人気のない広島平和記念公園



どしゃ降りの早朝、人気のない広島平和記念公園で、静かに手を合わせています。
原爆ドームは、世界遺産登録から今年で30周年を迎えるそうです。
昨夜開催された大学校友会の支部総会に出席するため、数年ぶりに広島へ出張しました。
そして今日は、アメリカの建国記念日。独立から250年の節目でもあります。
現在の世界情勢を思うと、この場所で、そしてこの日に、考えさせられることがいくつもあります。

梅雨もいよいよ真っ盛り

夏至も過ぎ、梅雨もいよいよ真っ盛り。  昨年、研究棟の裏で挿し木しておいたアジサイが、今年はじめて花をつけました。まだ控えめな咲き方ですが、雨粒をまとった姿はなかなか健気です。花が終わったら地植えにして、来年はもう少し盛大に咲かせてやろうと、今からたくらんでいます。
 役員室まわりも、ありあわせのもので七夕仕様に少しだけ模様替え。短冊、笹、朝顔、アジサイ。気がつけば、梅雨から盛夏へ向かう季節の気配が、廊下の片隅にも入り込んできました。  大きなことはできなくても、季節のしつらえを少し置くだけで、無機質な空間にも人の気配が戻ってくるような気がします。
 さて、短冊には何を願いましょうか。来年のアジサイの大盛況、というのも悪くありません。


南極観測70周年記念事業第2弾

ささやかながら、寄付させていただきました。

持ち帰った地学棟

越冬隊長を務めたJARE63の越冬明けに解体された地学棟ですが、持ち帰った解体部材でこんな検証がされていたとは。ドリフトに埋まらずに湿気がない状態だったのが良好に維持された要因だそうです。これはなかなか興味深い結果です。
 二年前の極地研究所50周年記念のクラファンの返礼品では、旧電離層棟の外壁の破片をもらって手元に持っています。建屋の立地条件としては地学棟もほぼ同じですし、使われている部材もそんなに違いはないはず。


新しい沼

新しい沼に踏み込んでしまいました。「沼」とはいいながら、それは、湿気が大の苦手で、作業中にウンチはするし、写真のようなシュールな使い捨ての助っ人を作り出すし、といったシロモノなのです。お気づきの方はもうご存じと思いますが、DIY業界で今もっともホットなエリアのひとつ「3Dプリンター」という沼にはまってしまったのです。
しかも、はまり方がよくありません。この週末はほぼ24時間稼働。気がつけば1kg巻きのフィラメントリールをすでに一本使い切ってしまいました。最初に作ったのは何だったかというと、これがまた情けないというか、実に3Dプリンターらしいというか、プリンター本体が造形前後に吐き出す余分な樹脂、いわゆる「ウンチ」を受けるための poop box でした。つまり、本体を買った直後にまずやることが、その本体の排泄物を受け止める箱を作ることだったわけです。
さらに使っているうちに、工具を掛けるホルダー、フィラメントを導くガイド、掃除しやすくする部品、隙間を埋めるカバーなど、何かにつけて本体の使い勝手を向上させる部品を自分で作る必要が出てきます。いや、「必要」というより、そうしたくなるんです。どうやらこれは、3Dプリンター界隈の文化の一部でもあるらしい、ということがだんだん分かってきました。
3Dプリンター導入の表向きの理由は授業で使う地形の3D模型の作成ということですが、最も大きな動機は、先日来お伝えしてきた、40年ぶりに実家で掘り出されたOld Macにありました。40年ぶりにでてきたMacを現代風に復活させてあげようと、少しずつ工作を始めたところだったのです。リノベの工程でどうしても造形が必要な部品が出てきたので自作しようと思い立ち、ちょうど手頃な値段で入手できるようになった人気機種に手を出してしまいました。  3Dプリンターを使い始めてみて、造形のノウハウやテクニックを自習するうちに、RepRapプロジェクトが掲げた “Wealth without Money” という思想に行き当たりました。自分で作る機械が、次の自分を作る。誰かが設計図を公開し、それを別の誰かが改良し、さらに別の誰かが自分の環境に合わせて作り替える。3Dプリンターの世界は、単なる工作機械の世界ではなく、オープンソース文化のかなり濃い地層の上に成り立っているのだと知りました。
考えてみれば、私が3Dプリンターで最初に作った poop box も、その延長線上にあります。メーカーが用意した完成品をそのまま使うのではなく、「ここが少し不便だな」「この隙間に箱がほしいな」「この向きに部品があれば楽だな」と思った瞬間に、世界中の誰かがすでに似たようなものを設計し、公開していて、それを少し直して自分の机に合わせる。あるいは自分で作って、また誰かのために置いておく。この文化では、プリンターは単にモノを出力する機械ではありません。自分自身の周辺環境を少しずつ作り替え、使い勝手を改善し、さらには自分自身の部品まで作っていく機械です。買った時点では未完成で、使いながら育てていく。そこが、どうにも沼らしいのです。  3Dプリンターの情報を集めていくうちに、その流れの中に MakerBot という名前が出てきました。かつては RepRap の精神を受け継ぐ、オープンソース・ハードウェアの象徴のような存在だったものが、やがて商業化の過程でクローズドな方向へ舵を切っていった、ということなのだそうです。その経緯を読んでいると、技術が「みんなのもの」である時期と、「商品」として磨き上げられていく時期との間には、いつも微妙な緊張があるのだなと思わされます。  最近の3Dプリンターがここまで使いやすくなった背景にも、同じような技術の蓄積があったといいます。高速で動くヘッドの揺れを制御し、振動を読み取り、機械自身が自分の癖を補正していく。あれっ、どこかで見たような技術だな、と思ったら、ドローンの姿勢制御や手ブレ補正の世界にもつながっていました。空中で機体を安定させる技術が、今度は、今目の前の机上で樹脂を積み上げる機械の中に入り込んでいる。さらに、空を飛ぶための制御技術が、こうして私の手元で、Old Macの筐体の中に収まる小さな部品を作っているわけです。
今まさに実感している最先端の使いやすさは、オープンソース・コミュニティが長年積み上げてきた知恵の上に構築されています。けれど、それが製品として洗練されていくほど、ブラックボックスも増えていく。MakerBotの歴史にも、DJI的な制御技術を背景にした新興メーカーの躍進にも、そのたびに「これは誰の技術なのか」という問いがつきまとっているようです。  便利さの向こう側に、共有と囲い込みのせめぎ合いがあるんだなぁ。そう考えているうちに、ふと、この4月に地平線会議の定例報告会で聞いた「ちえん荘」の話を思い出しました。「ちえん荘」というのは、北海道で若い人たちが共同生活をしていた場の名前です。地平線通信の5月号に、その報告会の感想を書かせてもらいました(https://www.chiheisen.net/_tsushin/_tsus2026/tsus2605.html)。そこで私が考えていたのは、「同じ釜の飯を食う仲」とは何か、ということでした。制度でも、貨幣でもない。けれど、知恵や手間や失敗や食卓を持ち寄ることで、人はまだ別のつながり方ができるのではないか。そんなことを考えさせられた報告会だったのでした。  3Dプリンターのオープンソース文化にも、それに近いものを感じます。設計図だけが流通しているのではない。うまくいかなかった話、失敗した出力、誰かが書き残した設定値、試行錯誤の痕跡までが、見えない共同生活のように積み重なっている。世界中の見知らぬ人たちと、同じ釜の樹脂を融かしている、と言ったら少し大げさでしょうか。
写真に写っている黒い奇妙な残骸は、その意味でなかなか味わい深いものです。これは完成品ではなく、3Dプリンターが造形中の部品を支えるために作った「サポート材」です。完成品を成立させるためだけに生まれ、役目を終えるとむしり取られて捨てられる。普通なら無造作にゴミ箱行きになってしまうものです。けれども、よく見てやると、橋脚のようでもあり、仮設足場のようでもあり、深海生物の骨格標本のようでもあり、それらに刹那の芸術性を私は感じてしまいました。
実は、こういう使い捨ての「足場」がなければ、オーバーハングや橋梁のような空中に張り出した形は、積層式の3Dプリンターでは作れません。表に出る完成品の陰には、必ずこうした仮設の「支え」がある。これは工作だけでなく、知恵やコミュニティにも同じことが言えるのではないかと思いました。それは設計図に示された緻密なものではなく、サポート材が偶然に生み出す刹那の芸術なのかもしれない、なんて哲学的なことまで考えてしまいました。
さて、Old Macのほうは、外側は懐かしいベージュの箱のままです。40年前の筐体の中に、現代の液晶タッチパネルと小型PC、そして3Dプリンターで作った部品が収まろうとしています。もはやMacintosh Plusというより、何か別の生き物の内臓のようです。こうして古いMacを復活させるために最新の3Dプリンターを使う。その3Dプリンターの背後には、RepRapの理想があり、MakerBotの転回があり、ドローン由来の制御技術があり、オープンソース・コミュニティとの複雑な関係がある。机の上で小さな部品を作っているだけのつもりが、気がつけば、技術と共有と所有をめぐる現代史の断面に触れていました。
写真をご覧いただくと分かるように、いま私の机の上には、大・中・小・極小のOld Macが並んでいます。かつて「パーソナルコンピュータ」と呼ばれたものが、いまや掌に載る模型になり、さらにその模型を作るための部品を、自分の机の上で出力できる。40年前には未来そのものだった箱が、今度は未来の工作機械によって再解釈されているわけです。時間が、入れ子のように折り重なっている感じがします。 古い筐体の中に、新しい部品を入れる。 失われた部品を、誰かが公開した知恵を借りて作り直す。 完成品の陰で、黒いサポート材が黙って支える。 そして、その過程そのものが、どこか「ちえん荘」的な共同性を帯びてくる。
大・中・小・極小のOld Macたちを眺めていると、これは単なるレトロ趣味ではなく、時間の層をつなぎ直す作業なのだと思えてきました。そしてどうやら私は、またひとつ、深い沼のほとりに立ってしまったようです。しかもこの沼は、樹脂の匂いがして、時々ウンチをしながら、過去と未来と、見知らぬ誰かの知恵をつないでいることを、いつも思い起こさせてくれています。


『海の水位の科学史』

たしか「山の高さ」という本はあったけれど、「海の水位」のことをちゃんと書いた本はなかったかも...最近出た『海の水位の科学史――基準点0をめぐる不安定な歴史』を読みながら、まずそう思いました。読了後にみた訳者あとがきにも、「(翻訳者から見る)本書の最大の難所は、類書がない、ということだった」とあって、なるほどこれは訳す側にとっては大変だっただろう、と思う一方で、読む側の私には、この一文がとても腑に落ちたのでした。
 私は地形学を学び、気候変動研究にたずさわるなかで、氷期・間氷期サイクルにおける海面変動、そしてその主要因である氷河・氷床の変動を考えてきました。その過程で、「海水準」というものの扱いにくさは、ずっと身にしみて感じてきました。海面は一見すると、地球上のどこにでも広がる水平な基準面のように思えます。しかし実際には、潮汐、気圧、風、海流、地殻変動、重力場、氷床変動、さらには観測点や測定期間の取り方によって、その意味は大きく変わってしまうことに注意が必要です。これは「海の水位」が、自然現象でありながら、同時に人間が定義し、測り、制度化してきたものでもあるからなのです。
 本書で強く印象に残ったのは、海の水位という一見確固とした自然事象が、時代ごとの科学者や技術者によって定義され直し、理解のされ方を変えてきたという点がしっかりと分析されていたことです。人々は測定機器や技術を競って改善し、科学論争を繰り広げ、さらには海の水位をもとにした基準を植民地統治の手段として用いてきていました。本書で明らかにされているのは、測るという行為が、単に自然を客観的に写し取ることではなかったという点なのです。何を基準とするのか、どこをゼロとするのか、誰の観測を正統とみなすのか。そこには科学だけでなく、国家、制度、権力、技術、そして時代の欲望が入り込んでいるのだと、あらためて考えさせられます。
 冒頭に書いた「山の高さ」とは、じつは鈴木弘道氏著の『山の高さ』という書のことです。そこに記述されている山の標高もまた、自然にそこにあるようでいて、実は測定の方法や基準面によって成り立っていました。また、そもそも山の高さはどこから測られているのかを考えると、結局は海の水位、すなわち基準面としての海が立ち現れてきますので、より本書の意義が深まってきます。
 また、「測る」という営みをめぐっては、ほかにも印象深い本があります。ダニエル・ケールマンの『世界の測量――ガウスとフンボルトの物語』では、世界を測ろうとする近代科学の野心とロマンが描かれていますし、ケン・オールダーの『万物の尺度を求めて――メートル法を定めた子午線大計測』には、普遍的な尺度を作ろうとする人間の壮大さと危うさが刻まれています。また、日本の近代化という文脈では、吉田春雄氏の『メートル法と日本の近代化――田中舘愛橘と原敬が描いた未来』も思い出されます。尺度を統一し、標準を定め、測る単位を国家の制度に組み込むことは、富国強兵の近代化とも深く結びついていました。測ることは、知ることであり、支配することであり、国をつくることでもあったのでした。
 研究室の書棚に鎮座するこうした本の背表紙を眺めていても、「海の水位」そのものを正面から扱った本は、たしかにあまり思い当たりません。山の高さを語る本はあった。地球を測る人々の物語もあった。メートル法をめぐる近代国家の物語もあった。けれど、すべての高さの出発点であるはずの海面そのものを、歴史的・思想史的に問い直す本は、思いのほか少ないようです。訳者のいう「類書がない」という言葉は、あまりにも基本的なものが、実はこれまで正面から語られてこなかったということを示しているようにも感じました。
 もう一つ印象的だったのは、本書が読み物として面白いだけでなく、第一級の学術書でもあるということです。最初は、海水準をめぐる科学史の読み物として気軽に読み始めたのですが、巻末には参考文献や索引がしっかり整備されており、途中から「ああ、これは単なる科学読み物ではない」と姿勢を正しました。測地学、地理学、地質学、潮汐学、地球物理学、さらには宇宙測地学にまで関わる問題が、膨大な史料とともに組み立てられています。読みやすいけれど、扱っている射程はかなり深い本です。
 実際、海水準という言葉は、地形学でも気候変動研究でもごく普通に使います。しかしそこには驚くほど多くの専門領域が折り重なっています。どの海面を指しているのか。どの時間スケールの変動を見ているのか。地殻の上下動をどう扱うのか。氷床の成長や融解による海水量の変化と、重力場や地殻の応答をどう切り分けるのか。私自身も、氷河・氷床変動と海面変動という研究テーマを追求していくなかで、これらの周辺諸分野にはいやおうなく向き合わざるを得なくなっていました。
 一方、ゼロメートルとは何か。平均海面とは何か、そもそも平均するとはどういうことか、といった問いは、いわゆる「理系分野」としての地形学や測地学の専門的な問題であると同時に、科学が世界をどのように測り、秩序づけ、説明してきたのかを問う、人文社会学的な「科学史」そのものの問いでもあります。「哲学と地理学は諸学の母」という言葉がありますが、まさにそんな感じです。社会学部に所属しているということもあるのかもしれませんが、この年になってくると、研究現場の最前線を追うこと以上に、哲学的・科学史的に自分の来し方を見返したくなる気持ちが強まってきているようにも思えます。
 海はただそこに広がっているのではなく、人間によって測られ、名づけられ、平均され、基準にされ、時に権力の道具にもされてきた。すべての高さの理学的な基準であるはずなのに、それそのものが社会の動きのなかで揺らぎ、作られ、更新されてきました。「海の水位」という一見シンプルな対象には、科学の測定や定義化の一方で、人間社会としての世界認識にどのように影響してきたのかを描き出す「科学史」の要素がつまっていました。本書はそれに真正面から取り組んだ、第一級の研究書だったのでした。
 なにごとにつけ、「基準点0」は、決して安定したゼロではありませんね。むしろ、そこには科学者たちの格闘と、国家の思惑と、植民地支配の影と、そして地球を理解しようとする人間の切実な営みが重なっています。今はそんなことを授業で教えたいなぁ、と思っています。

実家監視システム

実家に仕掛けてきたVPN接続の遠隔サーバーを経由して、最近注目されているスマートホームの仕組みを使った「実家監視システム」を構築しています。この週末はぐずついた天気が続いたので、これ幸いと終日PCとにらめっこ。おかげで目がしょぼしょぼです。Geminiやチャッピーの助けを借りながらですが、なんとなく要領がつかめてきました。
 そもそものきっかけは、今は施設に入っている老爺が、まだ在宅中だった頃に設置した見守り用の遠隔カメラや、水の出しっぱなし、照明のつけっぱなしを防止するための遠隔スイッチなどを、なんとか有効活用したいと思ったことでした。ただ、予想以上に早く進行してしまった認知症に対応するため、当時はかなり場当たり的に機器を導入していました。そのため、ハード面はSwitchBot、Apple、Google、Aqara、IKEA、某Ali製品など、見事に多国籍・多陣営状態。さらに通信方式も、Wi-Fi、Bluetooth、赤外線、RF、Matter、Threadなど、なかなかの混成部隊になっています。
 ということで、今取り組んでいる実家スマートホーム化プロジェクトの基本方針は、どれか一つの陣営に固めることにはこだわらず、バラバラに導入してきた機能を、できるだけ統合して使えるようにすることです。そのために導入したのが、最近注目されているHome Assistantというシステムです。とりあえず使えるところまでこぎつけた、自宅側と実家側の中央管制コンソールの画像を貼っておきます。紫は自宅HAサーバーで実家のデータも少し遠隔で転送して取り入れています。青は実家のHAサーバで遠隔で自宅に送り込めないカメラライブ配信などの要素も配置。電力消費量やプリンタのインク残量などの統計値も使えるようなので、それらも取り込んで、まだまだこれを進化させる予定です。
 思えば、昭和基地でも同じようなことをやっていました。20年前の越冬時には、基地の主要エリアから離れたところにある水素メーザーを監視するためにネットカメラを設置し、機器の液晶画面に表示される数値を読み取ったり、データ収録用PCをなんちゃってKVMで遠隔操作したりしていました。一旦悪天になれば、外出が制限されてしまう世界です。通路でつながっていない観測棟に閉じ込められることもあれば、逆に、何か機器に不具合があっても、居住区からすぐに対応に行けないというもどかしさもありました。
 今では衛星回線を使って、日本にいながら南極基地の機器を遠隔操作できてしまう時代になりました。とはいえ、内情としては、いまだにPC-98やN88-BASICで動く機器が残っているような、妙にレガシーな世界でもあります。そういう環境を現代風にリノベーションすることも、この前の越冬では、隊長職のかたわらで少しずつやってきました。
 結局のところ、昭和基地でやっていた「離れた場所の機械をなんとか見守る」仕事を、今度は実家相手にやっているわけです。対象が水素メーザーから台所の照明や水道に変わっただけで、やっていることの本質はあまり変わらないのかもしれません。ケーブルや電波やVPNの向こうにあるのは、機械の状態だけではなく、そこに積もってきた暮らしの気配です。
 離れた場所にあるものを、離れたまま見守る。それは南極で覚えた技術でもあり、今は老いた実家との付き合い方でもあります。南極帰りの知恵が、まさか実家のスマートホーム化に活きるとは思いませんでした。

記憶とは何か、気概とは何か

連休中の実家の片付けで掘り当てたMacintosh Plusですが、東京の研究室に送って、久しぶりにケースを開けてみました。実はこの筐体を開腹するには、奥まった穴の先にあるネジを外すための「なが〜いトルクスドライバ」が必要です。そんな専用品もなぜか自分の工具箱にはいっていたりします。こういう「専用道具」を後生大事に取ってあるあたりに、我ながら、Macユーザー40年歴の業の深さを感じます。
 開腹してまず見てみたかったのは、噂に名高い、筐体の内側に刻まれたMacの製造スタッフたちのサインです。量産品の裏側の、外からは決して見えない場所に、作り手たちの痕跡がそのまま残っている。伝説のサインを実際に目の当たりにしてみて、これは単なる工業製品ではなく、「自分たちの作品を世に送り出す」という気概の時代だったのだな、と胸を打たれました。そして、このコンパクトな筐体の中に、ブラウン管、ロジックボード、電源基板が驚くほど密に詰め込まれているのを見て、「よくこれをこのサイズに収めたな……」と感心することしきり。
 ケースの内側に隠されたサイン群を見て、南極基地の梁に残された歴代観測隊の銘板のことをふと思い出しました。「ここに、確かに人がいた」という痕跡であり、南極観測を絶やさずにつないできたリレーランナーたちの存在の証でもありました。それらを見るたびに、自分たちも先輩たちに負けず、基地と観測を守り抜かねば……と、気持ちを引き締めたものです。噂によれば、そうした銘板の類いも、近年の基地改修の過程ですっかり一掃されてしまったのだとか。時代の流れといえばそれまでですが、せめて誰かの手元に、記憶として戻っていてくれたら、とも思います。
 Mac Plus開腹の儀に際して、記憶とは何か、気概とは何か……そんなことを、しばらく考え込んでしまいました。

物の居場所をもう一度探す作業

実家の片付けをしていると、ときどき「どうしたものか」と手が止まる品が出てきます。父たちの世代の交友範囲には、割と叙勲者が多かったようで、季節ごとに記念品が届いており、菊の御紋をあしらった品々が結構出てきます。こういうのは畏れ多くて処分してよいものか毎回迷います。
 この花立ても、その一つでした。菊の御紋入りなのに加えて、金属のシリンダーが三本だけ、という不思議な意匠です。普通の花を入れると、どうにも落ち着かない。処分するには惜しいけれど、活かし方も分からず、「保留箱」に放り込んでいました。
 ふと、この季節の菖蒲……いや、あやめ? の造花を挿してみたところ、急に腑に落ちました。すらりと立つ茎の線が、そのまま器の直立したフォルムと響き合うのです。なるほど、この花立ては、華やかな盛り花ではなく、一本の“姿”を見せるための器だったのでした。
 実家整理というのは、単なる廃棄作業ではなく、「物の居場所をもう一度探す作業」なのだなと思います。

SONY CF-5950

実家の片付けをしていたら、納戸の奥から、ずいぶん久しぶりの“黒い箱”が出てきました。SONY CF-5950。1976年発売ですから、今年でちょうど50年になる計算です。
 恐る恐る電源を入れてみたところ、なんと、普通に動くではありませんか。ダイヤル照明が灯り、メーターの針が静かに振れ、スピーカーからは、あの少し乾いた昭和の音が流れ出しました。
 もちろん半世紀分の老いはあります。カセットデッキのフタを留めるツメは折れていて閉まらないので、緑色のテープで押さえています。けれど、その姿が妙にしっくりくるのです。完全無欠ではないけれど、まだ現役で世界につながろうとしている。
 中学時代、電話級アマチュア無線技士の免許を取って、無線にもずいぶん熱中しました。夜な夜な電波を飛ばし、遠くの局と交信していた時代です。しかし、高校受験、そして大学受験が近づくにつれ、送信機の電源は封印されました。交信を始めると、どうしても時間が溶けていく。CQを出し、応答があり、ラグチューが始まれば、もう勉強どころではありません。
 それでも電波の世界から完全には離れられず、机の横には、このCF-5950が置かれていました。深夜、問題集を開きながら、短波帯のSSBを追う。BFOを微妙に合わせ、フェージングと雑音の向こうから浮かび上がる、人の声とも機械音ともつかない信号に耳を澄ます。静まり返った夜。暖房の音。ノートに鉛筆をはしらせる音。そして、スピーカーから流れる「ピーギャー」という独特のSSB音。あのころの深夜ラジオには、不思議な伴走感がありました。自分は富山の片隅で受験勉強をしているのに、電波の向こうには、どこか別の世界が確かに存在している。その気配だけで、少し息ができました。
 いまの時代、世界はスマホの中にあります。けれど昔は、世界のほうがノイズの海を越えてこちらへ漂着してきていました。周波数を少しずつ追い込みながら、雑音の底から声を拾い上げる。それは「情報を得る」というより、遠くの存在を感じ取る行為だったのかもしれません。
 実家じまいの途中で、また妙なものを掘り当ててしまいました。ゴミの地層から発掘されたのは、古いラジカセではなく、“あの頃の深夜”そのものでした。

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