日没

正月2日から,スカルブスネス・西オングル・スカーレン・テーレン,と渡り歩いた20日あまりの露岩調査の旅を終え,22日にしらせに帰還,23日に昭和基地入りを果たした.

image白夜の夏も終盤となり,20日ごろから真夜中の一時間ほどだけ太陽が沈むようになった.これからドンドン夜の時間が増えていく.南極はもう秋だ.

グリーンフラッシュでも見られるかな,と期待して冷え込むしらせの甲板でレンズを構えていたら,日没後におもしろい光が撮れた.水平線の太陽から伸びる赤い光の柱がそれである.

image夜,ともなれば主役は月.夕日に染まったラングホブデの名峰「長頭山」に半月がよりそっていた.

「長頭山」のこの独特の形ができたプロセスには,未解明な部分も多く残されており,氷河地質屋としての私の興味を最もそそる山なんだけど,そんなやぼな話はあとにして,まずは深夜の南極がおりなすの美しい姿をお届けしたい.


謹賀新年

あけましておめでとうございます.本年もどうぞよろしくお願いいたします.

二日酔い.しらせのベッドで新年の朝を迎える.しらせの年頭行事ののち,記念撮影.

三段重ねのおせち料理,ミニチュアの樽酒,しらせワインなど,とても一日では消化しきれない量の元旦食が配布される.

夏宿組は,連日の作業の疲れもあって,早々にしらせを後にして昭和基地に帰還.総隊長はじっくりしらせでの新年を味わいたかったようであるが,夏宿組の気持ちを尊重して帰還させた模様.

我々も,明日からの野外観測に備えて,午後は睡眠不足解消に努めることにする.


除夜の鐘

夏宿組は,新年を迎えるためにしらせに帰還.

忘年会や無礼講の行事でしらせの中はらんちき騒ぎ.

日本にいるときは決まって富山の実家で除夜の鐘をつくことになっている.南極でもなんとかその慣例を保とうとおもっていたが,幸いしらせの04甲板に鐘が用意されていた.これで心おきなく新年を迎えられる.


澤柿三号

本日は夏宿の当直日.当直業務の一つであるお昼ご飯の片付けを終えてから,越冬隊長指命による特殊任務で海氷上へ向かう.

image現場に着いて愕然としたのは,特殊任務に使用するのが前回の越冬で2本も水没させたのと同じブツだったこと.私の胸中にイヤーな予感がプンプンと立ちこめる.結果は案の定...澤柿三号と命名されることになった.一応,大晦日の明日,回収を試みることに.

写真:精悍でかっこいいのが越冬後の46次隊.後ろの気のいいおじさん風の人物が我が47次越冬隊長.


昭和基地再訪

日本の皆様ご無沙汰しておりました.昭和基地から久しぶりの雑感更新です.

imageこれまで,しらせにのって南氷洋を越え,我がD論発祥の地「ルンドボークスヘッタ」での野外調査を実施するという約一ヶ月の行程を経て,ようやく昭和基地内にある「夏宿」という飯場の労働者になったところです.昨夜までは,四夜連続の徹夜の氷上輸送作業でした.

基地の母屋のほうは,2月1日の越冬交代まで前次隊の管理下にあり,我々47次隊は用事がない限り自由に出入りは出来ません.ということで,本来ならば,本丸入場をはたして我々が天下をとったところでこのBlogを再開しようと思っていたのですが,本日,思いがけず越冬隊長から,本丸で開催される戦普請への同行を申し渡されて,本丸初入場を果たしてしまいました.実に13年ぶりの再訪です.

image「本丸」とは,基地の中心となる「管理棟」のことで,私が前回越冬した34次から使い始めた建物です.当時,34次越冬隊は,新居での越冬生活を満喫する栄誉に浴することができたのですが,それから13年を経過した現在,再訪した管理棟には新しい居住棟や発電棟が連結されていて,内部もすっかり使い古され,当時の面影はすっかりなくなっていました.

世の中には,古くはなっているけれども,年月を経ただけの厳かさや味が出てくる建築物があります.その一方で,使いこんでいくうちにただ古びていくだけ,という建物もあります.最近の建築物は,近代的ではあるけれども,ただ古びていくだけという建物が多いような気がします.例えば北大でも,農学部や旧理学部(現博物館)の建物は,年を重ねるだけ味が増していくように思えますし,工学部や地球環境の建物などは,ただ醜く古びていくだけ,という部類に入るのではないでしょうか.

昭和基地もその例外にはもれず,前回の越冬で満喫できた管理棟の新しさと近代性も,内部をみれば,今はただただ,醜悪な姿をさらしているだけのように私には思えました.これを昭和基地再訪の第一報としなければならないことを,非常に残念に思います.

13年前にも,昭和基地開設当時から残存していた通信棟や旧食堂棟など,古びた建物はたくさんありました.しかしそれらは,厳しい南極の自然と孤立した環境のなかで戦ってきた観測の歴史や伝統を伝えるかのように,威厳と趣をしっかり保っていたように思います.また,往年の観測事業の歴史を物語る建物と基地近代化のシンボルである管理棟との混在,というコントラストが,南極初体験だった当時の私にとって,南極観測事業の歴史に思いを馳せる意味で,非常によい刺激になったのだと改めて思い直しました.逆に,ただ醜悪さを増していく基地に,今後どれだけの隊員たちが歴史や伝統や先陣の苦労に思いを巡らせることができるのだろうか,と疑問に思えてきます.

もちろんそうはいっても,少しでも快適な越冬生活を実現しようとされてきた35次以降の歴代観測隊の方々の努力があったことは確かです.それは尊重しなければなりません.その「現代的」昭和基地でこれから一年間を過ごすことになる私としては,醜悪化に最初の手を染めた一員であったことへの自戒の念も込めつつ,せめて,先達の努力と工夫の跡を注意深く発見する二度目の越冬生活を展開していきたい,と決意を新たにしたところです.

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行ってきます

image 28日の成田出発をひかえて,明日,札幌を出ます.すでに飛行機でドーム入りして掘削を始めているJARE47越冬隊員もいることを考えると,今まで日本でぐずぐずしていたのが申し訳ないくらいなのですけれど,とりあえずは,本隊出発までこぎ着けることができました.

ここ一週間ぐらいの立て続けの壮行会で,ようやく気分的にほんとに出かけるんだなぁと言う気になってきました.送り出してくださった多くの皆さんに心より感謝いたします.

「楽しんできて」と声をかけてくださった方も多かったのですが,本当の楽しみや喜びは,全力を尽くして苦労して,その先に得たほんの小さな成功に見いだすものなのではないかと思います.実際,与えられた任務,今回の隊の中での自分の立場,計画したプロジェクトの実効性の困難さなど,どれをとっても大きなものであり,「それじゃ楽しんできます」とお気楽に構えているわけにはいきません.

もちろん,皆さんからの言葉は,そういう気持ちを和らげるようにとの意味なのでしょうから,温かいお心遣いとしてありがたく頂戴いたします.

しらせ乗船中から夏作業中は,ネットを自由に使える環境にありません.2月に越冬交代して昭和基地でJARE47が天下を取ったら,現地の様子を随時この雑感でご報告したいと思います.

それでは行ってきます.


南極OB会

離札をあさってに控えて,引き継ぎをしようにも引き継ぎ相手がいないという情けない状態なので,とりあえず研究室内の書類整理と部屋の掃除で時間を費やす.

夕刻,南極OB会北海道支部の会合でJARE47の概要について紹介.その後,私のために壮行会を催していただく.

出席者はホントにOBの名にふさわしい大御所ばかり.「宗谷」時代の御仁もいらっしゃって非常に恐縮するも,AACHのOBも多く,気の置けない仲間の会合という雰囲気に助けられる.

あらためて南極観測に関わる北海道勢と北大勢を概観すると,その貢献度や人材の豊富さに圧倒される.JARE47の中だけでも,隊長を筆頭に北海道に関係した隊員は全体の約2割を占めることに気づく.南極観測50周年記念事業も,この勢力をうまく生かさない手はない.

南極を志すようになって 30年.これまで,菊池徹さんや故佐伯富男さんをはじめとして,観測隊草創期から活躍された多くの伝説的で偉大な先達と世代を越えた親密な交流をしていただくようにもなった.本や映画を通じてのみ伺い知る遠い世界にいる人々への少年の憧れとして出発した時期から思えば,その南極観測のド真ん中にいてそういう人たちに送り出される今の自分の立場が不思議にさえ思えてくる.出世欲も種々の葛藤も投げ打って南極に賭ける人生も悪くないな,と思う.

帰り際に研究室に寄ったら,部屋に残っていた院生たちに記念撮影をせがまれる.指導を放棄して南極へ逃亡するふとどきな教員にここまでしてくれる彼らに,申し訳なくもありがたく感謝する次第.


中間発表

地圏専攻のM2中間発表後半.

体調を崩してしばらく見かけず心配していたM2がぶっつけ本番で発表.けっこう冷や汗もの.一応,今日の発表者は全員通過.

夕刻,M2のご苦労さん会と私の壮行を兼ねた飲み会.


家族サービス

出発前最後の家族サービスをしておこうと,苗穂にオープンした巨大ショッピングモールに向けて出発するも,北7条東9丁目に向かう道路は,東西南北どれも数キロに渡って渋滞.こりゃ無理だ,ということでスゴスゴと退散.


日本人とフロンティア

「日本人とフロンティア」という検索アクセス記録があったので,エドモントン滞在記に2001/12/14に書いた記事をここに再掲する.

12月14日(金)

今日は1911年にRoald Amundsenが南極点に立った日で90周年にあたる.Robert Falcon Scottがたどり着いたのは1か月後の1月17日.私と同様に浄土真宗の寺の長男として生まれた白瀬 矗(Nobu Shirase)が大和雪原(やまとゆきはら)と命名した地点(S80’05”,W156’37″)を引き返したのが1月28日.村山隊長率いるJARE9が日本人ではじめて南極点に到達したのは1968年12月19日で,JARE43をのせた今年のしらせは今日現在まだ昭和基地にも到着していない.

yukihara.gifあらためて地図で確認したところ,大和雪原はロス海に浮かぶ棚氷上にある.でも棚氷だと分かったのは最近のこと.加納一郎著『極地の探検』によれば,白瀬は,外務大臣に宛てて「南極で日章旗を立ててきたところは日本の領土であるからこれを政府に寄付する」という文書を出し,その後もたびたび大和雪原を日本領土と宣言するよう要望したが,政府は全くとりあわなかった,という.「海上じゃ領土にもできまい」と当時の政府が考えていたはずはないが,まあ日本とは当時から先見性が皆無な国だ.だが白瀬という個人がいたこともまた事実.白瀬は戦後GHQにまで嘆願していたらしい.ロス棚氷の東岸に白瀬海岸の地名がつけられているのは幸い.「やまとゆきはら」のほうはというと...

ところで,棚氷って領土を主張できないのだろうか?大陸だってマントルの上に浮いた氷みたいなもんだし,西南極なんかは氷を取り除いてしまえば海面下になるんだぞ.また余談だが,現在の日本の南極観測基地は大陸とは離れた小島にある.これも,国の完全バックアップのもとにJAREが組織されたわけではないという経緯に由来するといってもいいだろう.だがそれでも昭和基地を越冬基地に仕立てた(1957年1月29日で奇しくも白瀬と一日違い)JARE1の隊員個人個人には大きな敬意を表したい.そう考えながら検索していたら,日本人とフロンティアというページを見つけた.

  • アフターレポートの重要性
    ーう〜んなかなか鋭い(*).
  • 地誌データの整理と積み上げが植民地経営の基礎だった
    -この日誌も「日本の自立」に役立つかも?(12/10を参照のこと)
  • 人間のフロンティアへの挑戦に対する最大の罪は「熱狂と忘却」ではないか?
    -う〜ん,特に猿岩石と白瀬を4票差にするような日本人にはこれもまた然り.

100_dollar.gifそういえばHoffman教授が,講演の冒頭で,安定地塊のティライトについて早くから注目していた人としてDouglas Mawsonを紹介していた.南極探検に人生をささげ,Ernest H. ShackletonのNimrod Expeditionで南磁極へ到達したりRobert Falcon Scottの極点旅行を断って海岸線を明らかにする旅につくなど,死に直面しようともあくまでも地質学者としての本分を貫いた人だ...そういう人を紙幣の肖像に採用する国もあるというのに...でも新渡戸さんも好きだよ...

久しぶりに極地探検の本を読みたくなった.そこでAmazon.comに立ち寄ったらたくさん出てきて困ってしまった.これこれなどは特に面白そう.“Customers who bought this book also bought”に紹介されている本もまた同様.


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