人気のない広島平和記念公園
どしゃ降りの早朝、人気のない広島平和記念公園で、静かに手を合わせています。
原爆ドームは、世界遺産登録から今年で30周年を迎えるそうです。
昨夜開催された大学校友会の支部総会に出席するため、数年ぶりに広島へ出張しました。
そして今日は、アメリカの建国記念日。独立から250年の節目でもあります。
現在の世界情勢を思うと、この場所で、そしてこの日に、考えさせられることがいくつもあります。
新しい沼に踏み込んでしまいました。「沼」とはいいながら、それは、湿気が大の苦手で、作業中にウンチはするし、写真のようなシュールな使い捨ての助っ人を作り出すし、といったシロモノなのです。お気づきの方はもうご存じと思いますが、DIY業界で今もっともホットなエリアのひとつ「3Dプリンター」という沼にはまってしまったのです。
しかも、はまり方がよくありません。この週末はほぼ24時間稼働。気がつけば1kg巻きのフィラメントリールをすでに一本使い切ってしまいました。最初に作ったのは何だったかというと、これがまた情けないというか、実に3Dプリンターらしいというか、プリンター本体が造形前後に吐き出す余分な樹脂、いわゆる「ウンチ」を受けるための poop box でした。つまり、本体を買った直後にまずやることが、その本体の排泄物を受け止める箱を作ることだったわけです。
さらに使っているうちに、工具を掛けるホルダー、フィラメントを導くガイド、掃除しやすくする部品、隙間を埋めるカバーなど、何かにつけて本体の使い勝手を向上させる部品を自分で作る必要が出てきます。いや、「必要」というより、そうしたくなるんです。どうやらこれは、3Dプリンター界隈の文化の一部でもあるらしい、ということがだんだん分かってきました。
3Dプリンター導入の表向きの理由は授業で使う地形の3D模型の作成ということですが、最も大きな動機は、先日来お伝えしてきた、40年ぶりに実家で掘り出されたOld Macにありました。40年ぶりにでてきたMacを現代風に復活させてあげようと、少しずつ工作を始めたところだったのです。リノベの工程でどうしても造形が必要な部品が出てきたので自作しようと思い立ち、ちょうど手頃な値段で入手できるようになった人気機種に手を出してしまいました。 3Dプリンターを使い始めてみて、造形のノウハウやテクニックを自習するうちに、RepRapプロジェクトが掲げた “Wealth without Money” という思想に行き当たりました。自分で作る機械が、次の自分を作る。誰かが設計図を公開し、それを別の誰かが改良し、さらに別の誰かが自分の環境に合わせて作り替える。3Dプリンターの世界は、単なる工作機械の世界ではなく、オープンソース文化のかなり濃い地層の上に成り立っているのだと知りました。
考えてみれば、私が3Dプリンターで最初に作った poop box も、その延長線上にあります。メーカーが用意した完成品をそのまま使うのではなく、「ここが少し不便だな」「この隙間に箱がほしいな」「この向きに部品があれば楽だな」と思った瞬間に、世界中の誰かがすでに似たようなものを設計し、公開していて、それを少し直して自分の机に合わせる。あるいは自分で作って、また誰かのために置いておく。この文化では、プリンターは単にモノを出力する機械ではありません。自分自身の周辺環境を少しずつ作り替え、使い勝手を改善し、さらには自分自身の部品まで作っていく機械です。買った時点では未完成で、使いながら育てていく。そこが、どうにも沼らしいのです。 3Dプリンターの情報を集めていくうちに、その流れの中に MakerBot という名前が出てきました。かつては RepRap の精神を受け継ぐ、オープンソース・ハードウェアの象徴のような存在だったものが、やがて商業化の過程でクローズドな方向へ舵を切っていった、ということなのだそうです。その経緯を読んでいると、技術が「みんなのもの」である時期と、「商品」として磨き上げられていく時期との間には、いつも微妙な緊張があるのだなと思わされます。 最近の3Dプリンターがここまで使いやすくなった背景にも、同じような技術の蓄積があったといいます。高速で動くヘッドの揺れを制御し、振動を読み取り、機械自身が自分の癖を補正していく。あれっ、どこかで見たような技術だな、と思ったら、ドローンの姿勢制御や手ブレ補正の世界にもつながっていました。空中で機体を安定させる技術が、今度は、今目の前の机上で樹脂を積み上げる機械の中に入り込んでいる。さらに、空を飛ぶための制御技術が、こうして私の手元で、Old Macの筐体の中に収まる小さな部品を作っているわけです。
今まさに実感している最先端の使いやすさは、オープンソース・コミュニティが長年積み上げてきた知恵の上に構築されています。けれど、それが製品として洗練されていくほど、ブラックボックスも増えていく。MakerBotの歴史にも、DJI的な制御技術を背景にした新興メーカーの躍進にも、そのたびに「これは誰の技術なのか」という問いがつきまとっているようです。 便利さの向こう側に、共有と囲い込みのせめぎ合いがあるんだなぁ。そう考えているうちに、ふと、この4月に地平線会議の定例報告会で聞いた「ちえん荘」の話を思い出しました。「ちえん荘」というのは、北海道で若い人たちが共同生活をしていた場の名前です。地平線通信の5月号に、その報告会の感想を書かせてもらいました(https://www.chiheisen.net/_tsushin/_tsus2026/tsus2605.html)。そこで私が考えていたのは、「同じ釜の飯を食う仲」とは何か、ということでした。制度でも、貨幣でもない。けれど、知恵や手間や失敗や食卓を持ち寄ることで、人はまだ別のつながり方ができるのではないか。そんなことを考えさせられた報告会だったのでした。 3Dプリンターのオープンソース文化にも、それに近いものを感じます。設計図だけが流通しているのではない。うまくいかなかった話、失敗した出力、誰かが書き残した設定値、試行錯誤の痕跡までが、見えない共同生活のように積み重なっている。世界中の見知らぬ人たちと、同じ釜の樹脂を融かしている、と言ったら少し大げさでしょうか。
写真に写っている黒い奇妙な残骸は、その意味でなかなか味わい深いものです。これは完成品ではなく、3Dプリンターが造形中の部品を支えるために作った「サポート材」です。完成品を成立させるためだけに生まれ、役目を終えるとむしり取られて捨てられる。普通なら無造作にゴミ箱行きになってしまうものです。けれども、よく見てやると、橋脚のようでもあり、仮設足場のようでもあり、深海生物の骨格標本のようでもあり、それらに刹那の芸術性を私は感じてしまいました。
実は、こういう使い捨ての「足場」がなければ、オーバーハングや橋梁のような空中に張り出した形は、積層式の3Dプリンターでは作れません。表に出る完成品の陰には、必ずこうした仮設の「支え」がある。これは工作だけでなく、知恵やコミュニティにも同じことが言えるのではないかと思いました。それは設計図に示された緻密なものではなく、サポート材が偶然に生み出す刹那の芸術なのかもしれない、なんて哲学的なことまで考えてしまいました。
さて、Old Macのほうは、外側は懐かしいベージュの箱のままです。40年前の筐体の中に、現代の液晶タッチパネルと小型PC、そして3Dプリンターで作った部品が収まろうとしています。もはやMacintosh Plusというより、何か別の生き物の内臓のようです。こうして古いMacを復活させるために最新の3Dプリンターを使う。その3Dプリンターの背後には、RepRapの理想があり、MakerBotの転回があり、ドローン由来の制御技術があり、オープンソース・コミュニティとの複雑な関係がある。机の上で小さな部品を作っているだけのつもりが、気がつけば、技術と共有と所有をめぐる現代史の断面に触れていました。
写真をご覧いただくと分かるように、いま私の机の上には、大・中・小・極小のOld Macが並んでいます。かつて「パーソナルコンピュータ」と呼ばれたものが、いまや掌に載る模型になり、さらにその模型を作るための部品を、自分の机の上で出力できる。40年前には未来そのものだった箱が、今度は未来の工作機械によって再解釈されているわけです。時間が、入れ子のように折り重なっている感じがします。 古い筐体の中に、新しい部品を入れる。 失われた部品を、誰かが公開した知恵を借りて作り直す。 完成品の陰で、黒いサポート材が黙って支える。 そして、その過程そのものが、どこか「ちえん荘」的な共同性を帯びてくる。
大・中・小・極小のOld Macたちを眺めていると、これは単なるレトロ趣味ではなく、時間の層をつなぎ直す作業なのだと思えてきました。そしてどうやら私は、またひとつ、深い沼のほとりに立ってしまったようです。しかもこの沼は、樹脂の匂いがして、時々ウンチをしながら、過去と未来と、見知らぬ誰かの知恵をつないでいることを、いつも思い起こさせてくれています。