そこへ行くべき者
越冬中に「 ここに来るべきもの」というエントリーを書いたことがある.要は,南極観測の基本はなんといっても研究・観測にあるのだから,より多くの研究者が自らすすんで来たくなるような環境作りを目指すべき,という趣旨.この背景には,「新しらせ」の就航や観測隊発足50周年の節目を迎えて,「開かれた基地・観測隊以外の人も南極へ」という展望が出されていることがある.
いよいよ新しらせが就航する今年,「学校の先生を南極に」というプログラムも開始される.まさに上記のスローガンが実行に移されようとしている瞬間でもあり,これ自体は大変良い企画であろうと思う.
一方で,開かれた基地・国際化・開放によって逆に明かされる観測隊の裏事情,などに対してどれだけの施策がなされようとしているのかは,まだよく見えてこない.もちろん,日々の業績やエフォートに汲々としている研究者への参加アピールもなさそう.
昨日までの南極大学の実習に参加していた院生から,南極観測に関わりたい,という情熱が吐露されるシーンがあった.院生であるという前提から,当然研究者として参画したいのだろう,と受け取ってしまうのだけれど,実際のところ,院生レベルで研究第一に南極を考えていることなどそうあることではなく,「南極に行ってみたい」という純粋な希望が根底にある.そういう気持ちを保ちながら,研究者の裏事情もそれとなく教授しつつ,南極観測参画への道を説く難しさを痛感した次第.
一方,セルロン隊で活躍されている阿部幹雄さんの様子や,気水圏担当隊員として現在昭和基地で越冬されている「日本で一番空を美しく撮る男!武田康男先生」のご活躍の様子(こことかこことか)などをみるにつけ,それなりの人生を積み重ねてきた『達人』が,その能力を伸ばし,活用し,次の展開に向けて新たな題材を仕入れる場所として南極観測隊を利用しきっているんだなぁ,と,つくづく感心してしまうのである.「観測隊そのもののありかた」といったディープでダークな課題など,利用する側のパワーでどうでもよくなってしまうくらいのオーラだ.もしかしたら,門戸開放の効果は,こういう側面から出てくるのではないかと思った.
研究者からそういうオーラが出てきそうな兆候を見いだせないのが残念だけれど,私自身としては,ブツブツ言っているだけでじゃなくて,そういうふうに観測隊を利用し,しゃぶりつくしてみたい,と思うようになったし,そういうことが出来るような自分を作るためにも,日常の生活の中で自分らしさの「何か」を積み重ねていきたい,と感じ始めているところ.また,次世代の育成を担っている立場としても,南極観測隊をとりまく人生模様,みたいなことも,しっかり伝えて行かなきゃいけないんじゃないかと思ったりもした.
こういうことに気づくのに随分遠回りをしてきたような気もする.


明日の委員会に備えてWeb作業.参加者の立場から眺めてみると,実行者側に要求されることがよく見えてくる.