.重要なのは,現在の間氷期にもっとも近い長さがあるといわれるMIS-11の間氷期を含む記録が得られ,現在の間氷期の良いアナロジーとして有望な資料となりえるだろうということ.

院の受験手続きが始まるのをひかえて,問い合わせが多くなってきた.今日も,メールで数件あり,実際に札幌まで出向いてきた学生もいる.こちらとしては大歓迎.

そういえば,今回のNatureには,本編に加えてFeatureや Viewsの項にも特別記事があるんだけど,どの記事もアレにピッタリな題材だと思った...なんて言っちゃって,ホントに使われたらリークになってしまうんだろうか...私は担当になることはまずないので,無実な身ではあるけど...そういう点では助手は気楽か...

夕刻,学会支部の打ち合わせのためすすきので飲み.


氷芯

今日の昼食から,玄米ごはん.今年度になって,生協の弁当が質・量ともに落ちたので,それへの自衛もかねてスタッフの間ではじめた共同健康策.といっても私はおよばれするばかり.

ビデオ編集をようやく終了.あとは公開のゴーサインを待つのみ.ということで,今夜の残業食は,昼の残りの玄米ごはん.

「氷芯」という検索語で私のサイトに来ている記録を発見.5/30に「訳し過ぎではないか」という趣旨のことを書いたので,「氷芯」ってそんなにポピュラーな語なのか,と気になってネット検索してみた

その結果はというと,アイスコア=氷芯という意味で記述しているページとしては,私の雑感,”Two-mile Time Machine”の訳本からの引用を記述しているページ,そして中国語のページだけがヒット.中国語で「氷芯」が使われていることが分かったのは儲け物だが,やっぱりそんなに一般的に(ましてや学術的に)使われている訳ではないようである.

「グリンランドのヒョウシンで面白いことがわかるそうですね」なんて言われても,おそらく大半の専門家は???となるに違いないので,気をつけましょう.

自分でドブロクでもつくることがあれば,「氷芯」とでも名付けてみようかしら...濁っているから相応しくなさそうだな...泡が入っているところなどはイケそうだけど...ドーム基地産ならぴったりかも...


水俣シンポジウムに思う事

先週末に開催された公開シンポジウム「水俣病に学ぶ市民自治」の収録ビデオを編集している.あともう少し.

その都合上,全ての議論をビデオで聴視することができたのだが,いろいろと勉強になった.そして不満と言うかさらなる欲求も出てきた.

今回のシンポは,学術創成研究費の「グローバリゼーション時代におけるガバナンスの変容に関する比較研究」,まあ平たく言えば「市民ガバナンス」の概念の創出,という枠組みで,「水俣・札幌展」とタイアップする形で行われたわけである.この研究は,シンポを打ちまくって,それを本や報告書にまとめて形に残して行く,という手法をとっているようで,これもそのうち本にでもなるんだろう.

さて,感想としてまず思う事は,シンポを聞いた限りでは「市民ガバナンス」ってことがさっぱり理解できなかった,ということである.水俣のことはなんとなく分かったような気がするけど,じゃ,市民としてのガバナンスはどうあるべきか,どうすればいいのか,ってところが非常に曖昧で,専門家の意見も結局は専門家の域を出ていないし,堂々巡りをやっているような印象を受けた.

それじゃみもふたもないのだけれど,原田正純熊本学園大学教授の人柄に触れられたことは大きな収穫であった.影響力のある本や文献の著者,あるいは功労者として賞賛されている人の姿を拝見し,その物腰しや話し振りを実際に見聞きできるというのは,どの分野でも重要なことだと思う.その上で実際に著書にあたってみれば,その印象も変わってくる.水俣に深入りするつもりはないけれど,あらためて原田教授の著書を読んでみようか,という気になった.

さらには,このシンポの前に開催されていた「北大連続講座」で,細切れに話されていたそれぞれの題目が,原田教授の話で一つにつながったのも収穫の一つである.どちらを先に?と問われれば迷うところもあるが,連続講座の一部として,原田教授の話は聞いておかなければ片手落ちになることだけは確かであろうと思う.

第二に,科学や科学者のあり方,という点については,個人的にはどうしても「コース」のことと切り離しては考えられず,研究科の改革のことともからんで,自分自身に問いかけながら聞いた.

宮沢賢治の「われわれはどんな方法でわれわれに必要なわれわれの科学を手に入れることができるか」という言葉は,小野先生が折に触れてよく引き合いに出す言葉であり,今回のシンポのめざす命題の代名詞ともなっているようであるが,要するに「冷たく暗い科学」をどう「実践的な知識と技術」にしていくか,という問いかけなんである.

この問いかけを,今回のシンポに即して考えるに,冒頭で書いたような「市民ガバナンス」ってことがさっぱり理解できなかった,という聴衆がここに一人でもいる限り,なんら回答になっていないのではないか,と思ってしまうのである.

それはなぜか?結局は,私は社会学も法学も専門としていないので,そのバックグラウンドやその先につながるものが見えないからなのではないかと思う.水俣の構造には,法的・社会的・政治的弱者が被害者になる要素が含まれていることが,一連の講演の随所で指摘されていた.賢治の理想も,学識もなく字さえも読めない農民にとっての科学を創造し実践することにあった.それならば,水俣や「市民ガバナンス」にとっては,私も,水俣の弱者や賢治が対峙した農民たちと同様なのである.

いきつくところ,「市民ガバナンス」や「われわれの科学」を手に入れるためには,最低限の教養とロジックを身につける必要がある,ということだろう.それは,識字率ほぼ100%の国民的ポテンシャルの高さに甘えて,というか立脚しなければ立ち行かない問題でもある.だからこそ,優秀な指導者による,環境教育が重要なのであり,啓蒙が必要なのである.

さて,「コース」あるいは「研究科改革」を鑑みるに,我々が輩出しようとしている人材は,指導的立場として,賢治の農民以上にものごとを理解し実践する能力を身につけさせなければならないわけである.メタの立場に立って冷静に判断できる能力も必要である.原田教授の人柄に倣えば,一つの事を実直に根気強く継続し,信頼されることも重要な要素かもしれない.

はたして,三角関数の応用から教えなければならないような今の院生たちに,そのレベルに到達することを要求することは可能なのだろうか?...はなはだ疑問...

とはいえ,血肉のある,行動する科学者として振る舞うには,まず科学者として成立していなければならないことは自明な事である.一級の論文を書き上げることまでは要求しなくても,他の科学者が書いた論文を読みこなし,分析し,それを噛み砕いて二次資料を作成し,市民に伝える.そいういことができるように訓練することが肝要なのではないかと思う.

これまた小野先生がよく引き合いに出す炭酸ガス濃度の変化曲線にしても,そういう成果が科学者サイドから出ている事を知っていなければ,その重要性に気づく事すらできないのではないか?R.Alley著の「The Two-mile Time Machine」なんて,最低限理解しておくべき基礎知識のうような気もするんだけど,ダンスガード,ボンド,ブレッカーって誰?と言っているようじゃ始まらないよなあ...と思ってしまうのは,我田引水すぎるだろうか?

以上の記述は,科学者や教員のひとりとしてというよりも,「賢治の農民」の一人として書いたつもり.はたして賢治だったら,この疑問にどう答えてくれるであろうか?


大判振る舞い禁止?

学位論文の予備審査二件.うち一件は論文博士.

課程在籍を前提としない,いわゆる「論文博士」は,今後廃止の方向にあるらしい.要するに学位を出す以上は授業料を取りなさい,ということか...審査料じゃだめなんかねえ...

でも,授業料を払ったからと言って,学位が自動的に出るものでもないし...へたすりゃ学位乱発商売やその逆の学位詐欺などにもつながりかねず,最高学府の権威の問題でもあり,そう簡単な問題ではないような気もする.


院生それぞれ

朝から夕方まで実習.それぞれの進捗状況を見ながら,暇そうにしている院生を出さないように気を配らねばならず,なかなか骨が折れる.

お昼休みに,研究集会で来札した石川君とおしゃべり.彼もがんばっている様子.うかうかしているとどんどん先に行かれてしまいそう.

夕刻より,先週末に開催された公開シンポジウム「水俣病に学ぶ市民自治」の収録ビデオを配信用に編集する作業.これは結構時間がかかりそうだ.

雑感の記述内容に微妙に反応して深い気遣いをしてくれる院生がいる.そういう院生にあらぬ心配や誤解を与えないためにも,慎重に推敲して書く必要性を痛感...そういう解釈も成り立つんだねえ...日本語はなんとも難しい.

滞在記の10/26に書いた“Two pseud-creationists wondering where is the nickel a Scots’ man had lost”と題した写真は,今でも大事に研究室に飾ってある.この写真に気づいたある院生が,良い写真だと褒めてくれた.

研究の上でも人生の上でも最も尊敬できる恩人と共に,研究について思いっきり語り合い,これまでの人生の中でも最高に充実した時間を過ごせた,という思い出が,この小さな写真にはぎっしりと詰まっている.だから,自分で撮った写真じゃないけれども,この写真のすばらしさに気づいてくれた院生がいるというのは非常にうれしい.

この写真を見るたびに,恩人に恩返しするためにもがんばって研究しなきゃ,と気合いが入るんだよね...と言いながら,なかなか進まないこの頃...

研究室のあちこちには,そうした「自己啓発」とも「自慢」ともつかない品々がさりげなく配置されているんだけど,なかなか気づいてもらえないもので,披露する機会がないのがちょっと寂しい.


日本画

息子の授業参観に出席するため上京.

昨日まで好天で暑かったのが,雨でクールダウン.関東は梅雨入りしたとのこと.先週は広島で梅雨入りしたし,行く先々で梅雨入りしてしまう雨男ぶりを発揮.

東京に出たついでに,日本橋高島屋で開催されている千住博氏の展覧会に行く.メンデンホール氷河上に降り立って取材までしたという,日本画ではめずらしい氷河を題材にした最新作が目当て.何の前知識もない6歳の息子が,会場を先回りして「すごいのを見つけた」とわざわざ報告してくれるほどのすばらしい作品.

息子に氷河についてあれこれ説明しようかとも思ったけど,野暮なことはやめにして,彼なりに感じ取った「なにかスゴイもの」のほうを大切にしてやろうと思った.


良識が死んだ日

開学記念日.研究科のソフトボール大会.そしてソフトボール大会打ち上げジンパ.

初夏のイベントを楽しんでいる間に永田町ではとんでもないことに...あまり政治のことは書きたくないけど,今回の強行採決だけは我慢がならぬ.おまえら,ほんとにそれでいいのか?


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