日々の雑感 一覧

次の十年,過ぎた十年

人日の朝,七種粥もどきを食べ,おとそ気分を払拭して仕事体制に頭を切り換えようとつらつらと考える.

2001年2月に開催した「比較氷河研究会」の懇親会で,次の十年間に何をするかという明確なビジョンが大切なのではないか,という話題が出た.あれからまだ十年はたってはいないけれど,とおに半分以上の期間は過ぎてしまっている.

当時集まった有志の間で特に何をするかを明確に決めてここまでやってきた訳ではなかったような気がするが,それでも,参加者は,それぞれの立場でそれぞれの研究活動を展開してきたわけで,たぶんあの頃に温めていた計画を着実に展開してきているのだろうと思う.

私自身は,研究会の翌年に発表した『東南極白瀬流域とリュツォ・ホルム湾沿岸における氷床底面に着目した氷河学的研究の可能性と展望.月刊地球, 24, 1』 という論文の中で,きたる十年間の仕事の展望を明確に示したつもりである.

今になって思えば,その方向性は間違っていなかったと確信できるものの,あの集会以来自分自身で収穫できた成果がいかに少ないか,ということに愕然とさせられる.JARE47でのプロジェクト実現の経緯を考えると,《きたる十年間》ではなく《きたる十年後》あるいは《十年後に実現した南極再訪》になってしまったのではないかとすら思えてしまう.

何よりも,広げた風呂敷の大きさに比べて自身の実力がとうてい及ばないほど非力だったことがその原因の最たるものであったことは間違いない.それに加えて,実力者の無理解,学術論争,分野間の競合,大学改組やポジションをめぐるゴタゴタなど,こまごまとした要因も多々思いつく.

だからといって,ここで嘆息してもしょうがない.十年間の大半を障害物競走や振り出し双六のように過ごしてきたことになったとしても,見据えているゴールが揺らいではいないことを支えに,着実にやっていくしかないのだろうと思う.

幸いまだあれから十年は経過していない.もう一度振り返るべきは,本当に十年間を過ごした後なのであろう.今の世の中十年じゃ長すぎる,という人もいるだろうけれど...


新年事始め

正月休み中に,NHKでやっていた爆笑問題のニッポンの教養・新年会スペシャル「2008年ニッポンの大問題」を見た.『《因果関係》と《相関関係》とは別物』という意見が一番印象に残った.物理屋さん・生物屋さん・哲学屋さんなど,異分野の大御所がそろった対談だけに(地球科学者がいないのは残念),科学哲学全般の話題へと発展するかな...と期待していたけど,この意見が出たところで続きは尻すぼみ.残念.

我々の分野は記載を中心とする帰納的・説明的・解釈的学問である.学院の体制の中で,多くの分野と関係を持ちつつ,異分野の議論にも参加することが多いが,そういう《相手》は《相関》を明らかにする論法をとる分野が圧倒的に多い.かたや我々の記載学的手法からは《相関》を見いだすことなどまずあり得ない.言ってみればいきなり《因果関係》への帰納的推論へといってしまうことも有るわけで,論法の異なる《相手》との相互理解が成立しないこともしばしば経験する.私個人がよく抱く感想は,《相関》は,一見きれいに結果を示すことができるけれど,それがホントに《因果》関係を示しているかどうかは別問題だよね,ってこと.たぶん《相手》も,我々の話を聞きながら,おいいきなり《因果》かい,なんて思っていることはかなり確実なんだけど...

まぁこんな感じで,今年もまた,学院内のこうした異分野間の関係が繰り返されていくんだろうな,と思う.

数ヶ月前に古本屋で買ったまま放置していた「白亜紀に夜がくるー恐竜の絶滅と現代地質学ー」(Powell,J.L.著,寺嶋英志・瀬戸口烈司訳,青土社)という本を読む.「漸進説」と「激変説」,「斉一説」の誤解,パラダイムシフトなど,恐竜の話以上に,現代地質学の科学としての本質について書いている部分のほうに惹き付けられた.一般向けにしては,思いの外きっちり書けている本だ.正月休みでのんびりしている時に,たまたま手をのばしたのだが,今年一年の始まりに読むには幸先の良い大当たりであった.


謹賀新年


納会

h-pagesの納会.

意識の高い方々の議論について行けないところもあり,自分の勉強不足を痛感.といっても,こっちにはこっちの専門が有るわけで,双方のギャップと相互理解と協力をすすめることがこの会合の目的でもある.それにしても,この業界,省略語が多すぎ.


咲いた咲いた

image富山のおばさんから送られてきて,息子が大切に育ててきた水栽培のチューリップが咲いた.子供部屋は甘い香りで一杯.低温処理で開花調整し,今頃に開花するようになっているものを「クリスマスチューリップ」というらしい.長い冬で締め切りがちになる札幌の家だが,こういうのもいいな,と思った.

20年前のネタで書いた原稿が載った雑誌が送られてきた.原稿料の現物支給の意味もある.興味のある方は書店でどうぞ.


やっぱり一般受けしない

ドラムリン問題の話はどこでも一般受けしない.サイエンスカフェでも,この話題に入ったとたんに聴衆の興味がサッと引いたのを感じた.現在書いている原稿でも,編集者から長すぎるというコメントがついて,一章分書いた中からわざわざドラムリンの項目をねらったかのようにそこだけがすっぽり削除されてしまった.カフェでの聴衆の反応よりも原稿が削られてしまったほうのショック大きいのだけれど,どうしたら,一般受けしてもらえる原稿になるんだろうと悩んでしまう.

火星でも持ち出すしかないかな?


CoSTEP本

CoSTEPが,そのノウハウを伝える「始めよう!科学技術コミュニケーション」という教科書を今月末に出版するらしい.前に著者から,サイエンスカフェ札幌で私が話したときの様子の写真を使っても良いか,という問い合わせが来ていたので,教科書が出来ることは知っていたけれど,もう出るの,と思った.

出版社は京都のナカニシヤ出版.ここからは,私も分担執筆した本を今年に出していて,その原稿料がほんとにささやかながら入ったばかりなので,CoSTEP本を一冊買ってみようかと思う.これで原稿料はナカニシヤに還元されてすっかりチャラ.

今日で札幌の小学校は二学期が終了.昨夜子供とテレビを見ていたら,ソグネフィヨルドやフロム鉄道が出てきた.来夏公開の劇場版ポケモンは,ノルウェーをモチーフにした「氷空(そら)の花束」という作品になるらしい.その予告編を見ながら「パパはここに行ったことあるし,こんな氷河に削られた地形を調べているんだぞ」と言ったら「スゲー」と感心されてしまった.北欧の風景がどんなふうにアニメ化されているか興味がある.夏休みには,息子につきあって見に行ってくるかな.

ところで,ペンギン怪獣「ペギラ」は南極にいるけれど,氷河ポケモンなんてのは,公式には存在しているのかしら?


年金問題もどき

数年前の大学法人化の直前に,研究科の点検・評価が入って,評価機構に提出する業績資料作りにかなりの時間を使わされた.そして今,法人化と学院への改組から数年たって,またまた点検.評価が課せられている.その中で,前回の法人化前の時に作った資料をもう一度出してほしいという依頼がきた.

前回の点検時に苦労した経験から,最近はなるべく同時進行・即時更新をこころがけて院生の業績を記録するようにしてきたが,これも自助努力の結果にすぎない.教員のほうは研究者としての自己評価もかかっているので,自前で自分の業績を管理している人が多いけれども,所詮,自己申告がなければ正確な把握が困難なのが業績記録.定期的な出入りが必然である院生や研究員の業績を過去にさかのぼって追跡することは非常に難しい.そのため,ついつい記録から漏らしがちになるのが苦労の種だ.

そもそも,業績を申告しないと修了させない,という規定でも作らない限り,院生にとっては組織の評価なんてどうでもいいことで,業績を記録してもらおうとするモチベーションは彼らにはまったくない.その一方で,組織としては,提示できる成果の量如何によっては自身の存亡もかかってくる時代になっているだけに,細大漏らさず記録しておく重要性はますます大きくなっている.なんとかこのギャップを埋めて,部局レベルで組織的に責任をもって記録する方法ってできないものだろうか?

この問題,昨今の年金記録管理問題にも似ているところがある.年金とは違って,学会発表や投稿論文の記録を申告しなかった院生が将来的に直接不利益を被るわけではないけれども,少なくとも大学院という最高学府で人生のいくばくかの時間を学術活動に費やしたことの記録がすっぽりなくなってしまうことは,ある意味,悲しいことだとは思わないだろうか?

人によっては,この大学院にいたことすら記録や記憶から抹消したいと思うケースもあるかもしれないけど...ここには,学術活動を個人の活動とみなすか,それとも組織に帰属するものとみなすか,という大きな問題もはらんでいる.極端な話,指導教員になんの連絡もなく,共同発表者に入れることもなく,院生が勝手に学会発表したり論文を投稿したりすることだってあるわけ.それをとがめられるかどうか,逆に院生のほうが,指導教員あっての研究成果だと思って発表できるかどうか,ということ.

教員側は教員側で,勝手に発表されたものであっても,実績として提示できるものならなんでも入れたい,という誘惑にも駆られるのは確か.勝手にやりやがって,と心で思いつつ業績リストに入れてしまうこともあるだろう.まあ,この場合は院生の個人的な研究成果として尊重しているだけマシで,世の中には,院生の成果をそのまま自分のものにしてしまう指導者もいると聞く.

いづれにしても,自己申告に発する業績記録を,自助努力によって日々蓄積していく積み重ねが,将来的に組織の存亡にかかわってくるという構図はまさに年金問題である.これはもう,指導教員と院生との関係レベルの話ではないことは確かだ.

まあ,要するに,本業以外のこんな雑用で時間をとられるばかばかしさと,教育という行為がそういう評価体制に縛られていることの理不尽さと,その世俗的重要性と組織的対応がかみ合っていないことへの不満と...ふと,まるで昨今の世の中の縮図をみているかのような気持ちになった,ということなんである.


先住民かもしれない私

お昼ごはんの時に教授がよく話題にする柳田さんのBlogを初めてみてみた.今日は「先住民的な研究」という話題だった.

しかし、これが聞いたこともない雑誌とか、科学の世界では辺境のような場所とか、そうでなくとも、日本人が日本でやっていて、ほとんどまわりが気にしてないような研究としていたとします。しかもそれが新しい研究で、さんぜんと光り出すような研究になるとします。欧米系の研究者ではこういう時に、この聞いたことのない研究はまあ先住民的なので、「無視」しよう、と決める人達が案外いるのです

ああ,そうだったのかと合点.

「さんぜんと光り出」してはいないとしても,私の場合,かなりこれに当てはまるような気がする.10年前の論文は,ようやく最近ちょっと光り始めた気がしているけど,先住民的に扱われてきたと思えるフシはいくらでも思いつく.その一方で,エドモントンでお世話になったShaw教授には,言葉の問題とか無名の田舎研究者とか,そういうことに関係なくつきあっていただいた.そういえばShaw教授も

世の中には既に発見されているのに、もう一度発見したがる人達が沢山いるのだよ

と同じような言葉で慰め勇気づけてくれたことを思い出した.まあ,学説論争の中で同じ立場にいるという,それだけでも,身内感覚でつきあっていただけた要因を持ち合わせていたというのもあるのだけれど...

ということで,近況報告と最近の論文の別刷りを添えてカナダへクリスマスカードを送った.Shaw先生はお元気かしら?


カード

昭和基地周辺は繁忙期に入ったようで,ネット経由でいろいろ情報が入ってくるようになった.

校費払いと私費払い共用のクレジットカードが届いた.同窓会のゴールドカードと同じデザイン.金ピカでなかなかかっこいい.これで,カードでしか買えなかったものや海外での利用が便利になる.といっても,従来の売掛ができるものには使えないので,かなり限定されるけど...

Tigerのアップデートをかけたら,Safariがformのtarget=”_blank”で死亡するようになった.WebKitのセキュリティ対策のバグか?


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