内職
集会2日目.調査チームの速報公開のため,プレゼンを聴きながら内職.
遠方からの参加者を3Dの世界にご案内.
懇親会に突入しても内職.
集会2日目.調査チームの速報公開のため,プレゼンを聴きながら内職.
遠方からの参加者を3Dの世界にご案内.
懇親会に突入しても内職.
ヒマラヤ・GLOFに関する研究集会.今日から3連チャン.
早朝になんとかプレゼン資料を完成させて臨む.
さるところにしかけられた誤解の罠にすっかりはまってしまった私。
地元郷里で小学校教員をしている愚弟から、普段はほとんど連絡しないのに、早速以下のメールが来た。極地研の懇親会からホテルに戻る道すがら、彼が教える児童にもわかるように、ほろ酔い加減で返事を書いた。一風呂あびてさるところをみたら、返事したのと同じ見解が示されていて一安心。
兄へ
立山の氷河の発見(確認?)ですが、ちょうど1週間ほど前に福井先生の講演を聞いていたのでなるほどそういうことかとなんとなくわかったつもりでいたのですが、ブログにあったゲテモノって、どういうこと?
ゲテモノの意味ですが、立山は、同じ緯度のおなじ標高という条件で比べた場合、本来氷河が存在できない場所にあります。それがゲテモノの意味です。
たとえば、生態学的にペンギンが棲息できないようなところでペンギンが発見されたとしたら、それは、その発見されたペンギンが特殊な適応力を持っている、と考えるか、あるいは、これまで考えられてきた常識を超える何かさえ満たせばペンギンはどこでも生きていける、と考えるか、さもなければ、その場所にペンギンが生きていける何か特殊な条件が整っているのではないか、と考えるかです。
地理学的にみると、ヒマラヤから東に向かって氷河の分布線を伸ばしてくると、日本にかかる手前で線が途切れて、カムチャッカまで飛びます。途切れること自体は気候学的に考えても自然なことで、だからこそ日本に氷河がないことになっていてもだれもが文句を言う人はいませんでした。
ところが、今回の認定によって、世界地図の中の一本の線として立山の周辺に氷河の分布線が引かれることになりました。そうすると、非常にいびつで奇抜な場所に線があることになってしまうのです。でも、福井君が調べて明らかにしたように、氷河学的にはちゃんと氷河の条件を備えていて、ごく普通の氷体なんです。ペンギンでいえば、南極にいるペンギンをそのまま富山に連れてきて生かしておくことができる場所が見つかった、というのとおなじ状況なのです。
そうすると、立山には、他の地域にはない何か特殊な条件があるのではないか、と考えざるを得ません。その条件を明らかにしておかないと、今後もしどこかでペンギンが見つかったとしても、それイコール南極、という方程式を適用できなくなってしまうのです。例外【的】であることは、はたして本当に例外なのか、それとも普遍的にも適用できる秘められた条件があるのか、その見極めが必要になってくる、ということなのです。
特に氷河期の氷河を復元しようとする研究では、氷河学の常識に従ってその復元の妥当性を検討しますが、現場の証拠と理論の示すところとがどうしても合わなくなることもでてきます。その時に、理論が間違っているとするか、現場の証拠の解釈が間違っているとするか、あるいは、例外的な特殊なものにたまたまぶちあたった、とするか、判断しなければなりません。
一つの発見は新たな問題提起の始まりだという典型的な例だともいえるでしょう。
さるところで、「本州で野生のヒグマ発見、程度のこと」と書かれてしまいまいましたね。取材した記者さん、尋ねる相手をまちがえてますよ。
見つけた本人たちがその意義をちゃんと解説するのがいいんだろうけど、彼らの説明もあまり上手じゃない。少なくとも私はすごく意義のあることだと思っているし、その回答も用意できるのだけれど…
最低限確認しておかなきゃいけないことは、その氷はだれもが見ることができるところにずーっと昔から存在していたわけで、即物的な【新発見】ではない、ということ。それが氷河であるかどうかの【発見】は、正確には【確認】あるいは【検証】されたという意味に置き換えて語られるべき、なのだと思う。
実はその先に、これが【ゲテモノ】かもしれない、という可能性を秘めている点が重要で、それ故に氷河の理想像や一般化をめざしている向きには【おぉ、すごい】にしかならないのだろうとも思う。
理想像や一般化だけではこの世界は説明しきれない。ゲテモノからのアプローチも必要なのである。そこが私が用意できる回答のミソ。地理学の真髄と言ってもよいかもしれない。
極地研出張中にiPadで投稿してみた。この程度の文章でもなんとなくストレスがたまるかな…いうことで、ゲテモノ論考についてはまた今度。
自らの果たすべき貢献を考えることは、知識の段階から行動の段階への起点となる。問題は、何に貢献したいかと思うことではない。何に貢献せよと言われたかでもない。何に貢献すべきかである。
ドラッガー
朝から予備審.連続5件.そのさなかに室堂で雪崩事故発生との第一報.最後の2件は欠席させてもらって,出動体制支援のため研究室で待機することに.
明日から極地研.
明日の予備審にむけて最終調整.
マンション管理組合総会のため途中で退席.
今夜は感動した.最終回という単独の作品に限って言えば,近年の大河ドラマでの中でピカイチのできだったと思う.
オープニングからしてあの世での再会を暗示.中岡慎太郎が現れるあたりから,知っている人には分かるある種の『危機感へのフラグ』というべきものが立ち上がる.一時は慎太郎こそが“張本人”かとも思わせたり...そして問題のシーンへ.大事を成し遂げて次の事へと夢を馳せる龍馬が,不意の混乱のうちに血まみれとなる.
「ワシは,この命を,使いきれたがかえ?!」
この言葉に,人が死ぬときの思いのありようを見たような気がした.
ということで,ブータンの山中で聞いていたラジオ深夜便での対極論を思い出したので,ここにメモとして書き出しておくことにする.
『世の人はわれをなにともゆはゞいへわがなすことはわれのみぞしる』-龍馬
『人の世はよしあしごともいわばいえ賤が誠は神ぞ知るらん』-松蔭
『西へ行く人を慕うて東行く 我が心 神や知るらん 』-晋作
どうでもいいことだけど,香川照之(弥太郎)と市川亀治郎(暗殺者)が向き合うシーンは,まるで鏡をみているかのようだった.
さて,「わがなすことはわれもしらない」私は,どうやって生きていこうか...
山岳館のネット周りの補修.設置してからもう6年目.機械にガタが来るのも当然か.
その後,休日出勤で予備審にむけた検討.
午前中に帰札.次のプレゼン準備.