3年前

昭和基地の隊長室で書き初めしたのがつい先日だったように思われます。11〜12月に3連チャンで襲来した違例のブリザードですっかり埋もれてしまった基地の掘り出しに苦労して、なんとか夏オペに間に合わせたすえに迎えた年明けだったのでした。

丙午ー年男ー還暦

干支がひと巡りした丙午の還暦を迎えることとなりました。
迷信の影響で出生数が激減し、戦後日本の人口統計に大きな“凹み”を刻んだ特異な年。その年に生まれた、いわば“統計的に目立つ世代”でもあります。その迷信も時代とともに薄れて、社会は大きく姿を変えつつあります。
 暦が還る「還暦」は単なる区切りではなく、これまでの経験を携えて次の大変化を迎える一巡をどう生きるかが静かに問われる節目なのだと思って、微力ながら与えられた役責を果たすべく尽力してまいります。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

除夜の鐘

質問:除夜の鐘を108回撞きます。24時丁度に終わるように40分間で撞くには何時に開始して何秒間隔で打てば良いですか?
ChatGPT
はい、計算はとてもきれいに出ます。
## 🔔 条件整理
* **撞く回数**:108回
* **所要時間**:40分 = **2,400秒**
* **終了時刻**:24:00:00(= 0:00:00)
## ⏰ 開始時刻
40分前から開始するので、
> **開始時刻:23:20:00**
## 🧮 打鐘間隔の計算
鐘を108回打つとき、
**間隔は「108回の間に107区間」** ではなく、
現場運用では **108回すべてを等間隔で配置** します。
[
2400 \div 108 = 22.222…\text{秒}
]
つまり、
> **1打あたり 約 22.22 秒間隔**
秒単位で表すと:
* **22秒 + 0.222…秒**
* 約 **22秒と 2/9 秒**
## 🕰 実運用用まとめ
| 項目 | 設定 |
| —- | ————— |
| 開始時刻 | **23:20:00** |
| 終了時刻 | **24:00:00** |
| 総時間 | 40分(2,400秒) |
| 打鐘回数 | 108回 |
| 打鐘間隔 | **約 22.22 秒ごと** |

山々が神々しく輝く一瞬の晴天

どんよりとした雪空が続く北陸の冬。しかしその合間には、決まって約束事のように山々が神々しく輝く一瞬の晴天が訪れます。実家の特等席に設けたワークスペースは心地よいものの、窓外の美しさに目を奪われ、原稿に向かう手はどうしても止まりがちです。
 ちょうど、南極観測船「しらせ」が昭和基地へ接岸したというニュースが届きました。白夜の南極に想いを馳せながら、手元のエンデュアランス号に電飾を灯し、北陸の冬を静かに味わっています。

火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし

〝冬はつとめて。 雪の降りたるは言ふべきにもあらず...火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし〟
 枕草子のMy Favoritesの節は千年後に生きる私にも共感できる時代を超えた日本人の原風景だと思っています。郷里富山は明け方から大雪になりました。たっぷり水分を含んだ北陸特有の雪です。そのしっとりとした雪の匂いに包まれると、不思議と心が凪いでいくのがわかります。
 住職不在の本堂で、独り、年末年始の準備を始めました。片付けの最中にふと茶香炉を見つけました、これまたゴミの地層から発掘した期限切れのドリップコーヒーを茶葉代わりにのせて火を灯してみます。「冬の朝に炭を炊いて」という清少納言の美意識を地で行くような、令和七年・師走の朝のひとときです。

それぞれの聖夜

息子は彼女と一緒?、妻は仕事先の修道院のミサへ、老爺は明日の手術を控えた病室、そして私はがらんとした実家に一人きり、と、全国に9名しかいない澤柿の家はみなそれぞれにお互いを思いながら聖夜を過ごしております。

冬至

冬至。すっかり日が暮れた夕刻から多摩キャンパスの学部資料室で職員さんたちとささやかなクリスマスパーティでした。デコレーションは春の退任時に学部長室から資料室へ移していたのをふたたび活用してもらっていました。
 楽しい会ではありましたが、出てくる話題は老人介護がらみの地域問題と身の上話ばかり。やっぱりこれは国家的問題だと再認識しました。厄介なのは事情が千差万別だということです。世代によっても受け止め方が違いますし。
 私もすっかり三拠点生活が板についてきた感じですが、行く先々のインテリアを好みにいじることで気力を維持できているのだろうと思っています。

プラス20℃

今日の富山はプラス20℃まで上がってフェーンのような小春日和。老爺の入院で主が不在となった実家の窓を全開にして風を通しています。ゴミ屋敷の片付けで動いていると半袖でちょうどよいくらいです。

ヘビー級のゴミ屋敷

恥部をさらすようでお恥ずかしいのですが、田舎の高齢者世帯のご多分に漏れず、私の実家もヘビー級のなかなかなゴミ屋敷です。かつては法事のたびに集まってくる門徒衆にまかない料理をふるまってきた歴史もあり、ちょっとした料亭を営むことができるくらいの大量の食器や調理具があります。加えて、外から持ち帰ってくる香典返しや引き出物が大量にあります。すっかり時代遅れになったにもかかわらず後生大事にとってある時代物の道具類や現役教員時代につくった理科の実験教材などなど、大量の不要物がまるで地層のように累積してスペースを埋め尽くしています。帰省する度に、いいかげんに片付けろよ、と忠告するのですが、頑固な老爺はいっこうに聞き入れず、とうとう自分の体力も気力も衰えてしまって結局なにもできなくなってしまっているのでした。おそらく日本の各地で同様の光景が繰り広げられているのだろうと思いますが、うちの場合は商売が商売だけに、それが桁違いの規模となっています。
 そのおやじもついに入院してしまったので、鬼の居ぬ間に、ということで、まずは退院後の介護スペースを整えるべく、最低限の生活スペースだけ思い切って総ざらいしました。それでもまる二日仕事です。外に出したゴミ類は、週明けに町の清掃公社に電話して回収してもらうことにします。
 お経の教えに「蓮在泥中潔」というのがあります。その本来の意味とは異なりますが、ゴミの地層の採掘を進めていくと、文字通り「掘り出し物」にぶちあたることもあります。まさに泥中からでてきた蓮の花を思い浮かべてしまいました。いくつか選んで、介護と片付けの苦労を癒やしてくれるコーナーを作ってみました。また、雑然と物が放り込まれていた屋根裏部屋を整理したら、ちょうどよさそうな空間ができましたので、まったりできる「ヌック」に仕立てました。
 片付け作業はまだまだ入り口に立ったばかりです。ざっと考えただけでもまだこの数十倍はあります(遠い目)。

岡村隆さんの追悼会

今日は、今年7月に亡くなられた岡村隆さんの追悼会に参加しました。
故人の追悼会がこれほどに盛大に行われるのも、岡村さんのお人柄あってのことだと、会場にいてあらためて感じました。
探検部の実行委員の手で作られた祭壇も印象的でした。中央に敷かれていたのは、故人がフィールドで使っておられたツエルトなのだとか。ジャングルや古代仏教遺跡を彷彿とさせる、不思議な存在感のある祭壇でした。
私は、ただ純粋に岡村さんに感謝したいという気持ちから、この場に足を運びました。会場は、本学ボアソナードタワー最上階のスカイホールです。大学では公式の式典や会議で何度も使っている場所であり、大学役員になってからは、ある意味で私にとっては日常の延長のような空間でもあります。その場所で、今の立場から岡村さんを偲ぶ時間を持てたことは、不思議な巡り合わせのようにも思えました。少し大げさかもしれませんが、ほんのわずかでも、別のかたちで恩返しができたのではないか――そんな気持ちになっています。
岡村さんにかけていただいた言葉のいくつかは、今も折に触れて思い出します。会場に来られていた奥様に、かつて岡村さんが私の現状〜将来について語っておられた、少し予言めいた言葉のことをお伝えすると、「はい、家でも聞いていましたよ」と微笑まれました。その一言が、胸に残る、とても嬉しい出来事でした。

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