この季節に大雪.晴れ着の卒業生・修了生には大変な日よりとなった.
出て行く前に,それでも学会発表はすませていきたい,という修了生のために,ギリギリになってポスター印刷.こういうときに限って紙切れ.
夕刻に突然院生に誘われて飲み会.これで四夜連続.
かつては,院生ともなれば,自分の能力は別として,いっぱしの研究者気取りで「研究に対する意識のうえでは教員とも互角だ」ぐらいに思っていたもんだと思うが,最近の院生はどうもそうではないらしい.ほめすぎてもけなしすぎてもいろいろ問題が出る.達成度みたいなものをきちんと正当に評価してあげられればよいのだろうけど...指導とはなんとも難しい.
でも,今夜は修了生達と胸襟を割って話すことができて良かった.自分でもかつては同じように修論やD論でやったことの評価に不安を抱いたり悩んだりしていた時期があったことを思いだすことができた.そのことを思えば,今夜吐露された修了生たちの気持ちは至極まともなんである.
そういう私だって,いまだに自分の仕事を自己評価し,評価されることを強要される状況にある.職業柄,人を評価する立場であると同時に,評価される重圧に耐えながら過ごしていく日常であると言ってもよい.そういう人生を選んだ以上は仕方のないことなんだけど,逆に,そういう世界で過ごしているうちに,評価ということに対して擦れてきていたところがあるのかもしれない.今夜は若い人たちがどういう評価のされかたを欲しているのかを知ることができて,我ながら初心を取り戻すことができた.
修了生たちの研究成果は完全ではないかもしれないし,内輪受けはしたけれども本質的なところではどうなんだ?と問われて言葉につまってしまうこともあるかもしれない.そう言っては修了生達に怒られるかもしれないが,けれども,修論生たちがかいま見せてくれた可能性に心躍らされたところがあることだけは確信を持って言える.
その夢を一緒に確実なものにしていくための研究パートナーとしての関係を築いて行くことができれば良いに越したことはないけれど,社会に出て行くことを選んだ彼らにそれを言っても詮無いこと.悩みつつもなにかをやったという実感を得てここを出て行ってもらうのが,大学院教育を生業としている者の一番の楽しみでもあり喜びでもある,としなければならないわけだ.
残された者としては,その後始末というか,彼ら・彼女たちの思いを形にしていく責務がある.良い夢を見させてもらったら,それだけ別のたいへんさを引き受けていかなければならない,ってことなのかもしれない.
「さん」じゃなくて「先生」とよぶ院生がほぼ100%になってしまったことにふと気付く.私が院生だった頃からの古株も今期ですっかりいなくなってしまったし,院生と共同戦線を張る若手助手の時代ももう終わってしまった.でも,「先生」と呼ぶ彼らに触発されて初心にかえって考え直すことは続けていきたい.それは,ループする人生ではなくてスパイラルする発展系の加齢過程であるんだろうけど...
修了者のみなさんの今後のご発展を祈念しております.