黄砂
朝,車が真っ白に.普段でもめったに洗車しないので汚れているのだけれど,汚れかたが尋常じゃない.ここで調べてみたら,深夜に黄砂がふったらしいことが判明.
日々の雑感一覧
今年度初回の研究院アワーで越冬の報告.聴衆には南極経験者も多く,自分も一言,というのを持っておられる方々の前で話すのは緊張する.
座長の高田先生からの質問(というか指摘)…充分に噛み砕けていないかもしれないけれど,たぶんこんな趣旨.
いろんな分野でも長期的にデータをとってレポートを出す仕事は存在しているけれども,それに満足してしまって,新しいなにかを生み出すために新たな要素を付け加えていくような何かがなかったり,有機的なつながりになっていないことも多い.南極観測50年の体制ではどうか?
聴衆のみなさんはこの点に「その通り」と感じられたところがかなりあるようだけれど,私はあまり的確に応えることができなかった.この点に関しては思う所がいろいろとありすぎてまとめきれなかったせいもあるが,あとから考えてみると,いつの間にか観測隊側の立場になってしまっていたような気もする.いつも極地研側の姿勢を批判しているのに,その立場に自分が陥ってしまている罠なのかもしれない.
私は,誰かに納得してもらったり共感してもらったりする趣旨で話すよりも,「それってどうなの?」「違うんじゃない」「私も一言」と感じたり考えたりしてもらうようなやり方を指向するほうなので,質問というよりは聴衆の主張を引き出せたという意味では講演は成功だったかもしれない...と自己完結しているところ.
「南極...ふぅーん」で終わらずに,こういう面白い議論がしっかりできてしまうところが,やっぱり北大のポテンシャルなんだろうと思う.
二日後にひかえた講演のプレゼン準備.学会支部の連絡網整備など.
一年前の今日の記録をみたら,「悪天のため南極大学を休講」とあった.天候により休みになる講義とはなんだろう?と一瞬疑問に思ったが,初のA級ブリザードが来て外出禁止令が発動され,講師が観測棟にトラップされていたためだったと思い出した.
これでプレゼンのシメのフレーズを決定.
連休最終日.
心身ともに活動度が低い.何にしても投げやりな気分.沸々とわいてくるものがない.具体的な目標ではなく,追い求める星の話がしたい...
どこにもでかけられず家でくすぶっている息子をキロロへスキーしに連れ出す.残雪は思いのほか多く,春霞がかかった空に余市岳や飛行場方面の山々が白く輝いていた.
ザラメの斜面も快適.足慣らしに林間コースに入ったら,他に滑っている人がいなくて貸し切り状態.自重で前進するのにまかせてゆっくり降りていく.野鳥のさえずりや林間を抜ける風の薫りに包まれて,至福の快感に浸ることができた.これでたき火でもしながらキャンプできたら最高なんだけどなぁ...
息子は東京育ちで,小学校に入るまではゲレンデに出たことがない.もちろん父子でのスキーも今回が初めて.越冬している間にスクールに通って鍛えたらしく,ほとんどの斜面をついて降りてこられるようになっていたのには驚き.
今日の気温は6月中旬並みだったとか.確かに,札幌近郊の山が一気に黒さを増したような気がする.
連休後半に入るも,ウダウダ.これからのフィールドシーズンに対応すべく,南極から持ち帰った荷物の整理をかねて,野外装備を整理.
34次越冬時の支給品もまだ残っていたりするけれど,使用頻度はそれほど高くないまま47次支給品と一緒にケースに収まることになった.もったいないので捨てずにとってあるものたちなのだけれど,南極観測支給品で帰国後の北海道でも使おうと思うようなものは少ない.個人的な趣味に合わないとかそういうことではなく,使い勝手とかそういう問題.
快晴.北大構内の樹木が日ごとに若葉の芽をのばしつつあるのがよくわかる.
オーストラリアですっかり遊びきってしまった我が家は,この連休の遠出はなし.退屈している息子を相手に北大構内でキャッチボール.南極に出かける前にはまともにボールを投げることもできなかったのに,いつの間にか鋭い直球を投げられるようになっていた.
男の子らしく最低限やらせておいたいことがたくさん思い浮かんできた.でも,近所の空き地で友達と…という機会もなかなかない環境でもあるし,相手をしてやる必要性を痛感.
教育再生会議が,大学院への内部進学者を制限する方針を出したそうだが,これってどうなんだろう?うちは,もともと学部がないので100%部外なわけで,その意味ではすでに優等生な訳だけれど,大半の大学の設備や教員や環境が均等に整備されている状況じゃないと,うまくいかないだろうと思う.
それに,数値目標で縛るのは不幸の連鎖を起こすだけではないだろうか.奨学金制度,学生・院生の社会基盤的保護,移動にかかるコストの保証,生活環境の整備など,学生・院生の生活にかかる状況を総合的に考えないと,どこかで大きな歪みが生まれるのは必定.外部へ進学すれば良いことがある,と思わせるような動機付けを作っていくほうが重要なように思う.
学部で特色のある教育・研究をしているころほど,部外に行き場所がないという状況も起こりうる.たとえば,極地や氷河の研究など,日本ではかなり特殊な部類に入るので,学部時代から子飼に育てても,内部進学の規制に引っかかって行き場を失うことにもなりかねない.
下手に特定の分野や特殊性に染めてしまうような学部教育よりは,むしろ,何にでも通用するような無色・透明の基礎教育をしっかりやってくれるような学部(大学)を選択しておいたほうが,特殊性を極めた大学院をめざす学生にとっては有利な状況も生まれそうな感じもする.
まあ,うちなんかは,院生リクルートが活発になる状況としては何も変わらないんだけどね.
特色あるなんとか,となれば,今話題の野球特待生の問題も気になるところ.高野連って別に行政組織でもなければ裁判所でもなく,ただの野球組織の連盟にすぎない.そこににらまれたからといって,悪いことをしているかのように報道されたり批評されている高校はかわいそうだ.
一連盟にすぎない団体の古めかしく時代遅れの理念に,特色を出そうとする高校の努力としての特待生制度がそぐわないのであれば,高野連のいちゃもんなど放っておけば良いのだ.高野連に賛同しなくても野球はできる.そういう高校が集まって第二高野連を作って,たとえば「札幌ドーム杯」みたい目標を設定すれば良いではないか.一つの連盟に高校野球のすべての胴元をにぎらせているほうがおかしい.異なる理念の野球連盟がいくつもあってもよいのである.ちなみに,インターハイに野球がないのは高野連にすべてをにぎられている高校野球界の不幸を如実に表している.
高野連は単なる連盟にすぎないとはいえ,現実問題として唯一の胴元として影響力が大きいだけに,彼らが特待生制度を否定しているその姿勢が,一種の指針を高校生につきつけていることに自身で気づかねばならない.それは,野球以外のすべてのスポーツや芸術や学業で特待されている高校生やその関係者からの反発を買うことも覚悟すべきであろう.いいかげん,野球だけが特別だという意識は捨てたらいかがだろうか.
息子とキャッチボールをしながら,子供たちの熱意を純粋に育てる難しさについて,つくづくと考えてしまった.
息子との約束を果たしに滝野まで.どうせ混むのはわかっていたので,開園前に着いて早々に引き上げる予定で出かける.
滝野の丘陵はまだ残雪が結構あるので,公園の全域はオープンしていない.日差しは暖かく町中よりもひんやりした空気が快適.
園内ではイベントで昔の遊びや芸をやっていた.芸人が「昭和の昔をなつかしんで」と呼びかけていたが,平成生まれの息子にはまったくピンとこない様子.なんで今日が休日なのかも知らなかった模様.
そもそもなぜ昭和だけが記念して休日になっているのだろう?その意味は薄れても,連休が維持されていることだけは,確かにありがたいことではある.
三連休の初日.妻が急用で上京してしまったので,上の息子と留守番.
うららかな日より.越冬中の写真を整理したり買い物をしたりして過ごす.かつては観測隊から帰国した後に支給されていた資料整理費がないため,研究費にも余裕のない身としては自腹を切ることも多く,なかなかつらい.