法政大での仕事 一覧

休日出勤

入試シーズンがスタートしました。今日は本部に控えているだけの役回り上の仕事で休日出勤です。
 解放されたあとに研究室に戻って、自宅の食器棚からくすねてきたティーカップにアールグレイをいれて一服。ふと、このティーセットが、うん十年前に妻の友人から結婚祝いに贈られたRoyal AlbertのCountry Roseだったことを思い出しました。この歳になっても自分ではなかなか手が出ません。

年末仕様の執務室

朝晩はそれなりに冷え込むようになりました。ハロウィンも終わったところで執務室を年末仕様に仕立て直しました。最近は長めにXmasの飾り付けを楽しむ人も増えているそうです。マントルピースがあると季節に応じていろいろ楽しめます。窓の外が雪景色だともっと良いのですけど多摩キャンパスは紅葉すら始まっていません。今年は富士山の初冠雪もまだのようです。

冬休み明けの卒論提出締切日まであと2ヶ月。今日はいつも詰めている執務室から研究窟へと場所を移して、ゼミ生と卒論原稿をにらめっこしながら2時間の個別指導となりました。

逃避の「読書窟」

仕事上では一難去ってまた一難の繰り返しです。行き詰まったりやる気が出ないときはこの「読書窟」へ逃避してリフレッシュすることを心がけています。
 この窟はほぼ全てありわせのもので創出しました。最も高価なのは南北両極の自然を描いたフェラガモのスカーフ。大昔(新婚の頃)に妻が買ってくれたもので、数年前に額装しました。それに次ぐ珍品はパタゴニアで買ってきたペンギン柄に仕上げてあるシープスキンかな。あとはヤフオクや百均でちょこっと買い足したしただけで、意外に安普請です。それでもこの窟を出る頃にはリボーンの気分になれるのがなんとも不思議なのであります。


林床に丸い緑

ちょっとずつ落ち葉が舞い始めた多摩キャンパスの林床に丸い緑が出現していました。ナラ枯れした木が伐採されて空が開いていました。切り株からは孫生えも。

「昭和60年度 社会学部 卒業生有志一同」と銘が入ったずっしりと重い置き時計。執務室の片隅で朽ち果てそうになっていたのをクリーニングし、狂った動きしかしなくなっていた機械部を最新の電波時計に入れ替え、執務室の特等席におさまっていただきました。多摩キャンパスは今年で40周年を迎えますがS60(1985)卒といえば移転時は3年生なので、ほぼ最後の市ヶ谷世代でしょうか?

夏仕様から秋仕様へ

10月に入ったというのにまだ蒸し暑いですが、執務室を夏仕様から秋仕様へ衣替えしました。なんちゃって暖炉に火を入れてオーナメントで秋を演出。今回あらたに置いてみたマントルクロックはMade in Italyのビンテージ品です。時計が機能しないジャンク品として格安でヤフオクに出ていたものをゲットして手持ちのガラクタ時計からムーブメント部品を移植して復活させました(もともと入っていた機械部にはGermanyの刻印がありました)。寒冷地仕様の体を持つ身としては冬が待ち遠しいです。

晩夏の学部長室の昼下がり

 晩夏の学部長室の昼下がり。キーボードを打つ手を休めてふと目を窓の外に向けると、ジブリの世界に出てきそうな入道雲が立ち上がっていました。まだまだ、大気は湿り気をたっぷり含んで30度を超えていますが、高尾山麓を吹き抜ける風にちょっとだけ秋の気配を感じるようになりました。
 学部長室があるこのフロアは、多摩キャンパスで最も高い位置にあります。学部棟のこのフロアを学生たちが気軽に利用できるように共用の展望ロビーとして開放すべきなのじゃないか、という気がしてきました。バスで駅と構内地上部との間だけを行き来している彼らは、自分たちが通っているキャンパスの地理的位置をはじめとして、その環境がいかに恵まれているのかに気づいていない(気づけていない)に違いないのです。

襟裳岬に熱風

ゼミ合宿最終日。普段なら真夏でも冬の香がする襟裳岬に、フェーンのような熱風が吹いていました。この先の荒波を乗り切るためにもう少し充電期間が欲しい気もしますが、とりあえずこれで私の夏休みは終了です。

日高山脈国立公園制定記念式典

十勝平野でのゼミ合宿2日目は中札内村を中心に日高山脈関連の場所を訪問しました。ちょうど村の文化創造センターで日高山脈国立公園制定記念式典が開催されるというので、その講演会の部を聴講するのがメインイベントでした。その前には日高山岳センターにも寄ってしっかり予習もしてきました。どこでも「北大山岳部」関連の展示がその場を席巻していたのが印象的。
 講演会では、若手の飯田君がペテガリ山頂から歴舟川河口までを人力で下るという最新の山行を報告していましたが、その内容はなかなかのもの。砂防ダムなどの人工構造物が皆無という、昨今の日本では非常に希有な存在となった自然河川だからこそ可能な企画だと思います。後半の松田さんのお話も「日高山脈登山史〜AACHの栄光と悲劇〜」とでもいえるような内容で、すっかり聞き入ってしまいました。東京育ちのうちのゼミ生たちには今後のゼミ活動にむけておおいに刺激になったようです。

北海道の始祖開拓者

誕生日のお祝いをいただいた皆様どうもありがとうございました。今年もゼミ合宿で北海道に来ています。日高山脈が国立公園になったことを取り上げて、ゼミ生たちに様々な社会学的問題に切り込んでもらいます。まずは十勝開拓の祖「依田勉三翁」とAACHの大先達「坂本直行さん」にご挨拶に参りました。幸いなことに悪天予想が大幅に外れて、夏らしい好天候に恵まれました。

「氷河地質学伝道」のための曼荼羅

この春から学部の役職についたのでゼミ以外の授業は免除されているのですけれど、それが決まる前から依頼されていた大学院の集中講義だけはやらざるを得ず、久しぶりに本業の「氷河地形」と向き合う「濃い5日間」を過ごしました。
 シラバスに指定した教科書は岩田先生の「氷河地形学」。東日本大震災の年に出版されて、もうあれから13年もたってしまいました。この書評を頼まれて研究室のワープロに向かっていた最中に、あの揺れがちょうどやってきたのでした。
 かつて私が別の洋書を書評した際に筆が滑って「古くさい教科書はいらない」と書いたために、岩田先生はこの教科書の執筆を一時は断念しようとすら思った、という衝撃的なことが前書きに書かれているのです。3.11発生当日の私は、岩田先生がご自身の逡巡を乗り越えて無事にこの大著を出版されたのを目の前にして、かつて生意気なことを書いてしまった言い訳をつらつらと書き出していた最中だったのでした。そんな、はずかしくも世紀の大災害と重なった思い出深い私の書評は、J-Stageのこちらで読むことができます(https://www.jstage.jst.go.jp/…/4/84_377/_article/-char/ja)。
 さて、肝心の講義のほうですが、地理学を専攻する大学院生という、普段やっている社会学部の授業に比べたら100倍くらいガチな場を与えられて、この激務の合間に乗り切ることができるかどうか非常に心配でした。でも蓋を開けてみれば、かつて北大でやっていたときの感覚もすんなりもどってきました。自分の本来の研究にたちかえることもできて、心地よい時間を過ごすことができました。さらに、岩田先生のこの大著も、年月の流れにはあらがえずに古くなってしまっているなぁ、と感じるところも多々あり、最新成果を取り入れた改訂の必要性も感じたりしています。こんなことを書いてしまうと、じゃぁお前がやれ、という声が飛んできそうで怖いのですけれど...
 そういうわけで、集中講義では、この本以降の最新成果も取り込んで、というところも意識しながら授業を進めました。私の研究室には、この前の南極越冬明けに広報担当としてやってきた「ふじ」の学芸員である山口真一さんが撮影した写真をひきのばして飾っています(こうして、タペストリーにしておくと、南極授業や講演会などの際に背景にしたりもできるので重宝しています)。最初にしらせの上でこの写真を見せてもらったときに、科学写真としても第一級の作品だと直感的に思いました。この写真はSNSで大変好評を博していて一般にも受けがよい傑作なのですけれど、ちゃんとこの写真を解説できている説明は残念ながらまだ見たことがありません。
 講義の中では、この写真一枚だけをスクリーンにずっと投影させて、小一時間ぶっつづけでしゃべりたおしました。氷河地質学の専門の目で見れば、それでも語り尽くせないほどの情報量とストーリー性を持っている作品だと評価しています。小一時間しゃべった内容をまとめたら、短い論文一本分ぐらいにはなるかもしれません。
 かつて立山信仰の伝道師たちは、山に登ることができない信者たちのために、立山周辺を天国と地獄にみたてた曼荼羅図を携えて布教に回ったといいます。このタペストリーはいわば「氷河地質学伝道」のための現代の曼荼羅なのだという気持ちでいます。自分の実家の稼業をどうするかはまだ未解決ですけれど、伝道師としての血筋は争えないのかもしれません。

1 3 4 5 6 7 8 9 12