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立川方面との共同研究の報告書を作成.中身が薄くてメゲる.予算執行期限が切れていたのを無理を言って通してもらった.申し訳ない.相方は今頃隕石探し中.
南極一覧
立川方面との共同研究の報告書を作成.中身が薄くてメゲる.予算執行期限が切れていたのを無理を言って通してもらった.申し訳ない.相方は今頃隕石探し中.
Shaw先生からメール.だいぶ前に写真を提供したカナダ極地委員会の南極部会へのレポートのPDFが添付されていた.現物はこちらで入手可能.
夕刻,来年度以降の作戦会議.
Youtubeで公開,だそう.イントロのキャンパス風景は,ラジコンヘリによる超低空飛行空撮の映像.
画像の中に太めの自分がいるのに気づいた.ネパールで細くなったほうが本来の自分,だと思う.
JARE50の越冬からもうすぐ釈放される武田康男さんの昭和基地発のBlogが今日で終わってしまった.
空を撮って語らせることに関しては右に出る者なし,と思われる氏が,南極という大自然の中から直接発信してきた内容は,まさに宝箱のようなもの.この7月には,南極大学の講義のテレビ会議にも出演してもらったし,今年一年,随分楽しませてもらった.
なにやら次の展開もあるようで,乞うご期待.
ネパール出発直前に共著者にほぼ完成に近い原稿を回しておいたのだけれど,一月半ぶりに帰国しても音沙汰がない.どうしたんだろう?そうでなくても,すでに取り組み始めてから2年近くがたつというのに...
そうこうしているうちに,論文構成から論旨まで,我々の原稿とそっくりの論文がQSRに掲載されているのを見つけた.
Lloyd Davies, M.T., Atkins, C.B., van der Meer, J. J.M. , Barrett, P.J. and Hicock, S.R. 2009. Evidence for cold-based glacial activity in the Allan Hills, Antarctica. Quaternary Science Reviews, 28, 3124-3137.
筆頭著者のD論がベースになっているらしいのだけれど,Corresponding authorが van der Meer先生になっているところをみると,どうやら,なにかと複雑な事情があるらしい.投稿から受理まで2年近くかかっているというのも気になるところ.著者の事情もあるのだろうけれど,この手の「記載・解釈論文」の難しさを反映している,と解釈することもできる.いずれにせよ,自分が抱えている事情と重なるところがあって,なんだか親近感がわいてくる論文だ.
まあそれ以上に内容的に参考になる点は多い.論文構成や論旨が似ているところなんかは,今の執筆方針が正しいことを保証してくれているようでもあり.多少心強く思ったり.
はやいとこ完成させなきゃねぇ...
数日前から北大で南極科学委員会国際生物シンポが開催されている.私は生物屋ではないが,南極,ということで極地研をはじめとして南極つながりの知人も多く来札しているので,ポスター会場などに顔を出したりしている(モグリ?).
午後,市民向け公開講座に出かけて,昭和基地とのテレビ会議や作家の立松和平氏の講演など聞いてきた.立松氏は,南極観測50周年を記念した企画で宇宙飛行士の毛利さんらと共に昭和基地を訪問しており,私は昭和基地で彼らVIP一行をホストしたという関係.
立松氏は科学者ではないので専門家としてのデータに基づいた説得力はないけれど,作家としての語り口や表現力には唸らされるものがある.昭和基地ではさんざん学術的な内容をレクチャーしたので,そのかいあってか,南極観測のサイエンスの面についてもそれなりに理解してもらえたようで,立松氏の語りを聞いていて,軸をはずすことがない安心感があった(ときどき間違えるけど致命的ではない).
私は職業柄,地球環境変動や温暖化の議論の考え方についてよく質問されるけれど,的確な回答を持ち合わせていないものの一人であることを常々自覚している.今日の立松氏の「語り」を拝聴して,その中の言葉にヒントを見つけた.それは「地球にやさしく」というけれど「地球は我々にはやさしくない」という言葉.これは,南極の厳しい自然を目の当たりにした立松氏の率直な感想であると同時に,アイスコアから読み取られようとしている地球の数十万年の歴史,そしてその激動の歴史の中で人類をはじめとして多種の生物が盛衰を繰り返してきたという事実がある,ということをわきまえた,そういう意味深長の言葉であるように思う.
国際南極大学の集中講義で,今日は自分の出番.午後後半に昭和基地とのライブテレビ会議があるので,例年の構成を逆にして,氷床変動と海面変動の解説を先に行う.
午前の部を終えた頃に,雲のスクリーンの向こうにちょっとだけ欠けた太陽を見ることができた.その様子がAppleのロゴに見えてしまったのは,もしかしてMac病か?
午後,南極観測の現場事情を解説した後,テレビ会議に突入.極地研の会場も参加して三元通信となり,通話の総合司会役をこちらで担当.おかげで自分で写真を撮っている余裕はなかったけれど,昭和側の樋口隊員のBlogで様子が綴られているのでそちらに振っておくことにする.南極からの情報のほうが全体をよく表現できていて,まったく形勢が逆転しているんだけれど,今のネット時代がそういう時代なのである.
私的には,密かにファンになっている武田隊員とやりとりできたのが一番の収穫かな.
立川に移転したばかりの極地研は,同じ庁舎に国文学研と同居しているのだけれど,教育組織としても,極地研は極域専攻を担当し,国文研は日本文学専攻を担当して,総研大の中では同じポジションにいる.そのよしみで,東京の会場には国文研の院生さんも参加していた.そちらとのやりとりにも,極地研と国文研というほとんど接点のないような二つの研究機関の同居生活の実体と行く末が,なんとなく垣間見えたような気がして,それもまた収穫といえば収穫.
受講生にとって一番心に留めて欲しいと思ったのは,やはり同世代というか同じ院生の立場で越冬隊の任務に就いている村上隊員の言葉であった.曰く
南極観測隊員,というと,実体はどうであれ人々は今でもそれなりに敬意を持ってみてくれている.子供達が隊員の姿や発する言葉にあこがれと理想像をみいだし,感化されて自分の人生を方向付けていくきっかけになっている可能性を考えると,自分の立場の重みを意識せざるをえない.
まあこんな感じ.
この年になると,院生が南極観測を通じて育っていく様子には親心のような特別な感情がわいてしまう.たぶん自分の経験とも重なるから余計そうなんだろう.研究者としてのスピリットを育むことも確かに重要なんだけれど,観測隊には,それ以上の,人間として成長する(させられる)要素がたくさんあるんだろうと思う.はたして今の大学院がその役割をどこまで果たせているか,は,はなはだ疑問ではある.その意味で,今日の村上隊員の対応ぶりから,彼は確実に良い方向に経験を重ねているんだな,と思えて非常に頼もしく感じた.
中央線のかなり西まで来ているので,ついでに立川に転居した極地研に初詣出することにした.これから何度も通うことになるので,まずはオーソドックスなルートを試す.モノレールで最寄りの駅まで行ってそこから徒歩.
玄関が施錠されていたので,仕方なく庁舎の外回りを見学したり,裏のほうのコンテナヤードなどをぶらついたり.JAREの文字が入ったコンテナがもう並んでいた.
9時過ぎに守衛さんが鍵を開けていたのに気づいたので,一応受け付けの名簿に記帳してから中に入って見てみることにした.土曜日ということで誰もいない.ほんとに誰もいない.それもなんだかへん.無人の所内を一巡してドアの前の名札の位置を確認した後,昭和記念公園経由で徒歩で立川駅に戻る.
2009年も今日から後半.引っ越し業者が入ってバタバタと退去作業が始まった.
3月にデザインが決まったことを紹介した切手は,昨日発売だったんね.Conyさんによるとマニアックな議論が展開されているらしい.たしかに,IPYの正式表記は2007-2008なのに,日本の切手が2009までになっている.
実は,IPYの実施期間は「2007年3月始まり2009年3月終わり」の正味2年間.南半球の夏の活動時期を考慮してこうなったと聞いたことがある.その意味では,IPY2007-2008という正式表記のほうが実体を反映しておらず,逆に日本の切手のほうが本当の実施期間を正確に表現していて,決して間違ってはいない.
南半球の夏の終わりを年度の区切りにするという発想は「極域年次進行」とでも呼ぶべきものかもしれない.私は商売柄,極域年次を意識することがよくある.たとえば,論文に南極での調査実施期間を表記する際に,「200x Austral Summer」と書いて,xの部分を,12月時点での年とするのか,1月以降の年にするのか,で迷うことがよくある.IPY式に言えばxは12月時点での年になる.まあ実際には 2005-6 なんて書いちゃうんだけどね.
これは,日本の,3月末までの予算年度や,4月に新学期がはじまる学校年次と似ているとろがある.私なんかは「修論生の修了年度と修論提出年月日が違う」という箇所は,毎年のようにチェックをいれていたりもする.私に限らず,本来日本人は,そういう年次問題には敏感なはずで,実際には2009年の3月まで実施されていたとしても,2007-2008と表記することには寛容でいられるはずだと思うのだけれど,切手をデザインした人は,さすがに「極域年次」にまでは思いが及ばなかったのかもしれない.
実はこの切手ネタ,Coyoteの原稿を依頼されたときに,私のBlogを丹念に読んでいた編集者から「あの切手ネタでコラム1つ分くらい書けませんかねぇ」と言われていて,結局は分量の都合で割愛していた部分でもある.
当初の予定は,この切手デザインにかこつけて,昭和基地の郵便事情とJARE50周年(ひいてはIGY〜IPY)の話題,あるいは次数の不一致問題(隊の数は50にならないし,越冬隊は2つ少ないとか),そして温暖化問題にも言及しようともくろんでいた,2009問題については気づきもしなかったので,知ってりゃ話をふくらませて書いてたかも.