南極OB会

離札をあさってに控えて,引き継ぎをしようにも引き継ぎ相手がいないという情けない状態なので,とりあえず研究室内の書類整理と部屋の掃除で時間を費やす.

夕刻,南極OB会北海道支部の会合でJARE47の概要について紹介.その後,私のために壮行会を催していただく.

出席者はホントにOBの名にふさわしい大御所ばかり.「宗谷」時代の御仁もいらっしゃって非常に恐縮するも,AACHのOBも多く,気の置けない仲間の会合という雰囲気に助けられる.

あらためて南極観測に関わる北海道勢と北大勢を概観すると,その貢献度や人材の豊富さに圧倒される.JARE47の中だけでも,隊長を筆頭に北海道に関係した隊員は全体の約2割を占めることに気づく.南極観測50周年記念事業も,この勢力をうまく生かさない手はない.

南極を志すようになって 30年.これまで,菊池徹さんや故佐伯富男さんをはじめとして,観測隊草創期から活躍された多くの伝説的で偉大な先達と世代を越えた親密な交流をしていただくようにもなった.本や映画を通じてのみ伺い知る遠い世界にいる人々への少年の憧れとして出発した時期から思えば,その南極観測のド真ん中にいてそういう人たちに送り出される今の自分の立場が不思議にさえ思えてくる.出世欲も種々の葛藤も投げ打って南極に賭ける人生も悪くないな,と思う.

帰り際に研究室に寄ったら,部屋に残っていた院生たちに記念撮影をせがまれる.指導を放棄して南極へ逃亡するふとどきな教員にここまでしてくれる彼らに,申し訳なくもありがたく感謝する次第.


中間発表

地圏専攻のM2中間発表後半.

体調を崩してしばらく見かけず心配していたM2がぶっつけ本番で発表.けっこう冷や汗もの.一応,今日の発表者は全員通過.

夕刻,M2のご苦労さん会と私の壮行を兼ねた飲み会.


家族サービス

出発前最後の家族サービスをしておこうと,苗穂にオープンした巨大ショッピングモールに向けて出発するも,北7条東9丁目に向かう道路は,東西南北どれも数キロに渡って渋滞.こりゃ無理だ,ということでスゴスゴと退散.


日本人とフロンティア

「日本人とフロンティア」という検索アクセス記録があったので,エドモントン滞在記に2001/12/14に書いた記事をここに再掲する.

12月14日(金)

今日は1911年にRoald Amundsenが南極点に立った日で90周年にあたる.Robert Falcon Scottがたどり着いたのは1か月後の1月17日.私と同様に浄土真宗の寺の長男として生まれた白瀬 矗(Nobu Shirase)が大和雪原(やまとゆきはら)と命名した地点(S80’05”,W156’37″)を引き返したのが1月28日.村山隊長率いるJARE9が日本人ではじめて南極点に到達したのは1968年12月19日で,JARE43をのせた今年のしらせは今日現在まだ昭和基地にも到着していない.

yukihara.gifあらためて地図で確認したところ,大和雪原はロス海に浮かぶ棚氷上にある.でも棚氷だと分かったのは最近のこと.加納一郎著『極地の探検』によれば,白瀬は,外務大臣に宛てて「南極で日章旗を立ててきたところは日本の領土であるからこれを政府に寄付する」という文書を出し,その後もたびたび大和雪原を日本領土と宣言するよう要望したが,政府は全くとりあわなかった,という.「海上じゃ領土にもできまい」と当時の政府が考えていたはずはないが,まあ日本とは当時から先見性が皆無な国だ.だが白瀬という個人がいたこともまた事実.白瀬は戦後GHQにまで嘆願していたらしい.ロス棚氷の東岸に白瀬海岸の地名がつけられているのは幸い.「やまとゆきはら」のほうはというと...

ところで,棚氷って領土を主張できないのだろうか?大陸だってマントルの上に浮いた氷みたいなもんだし,西南極なんかは氷を取り除いてしまえば海面下になるんだぞ.また余談だが,現在の日本の南極観測基地は大陸とは離れた小島にある.これも,国の完全バックアップのもとにJAREが組織されたわけではないという経緯に由来するといってもいいだろう.だがそれでも昭和基地を越冬基地に仕立てた(1957年1月29日で奇しくも白瀬と一日違い)JARE1の隊員個人個人には大きな敬意を表したい.そう考えながら検索していたら,日本人とフロンティアというページを見つけた.

  • アフターレポートの重要性
    ーう〜んなかなか鋭い(*).
  • 地誌データの整理と積み上げが植民地経営の基礎だった
    -この日誌も「日本の自立」に役立つかも?(12/10を参照のこと)
  • 人間のフロンティアへの挑戦に対する最大の罪は「熱狂と忘却」ではないか?
    -う〜ん,特に猿岩石と白瀬を4票差にするような日本人にはこれもまた然り.

100_dollar.gifそういえばHoffman教授が,講演の冒頭で,安定地塊のティライトについて早くから注目していた人としてDouglas Mawsonを紹介していた.南極探検に人生をささげ,Ernest H. ShackletonのNimrod Expeditionで南磁極へ到達したりRobert Falcon Scottの極点旅行を断って海岸線を明らかにする旅につくなど,死に直面しようともあくまでも地質学者としての本分を貫いた人だ...そういう人を紙幣の肖像に採用する国もあるというのに...でも新渡戸さんも好きだよ...

久しぶりに極地探検の本を読みたくなった.そこでAmazon.comに立ち寄ったらたくさん出てきて困ってしまった.これこれなどは特に面白そう.“Customers who bought this book also bought”に紹介されている本もまた同様.


健診

学内規定だかなんだか知らないけれど,長期海外派遣職員健康診断というのを受けろというお達しにより,早朝からL-Plazaへ出かける.昨夜に深酒をしたので結果が心配なんだけど,今さらどうなるもんでもないし,南極へは出かけてしまうんである.

image日曜日に取材を受けた新聞に記事がのりました.

この記事について解説・補足しておくと,

  • 「公募」での名目上の私の担当は「地圏(極域衛星)」である.
  • 記事中の「通信衛星」は,適切には「観測衛星」.
  • 「準星からの電波受信」とは11/16に書いたVLBI観測のことで,私は受信を粛々と行うオペレータにすぎず,そのデータを使ってプレート運動を解析するのは測地学屋さんの仕事.
  • さらにVLBIは「準星」からの電波を受信する作業になるので,厳密には「極域衛星受信」ではない.もっとも,用いるアンテナが衛星受信用のものなので「極域衛星」担当隊員の仕事になる,という感じで,この点は極地研や観測隊内でも正確に理解されてはいないかもしれない.
  • 実際に「極域衛星」なるものからの信号を受信する仕事は,「N/Sバンド」と呼ばれる信号を使った,NOAADMSPの受信である.これまでは合成開口レーダーも受信していたが,JARE47では今のところ受信計画はない.

以上は,実際に取材を受けた私のチェックが甘かったために見逃した不備であり,記者にはあまり責任はない.むしろ,短い時間で地域・社会欄の記事としてここまで簡潔に要領よくまとめる力には,さすがプロ,と感服している.やっぱり,専門でない請け負い仕事の部分にボロが目立つ感じで,本業に関する内容でコメントしておくべき点は少ないし,今後のネタに残しておこうとも思う.ホントは「氷河」は「氷床」がいいんだけど,一般にはあまり通じそうにないし,これでいいっか,ってとこかな...

オヤジのことが出ているのは,「サワガキ」という珍しい姓に関する地元富山のローカルな事情に関係している.実は「サワガキ」姓を名乗る一族は全国で我が一家だけであり,この姓は地元ではオヤジのことを指すほどで,私とは決定的に知名度が違う.このため「オヤジが南極へ行く」と報じる記事だと誤解されないようにデスク側の配慮があったのではないか,と推測する次第.


帰札

image札幌へ戻る.

さわやかな秋晴れの朝日をあびて,心の山・立山連峰が新雪に輝いていた.機上からもばっちり.こんなに見える機会はめったいない.山も壮行してくれているようで,すばらしい眺めを心に焼き付ける.

札幌に戻って,すぐにゼミ.最後まで面倒をみられないのが申し訳ないが,M2の皆さんの健闘を祈る.

夜,札幌の山仲間が壮行会を開いてくれた.デロデロに酔った元JARE隊員を介抱しつつ,しばしの別れを惜しむ.


訪問

実家に帰省している都合で,南極行きに関して母校の中学校と地元新聞記者の訪問を受ける.


温泉

image父の古希祝いと私の壮行を兼ねて一族で温泉旅行.

ぶりおこしがやってきて,紅葉の山に新雪が積もる.





帰省

夕刻,郷里へ帰省.

富山空港で,はじめて右ドアから飛行機を降りた.


多い日

朝から,来客・問い合わせ・依頼・打ち合わせ,と,人や電話やメールが沢山やってくる.

その中の一つで,さるところから,さる会合でJARE47の話をするようにと言われ,急いでプレゼン資料を作成するハメに.


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