南極 一覧

がんばれ!南極観測

表題のホームページができたというので,さっそくリンク.

氷河・氷床Gの掲示板にワシントン大にいる松岡君がNatureの記事の情報を寄せてくれた.世界的な「がんばれ運動」につながればよいけど.


このロゴの色はうちのページと相性がよい.

今度南極に行く弟分が観測隊特製のグッズをくれた.
結構よくできている.
ストラップの部分を使ってそりを引かせてみたくなった.



(左)Natureのページが見られない方のために,記事のイラストだけでも
“Antarctic research frozen out of Japan’s budget plans”
—We don’t think the Antarctic programme has the nation’s understanding and support to justify the large budget, says deputy budget director.


壮行会

一部では「送別会」と口を滑られせてしまうものもいるが,今夜は,南極にでかける弟分と私のパタゴニア行きの壮行会.今は少々酔っぱらい気味で書いているところ.

彼と私は逆の立場で行き先が入れ替わってしまったのだけれど,彼にとっては何よりも得難い機会を得たので喜んで送り出すつもり.

なにかと注目されている南極に行けるというのはうらやましい限り.帰国後は必ず「南極教室」の要員として働いてもらうので,そのつもりで.


南極教室その3

10/1711/8に書いた「南極教室」の北海道での活動に関するアイデア・思案.

南極OBをボランティア講師として講演活動を中心に繰り広げようとしている南極観測宣伝であるが,賛同者の全国的な傾向としては研究者が主体のようである.でも,南極観測は研究だけで成り立っているのではなく,その陰で支援してくれている設営部門とよばれる隊員たちの存在が欠かせない.わたしはそういう人たちにこそ光をあてるべきじゃないかと思う.

設営の中には,医療・調理・メカニック・通信等が含まれるが,彼らだって立派に講師をつとめることができると思う.コックや医者,エンジニアだって立派な職業だし,南極での実際の付き合いから感じた限りでは,プロフェッショナルとしての気概の持ちようは学者以上で,彼らから学べることはたくさんあると思う.むしろ,世の中の子供たちがみな研究者や学者になる訳ではない.学者以外の普通の人々のポテンシャルの高さや生き方を子供たちに見せる方が,よっぽど役にたつと思うし励みになると思う.

そういう人たちを教室ぶった場所に引きずり出すのが難しいなら,彼らの仕事場に押し掛ければ良い.たとえば,調理の隊員が勤務するレストランで,元隊員が腕をふるった南極メニューに舌鼓をうつ,とか,雪上車の組み立て工場見学をするとか,いろいろアイデアが浮かんでくる.

いっそのこと,これらを全部ひっくるめて,「南極観測ゆかりの地ツアー」のような小旅行を企画してもいいんじゃないかな.タロの剥製がある北大植物園を皮切りに,犬ぞり訓練地だった稚内の青少年科学館を訪問したり,樺太いぬの現状をみてみたり,ドームで使われているアイスドリルの開発地を訪ねてみたり…

これは結構愉快な旅になりそう.北海道では賛同者が5人と少ないけど,その場その場に行けば南極OBなんてごろごろしているはず.その地の利を生かして,こちらからおしかけていけばいいのだ.郷土再発見の旅にもなる.自分の生まれ育った地が南極と通じていると感じることができるなんて,なんてすばらしいことだろう.

こういうツアーを引率するのも「自然ガイド」っていうのかなあ.ハルエさんあたりに相談すれば,旅行会社とのタイアップでよい企画ができるかもしれない.商売っけが入ってしまうけど,そのくらいじゃなきゃ,新しい展開は生まれてこないような気がする.

私がガイドコースの院生だったら,このテーマで修論を書くな,きっと.


南極教室その2

10/17に書いた「南極教室」の北海道支部の会合に出席.

会合といっても,北海道で5人しか手を挙げていないうちの4人の集まりなので,寂しい限り.

お一人は北海道東海大のDeanで,あとのお二人はほとんど引退状態にある方々.それでも,南極に対する情熱の持ちようは人一倍という強者の皆さんであった.

どうも私は老人受けする性格なのか,唯一の若輩だったにも関わらず,皆さんに気に入られてしまった.第何次の観測隊の誰それがどうのこうの,という老人の思い出話に,なぜか不思議とついていけるのが受けたのかもしれない.また,北大山岳部で培った,世代を超えた人脈も役に立っているのかもしれない.

そういう意味では,南極や北大山岳部の歴史的経緯については,少々マセガキぎみだった私の存在価値,というのもそれなりにあるのかも知れないと思った.

何事につけ,結局は人間がやっていることなのだから,人脈を築くとか,それなりに年寄りの話についていけることの重要性はあるのではないか,と思った次第.

肝心の南極教室のほうは,現役の南極研究者を引っ張りださないことにははじまらない,ということで意見が一致.これから私にたくさん仕事が回ってきそう.

現役の南極研究関係者の協力を求む.


コンテクスト

しらせの後継船問題に関して,内閣府の総合科学技術会議のホームページにある「南極地域観測事業」に関する評価検討についてのPDFを読んでいたら,地学はどうも評価があまり高くないらしい

私などは,「日本の南極観測事業」という,いろんな条件や制約があって,がんじがらめの状態の中での研究にしてはよくやっているほうだ,と思うのだが,やはり「結果が全て」なのかなあ.一応,輸送・設営・研究の予算配分が特殊性を示している,というような記述があるので,そこに期待.

「評価が低いから無用」と決めつけるのは正しくない.むしろ,もっと成果をあげて国際的なレベルに追いつかせなければならない分野なのに,どうしてそうならないのか,という視点を持つべきだろうと思う.

そのためには,もっと機動力を向上させて時間的制約を軽減させること,そして隊員資格のしばりをなくすことが必要だと思う.要するに欧米並みの条件を整えなさい,ということだろう.

自分が関係している地学分野に関していえば,これまでの日本の南極観測は非常に大きな制限の中で行われてきた.ヘリが飛ばなければ調査地に出ることすらできず,調査ができてもその時限りで,再訪の保証もないし,私の経験に照らせば,実際に再訪の機会が回ってこないことのほうが多い.今年から試験的に人員の空輸計画が始まるけど,それにしても昭和基地まで行ける訳ではないので,あてにはできない.現場での機動性が重要なんである.

これは,ロケットで月まで行って石を拾ってくるようなもの.そういう状況におかれた研究環境の成果をどのように評価すべきか,ということに関して,はたして評価者は正しい視点を持っているだろうか?

そのことで審査員の方々に是非知っておいていただきたい物語がある.それは,アポロ15号の物語.これについての詳細は,滞在記(9/5)に書いたことがあるので,そちらを参照していただきたいが,再訪の機会が保証されていないという現在の状態は,「コンテクスト」の把握というレベルでの仕事にいおて成果を迫られているに等しい,ということを訴えたい.

滞在記にも書いた通り,そのような仕事は,地質学の中でも最も重要で最も困難なこととされる.だから,評価者も,月に石を拾いに行った研究者を評価するぐらいの気持ちであってほしいと思う.

しかし,いまやこの現代において,世界レベルと言われる研究は,「月の石を取ってくる」ということに価値をおいて競争しているわけではいない.だから,日本の南極研究者をいつまでも「月の石とり任務」に就かせておくことは,日本が国際的な協調関係を保ったり,学術レベルで世界と伍して行くことを望む向きにとっては好ましくないことは明らかなわけで,そこをどうするか,が問われているのである.今のやり方で「成果が出ていない」と研究者を評することがあれば,それは酷というものだろう,とPDFの書類を読んでいて思った.


「しらせ」の後継問題

砕氷艦「しらせ」の後継船の建造予算がつかない問題で,著名人が動き出したらしい.

エドモントン滞在記(12/14)にも書いたが,南極に関する国策としての日本の視点の貧弱さは今にはじまったことではない.そもそも,昭和基地の建設に始まる現在の観測事業だって,朝日新聞のキャンペーンや永田武教授の熱意に共感した国民の盛り上がりに負うところが大きいのだ.

中国の有人宇宙飛行を時代遅れと評したり,日本もやろうと思えばすぐにできる,なんていうのは,負け惜しみにすぎないばかりでなく,「やってこそ本物」ということを分かっていないフロンティアスピリットの欠乏を示すよい証拠そのもので,南極観測への無理解と根底ではつながっている.

これからの南極観測には航空輸送も視野に入れていく必要があるし,今回から外国と共同で航空機を使った人間の移送が試験的に始まるが,物資の大量輸送はやっぱり船.次の船がなければないで,外国の砕氷船をチャーターすることもできるが,これじゃ,人工衛星を打ち上げるのにNASAのロケットに頼るのと同じこと.そもそも,船の建造に金を出さないという政府の無関心さや優先度の低さが問題なんである.

実は,これまで日本の南極観測は一度中断したことがある.1962年に6次隊によって昭和基地はいったん閉鎖され,その後1966年に7次隊によって再開されたのが現在まで続いているのだ.

これまで南極用に使われてきた船のうち,中断前までに使われていた初代の「宗谷」を別として,再開後に就航した二代目の「ふじ」と今問題になっている三代目の「しらせ」は砕氷「」と呼ばれている.これには,それなりに意味があって,勘のよい方は意味を察していただけると思う.そのことにキナくささを感じて好ましく思わない方々も多いと聞いている.しかし,国策がからむということは,そこまで覚悟しなければならい面もあることは事実.そもそもなぜ「文部科学省」が「艦」の建造の予算取りに苦慮しなきゃいけないのか,ホントにこの国はどういう仕組みになっているのかよう分からんのではあるが,砕氷艦を登場させることによって,一度中断した南極観測を復活させた当時の関係者のしたたかさは見習わなければならないかも…

復活当時に関係された政治家は,今回の総選挙では定年退職される.そういう時期と重なるのは単なる偶然かもしれないが,政府が,もはや国策としての南極観測の重要性を意識せず,優先度を下げるというのであれば,四代目としては,純粋に「船」としての運用が可能な学術船を建造する動きにつながってもよいのではないかと思う.学者としてはそちらのほうがずっとうれしい.

なお,滞在記のリンクにある「日本人とフロンティア」は,幸いまだ生きていたので,一読されることをお勧めする.


南極の砂漠

テレビ関係者から,南極の「ドライバレー」と砂漠との関係について質問のメールが来た.もちろん知らない人.

BBSやメールでの問い合わせにはなるべく応えるようにしている.今回の回答は以下.

訂正や追加事項等があればご指摘頂きたい.


A:
南極の砂漠についてのご質問ですが,南極のような寒い場所にある乾燥した地域のことを「極地砂漠」とか「極寒砂漠」,「雪氷砂漠」などとよんでいます.

そもそも「砂漠」とは,生物の活動をほとんど維持し得ない不毛の地,のことをいいます.一般的には,砂まみれの地をイメージしますが,上記の定義に従えば,岩だらけでも雪氷だらけでもかまわないわけです.ですから,学術的には「砂漠」には,「岩石砂漠」や「礫砂漠」なども含まれており,サハラのような砂だらけのものは「砂砂漠」という分類になります.

極域以外の砂漠は,蒸発量が降水量を超えるために極度に乾燥した土地をさしています.厳密には,湿潤指数(可能蒸発散)という数値が-40以下のところを指す,という定義も提唱されています.

生物の活動にはまず水が不可欠なので,上記のような乾燥している土地では「生物の活動をほとんど維持し得ない」ということになり,最初に述べた生物を基準にした定義にも合致することになります.

では,南極の砂漠とは,どういうものなのか,といいますと,南極はそもそも非常に降水量の少ないところでして,昭和基地があるような南極大陸の沿岸部の一年間の降水量は300—500mmといわれています.南極大陸の内部はもっともっと降水量が少なく,沿岸から200km余り入ったみずほ基地のようなところでは一年間に150-250mmm,南極点のような大陸内部ではわずか50mmほどです.

南極では蒸発というよりは昇華によって大気中に水分が逃げていきますので,「蒸発散」という定義はあてはまりませんが,そもそも降水量が少なく,しかも雪や氷として地上に固定されてしまいますので,生物が利用できる水分は非常に限られることになります.しかも非常に寒い.つまり,南極氷床の氷の上も,砂漠であるわけです.

「極地砂漠」を発生させるもう1つの特徴は,「寒さからくる乾燥」にあります.寒さは液体の水を固体にするばかりでなく,空気中の水蒸気の量(湿度)を減らしてしまう効果もあります.このことは,冬になれば,日本でも乾燥して静電気がおきやすくなることからもお分かり頂けると思います.

では「ドライバレー」はどうか,と申しますと,そのような場所も確かに「砂漠」である訳です.地上の構成物に注目すれば「礫砂漠」になりますし.極寒という条件に注目すれば「極地砂漠」になる,というわけです.極寒,という条件で,まず大気の湿度がそもそも少ないこと,また,水があっても凍結して固体になってしまうことがその原因としてあります.

一方,南極の大半が雪氷に覆われているにもかかわらず,ドライバレーには雪氷はほとんど存在せず,むき出しの大地が現れています.これが,南極のドライバレーを特徴付けている最大の要因であるといって良いでしょう.普通なら,氷や雪に覆われていて良いはずなのですが,そうはなっていないのです.残念ながらその原因については,まだはっきりしていません.

南極大陸への水分の供給は,南極をとりまく海からもたらされますが,風向きや気圧配置などの影響で,たまたまドライバレーに水分が供給されないのが原因である,という説もあります.そもそも大気中に水蒸気として含まれる量が少ないので,ちょっとでも低気圧がこなくなれば,とたんに「砂礫砂漠」になってしまうのです.

南極氷床上の空気は常に氷で冷やされますので,重くなり,高気圧化します.そのようにして重くなった空気は,低いところをめざして地表面を這うようにして降下します.このようにして吹く風のことを「カタバ風(斜面下降風 )」といいますが,ドライバレーは周囲を氷に囲まれた細長い谷の地形をしています.周囲の氷で冷やされた空気が,このくぼみに向かって常に吹き下ろしているために,ドライバレー内に雪が降り積もることができない,という可能性を指摘している研究者もいます.また,ドライバレーを取り囲む山地の雨陰効果を指摘する説もあります.

「南極にも砂漠はある」という表現は,ドライバレーに注目するのであれば,「南極にも氷に覆われていないところがある」といったほうが適切かもしれません.「砂漠」という定義内では,「南極氷床」そのものも「砂漠」であることには違いないわけですから.

なお,ドライバレーには小さな湖があって,塩分が非常に高いために極寒でも凍結しません.そこでは藻類などが繁殖しており,「極地砂漠」の中の「オアシス」となっています.

以上,お役に立てれば幸いです.


南極教室

今年のはじめ頃だったか,極地研から,南極観測隊のOB有志がつくるボランティア団体「南極教室」というのを作りたいので協力してほしい,との案内がきた.学校などに会員を派遣して,南極観測をPRするのが狙いの組織だ.私自身,小さい頃に観測隊員の話を聞いたのがきっかけでこの道を目指した,という経緯もあり,何かお役に立てれば,と思い,協力を申し出た.そのような有志は全国で160名いるという.

最近になって,さるご老人から「北海道在住の申し出者が一度集まって,何ができるか話しあってみませんか?」という連絡が来た.それで聞く所によると,北海道ではわずか5人しか手を挙げていないとのこと.さらに詳細を聞いてみれば,私以外の方々は,すでにリタイヤされているかそれに近い人たちだという.

北大をながめれば,南極経験者など腐るほどいるだろうに…この少なさはホント驚き…南極関係者って,意外に冷めているんだなあ,と思った.

といういわけで,バリバリ現役の私としては,これからなにかと回ってきそうな気配.でも,南極を研究していて,南極観測のことを人一倍気にかけている自負があって,しかも南極に行きたいと常々思っているのに,それでも行かせてもらえない,というジレンマも抱えているんだよねえ.パッションだけでは世の中渡っていけないこともだんだん分かってきた.こんなことを小中学生に話す訳にもいかず,かといって無責任に夢ばかりを焚き付けるのも気が引ける.

北大の南極関係者のみなさん,今からでも遅くないから,「南極教室」に手を挙げるべし.


「南極 氷床変動と海面変動」

古今書院月刊『地理』48巻5号 に,拙稿「南極 氷床変動と海面変動」が載りました.


ブレークスルー

ブレークスルー


 国立極地研究所で開催された第19回南極地学シンポジウムの懇親会の席で,極地研究所の渋谷教授の口から「ブレークスルー」という言葉が持ち上がった.このシンポジウムの「地形と第四紀における環境変動」のセッョンの特徴は,野外での調査報告よりも,これまでに得られていた堆積物,特に化石試料の分析結果が主なテーマになっていたことである.古生物学的な解析によってリュツォ・ホルム湾沿岸の海成堆積物を吟味することで,第四紀のみならず新第三紀までさかのぼる,より長いスパンの南極像を議論できる可能性が示された.「ブレークスルー」とは,この内容についての感想を述べた言葉である.

新生代全般にわたる南極像については,これまで,西南極を中心とする地域で成果があげられ,氷期の時代といわれる第四紀のみならず,それに先行する,いわば南極氷床の起源にもかかわる新第三紀の古環境についても議論されてきた.一方,日本の南極観測隊が調査を行ってきた東南極のエンダービーランドからは,3万年よりも古い堆積物が発見されておらず,古い時代についてはあまり考慮されてこなかった.むしろ,古いものは残存していないものとして無意識のうちに考慮の対象外とされてきた向きもあったといってよい.

 第36次観測隊の三浦氏らによる海成堆積物のトレンチ調査や,年代測定をとりまく技術の向上と33次観測隊の五十嵐氏を中心として続けられてきた詳細な年代測定などによって,今まで採取されていた試料の年代値の混乱を整理する成果が得られ,加えて,3万年よりも古いと漠然と推定されていた試料の中に,確実に古い年代値を持つものがあることがはっきりしてきた.そして,今回のシンポジウムの発表で,鮮新世までさかのぼる古生物学的な具体的根拠が提出された.こうした成果によって,ようやくリュツォ・ホルム湾沿岸域においても,西南極で展開されてきた新生代の南極研究と張り合うことができる基盤ができつつある.これが冒頭でのべた「ブレークスルー」のあらましである.

 「地形と第四紀における環境変動」のセッションで,自らも発表を行ない,座長もつとめていた極地研究所の森脇教授は,やや興奮気味にこれらの成果を強調し,いつになく喜んでいたように見えた.このブレークスルーを契機として,海成堆積物の古生物学的解析を中心とした新生代全般の古環境復元は,今後,日本の南極観測の中で大きな位置を占めていくものと思われる.


 私には,今回のシンポジウムで個人的なもう一つのブレークスルーがあった.それは,私の中での「日本の南極観測に対する認識」に関するブレークスルーであった.

 それについて述べるには,今年の7月に四年ぶりに開催されたニュージランドでの国際南極地学シンポジウムに参加した時に感じた印象について述べておく必要がある.ニュージランドでのシンポジウムで,5日間にわたって発表された数々の世界の研究を聞き,私はそこに一種の南極研究コミュニティー的な雰囲気があることに気づいた.その中の,一般に地理部門と呼ばれるグループの中では,新生代という枠組みでの南極像の解明が主流のテーマとなっていたように思う.森脇教授は極地研究所の職員としての立場から,そのコミュニティー的な雰囲気の中に身をおいてきたであろうし,実際にドライバレーでの調査の経験などから,第四紀だけではなくて,新生代全般の南極像に興味があったことは容易に想像できる.日本隊でも,第四紀にとどまらず,鮮新世以前の議論もできないかどうか,そういう議論で諸外国と張り合っていきたい,という希望があったのではないか,と森脇教授の心中を察するに至った.私や平川教授にとっては「はあ,そうですか」程度の受け止め方であった東京のシンポジウムでの古生物学的見地からの発表が,森脇教授にとって格別の意味があったように受け取られたのは,そういう背景があったからである.以上はあくまでも私の受けた印象であり,森脇教授が本当はどう考えているのかは,直接伺ってみる以外に知るすべはない.

 私は,自分が志すことになった研究テーマの契機として南極にイニシエーションを得た.それだけに南極への思い入れは強い.しかし,具体的なテーマは氷河地形であり,その対象は南極に限られるものではない.同様に,南極観測を通じて研究の大きな指針を得た研究者として筑波大の松岡氏が挙げられるが,氏の周氷河プロセスに関する研究にしても,南極観測の主流をなすことはなく,今はその一線から退いているように思える.要するに,南極研究コミュニティー的な雰囲気の中での南極観測においては,氷河地形学も周氷河地形学も,それにたずさわる研究者のステップの場とはなっても,その主流を築く場とはなりえない,ということに気づいた.そんなことようやく今になって気づいたのか,と笑われるかもしれないが,所詮私の認識とは,この程度のお粗末なものであった.まさに恥じ入るばかりである.南極地学の地理部門はこれまで「地形部門」と称されることが多かったので,私はその点で「地理部門=地形学」と誤解していたのかもしれない.

 今後,極地研究所地学の地理部門は,むしろ「新生代環境変動部門」と称した方がその性格がはっきりして良いように思う.少なくとも私の中では,「地理部門=新生代環境変動部門」という風に認識を改めることにした.ところで,新生代の環境変動の解明にとって古生物学の果たす役割が大きいことは今回のシンポジウムの内容を見ても明らかである.しかし,現在の極地研究所の状態では,古生物学の研究者は生物部門の枠で南極に赴くことが多い.その反面,極地研究所に外部から関わっている地形研究者の大半は,今後想定される新生代環境変動の解明の流れの中では,活躍が期待されているようにも感じられないし,貢献できるところが多いようにも思われない.このようなミスマッチを解消するためにも,極地研究所地理部門としては「地形」を標榜することはなるべく避けて,明確に「新生代環境変動部門」としての性格を前面に掲げるほうが,共同研究者として日本の南極観測に組み込まれる外部の研究者にとってもわかりやすいし誤解も解消されるのではないかと考える.

 もちろん,新たな展開を期待して,日本の観測隊の中で地形プロパーの研究を続けることに意味が全くないわけではない.しかし,「南極研究コミュニティー」の中で地形学が主流となるには,まだ相当の時間を要するであろうし,その必要性があるのかどうかも現段階では不明である.氷河地形に限って言えば,私は,近年の氷河底環境の解明にかかわる氷河地質学の進展において,氷河地形学は雪氷部門との関わりを密にていく必要があると考えている.しかし,現在の極地研究所における雪氷部門は氷床コアの解析による第四紀古環境変動の解明に焦点を置いており,氷の熱的・動力学的な物理特性はほとんど扱われていないように見受けられる.それならば,氷の物理的特性にかかわる研究者と力して,南極氷床の動態を解明するコミュニティーを新たに作ってはどうだろうか.このような流れを極地研究所を母体として構築していく必要は全くない.日本の南極研究もそろそろ極地研究所主導型から脱却して,あらたな展開を図る時期にきているとも思う.科研費などを中心とした研究体制で個別の南極研究が展開できれば,それこそが今後の氷河地形学の目指すありかたなのではないかとも思う.手前味噌でありやや野心的なことでもある些々をつれづれ思うブレークスルーであった.

1999/10/20


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