繭の中
今日から3月.27日から時間帯がEに変更になっていて,日本との時差は4時間.船上観測に携わっている隊員や船員たちは毎日それなりに忙しそう.手伝うこともできず申し訳なく思いながら,自分はだらだらと時間を過ごす.まだ南極海にいて氷海の中に漂っているのだけれど,南極という夢の国から現実社会へと戻る,長いトンネルの中にいるような感じがする.
昭和では張りつめた顔をしていた皆も,それぞれ肩の力がぬけて,焦点が定まらないうつろな表情を見せている.戻るべき娑婆に新しい自分を再起させるため,しばしの間サナギになっている時期なのかもしれない.暇に任せてビデオを見る時間が多くなってしまうのだけれど,ひょんなことから懐かしい掘り出し物に出会った.二十数年前,NHKで夏休みに放送されていた少年ドラマシリーズの「七瀬ふたたび」という番組である.当時中学生だった私は,眉村卓,星新一,かんべむさし,小松左京などのSF作品を読みあさっていた.中でも筒井康隆氏原作の七瀬シリーズは大ファンで,それがドラマ化されたのだから見逃すはずがない.サッカーの練習を終えて汗と砂まみれで帰宅したまま,テレビにかじりついていたことを思い出す.
今回,そのビデオに再会して,番組の中で描かれる道東と十勝の風景に強烈なあこがれを抱いた当時の記憶が,まざまざと甦ってきた.もちろん,主人公を演じた多岐川由美の美しさがその憧れを助長したことは否定しないが,彼女らが演じる切ないストーリーと北海道の自然の美しさが,多感な少年の心に大きな何かを残したのである.そして,自分の北海道に対する原風景というか憧憬の原典がここにあったのではないかと気づかされたような気持ちになった.
当時,私は,漠然と南極への憧れを抱き始めていた.それが,数々の南極のヒーローを生んだ北海道という地への思いへとつながっていく過程で,SF好きの少年の心の奥底に,北の大地への志向を芽生えさせたのがこのドラマだったのではないかと思う.
極地探検の歴史の中で,北欧の探検家がオスロー・ベルゲン・トロムソをふるさとに思い,南を目指した世界中の探検家たちが,ニュージーランドのクライストチャーチを母港と思うように,私の南極への出発点,そして,旅の果てに懐かしく思い起こす帰着点は,立山山麓の郷里と北海道にある.帰国したら,家族をつれて道東の旅をしてみたくなった.白樺の森を歩き,笹原を流れるせせらぎを訪ね,湖畔にたたずんで夕日をながめる.そういう旅.
繭の中で,もう少し夢の続きをみさせてもらうとしよう.
一年
次男の誕生のしらせを昭和基地で受けてからはや一年.まだ顔もみていない.会う頃には歩いているんだろうな...
26日,しらせはプリッツ湾の流氷域に突入.
時間帯変更
あいかわらず船は揺れ続けていて,まったく慣れない.停船観測の見学もサポートもできず,くじらもオーロラも見えていたというのに,ベットの中で寝てばかりいる.それでも,思考はぐるぐる回っていて,報告書やアンケートに書きたいこと,論文の構成などが浮かんでくる.ちゃんとメモしておかないと,どんどん消えていくばかりなので,揺れの小さいうちに少しづつ書き留めるようにしている.
時間帯変更により,24日23時が25日00時になる.日本との時差は5時間に短縮.ここまで東に来るのにずいぶんかかったという感じ.
アムンセン湾
19日のうちに48次行動中の最後のヘリオペが行われ,日帰りで,リーセル・ラルセン山麓での生物・測地調査が行われた.アムンセン湾に入ってからひどい乱氷帯となり,あまり湾の奥まで進入できず,やや長距離の飛行となった模様.船の揺れが全くないので,非常に楽.船上から,34次越冬の帰路に調査したことのある,なつかしのリーセルラルセン山を眺めながら,調査に出られる隊員たちをうらやましく思う.
カラーで撮った写真のレベルを調整していたら,モノクロに近い色調になってしまったので,思い切って白黒写真にしてみた.このほうが現実に近いし,写真としての見栄えもよい.山と乱氷帯の間にある暗いなだらかな斜面が氷床.その奥が湾になっていて,その先に山がある,という位置関係.
この周辺の岩石はリュツォ・ホルム湾周辺とは異なる岩体で,世界最古の変成岩のひとつであることが分かっている.また,リチャードソン湖と呼ばれる氷床縁湖があり,これに関連した年縞を持つ湖底堆積物と氷河成堆積物とのインターフィンガーがみられ,また氷底変形ティルもある,ということで,氷河地質学的には非常に興味深い地域でもある.ただ,夏期でも非常に風が強く,冬期には想像を絶する強風が吹くようで,数年前に地圏グループが夏期調査用に建設した小屋が,翌年には跡形もなく吹き飛ばされていたという経緯がある.もし一次隊がここに最初に基地を建設していたとしたら,全滅していたかもしれない.
長期滞在して精査したい地域の一つであるけれども,レスキュー対策をしっかりしないと,なかなか実施に踏み切れない場所でもある.
20日午前には,ヘリのブレードが取り外されて,防錆体勢に入った.
しらせに「のりおくれ」
2月16日に無事「しらせ」に乗船.見晴らし岩で船に手を振る48次越冬隊を残して,北上を開始.
すでに二週間以上乗船している仲間もいて,どれだけ廃人になっているか興味津々だったが,あっという間の16日間だったらしく,結構まとも.
昭和基地を離岸してすぐに揺れが始まり,私にとってはいきなり環境が変わった.乗船が遅かった分,慣れの度合いも皆とは違い,完全に「のりおくれた」という感を強める.
さっそく越冬報告を執筆するようにとの指令が下っているが,船酔いで何も書けず,船上観測を見学する余裕もなく,結局,17日・18日と,ベットの中で寝たきりで過ごすことになった.かえって廃人度の高いのは,のりおくれ組の私のほう.
19日現在,アムンゼン湾に向けて東進中.
まだ…


20m/s超の強風で飛び散った第一ダムの水しぶきが着氷している
...ということで,まだ昭和基地にいます.
実は,今日は早朝から夕刻の20:00まで,ずっと待機状態が続きました.スタンバイが解けるまで夕食時の飲酒も禁止.明朝のピックアップスケジュールは,なんと早朝の05:00とアナウンスされています.
こんなに焦っている「しらせ」もなかなか珍しいことです.南極海で起きているこんなとかこんな事件で,自衛艦「しらせ」が動こうとしているのかどうかは,定かではありません.
もちろん,帰路にも海洋観測のスケジュールがびっしりです.計画している研究者の要望にも応えなければなりませんので,グズグズしている暇はないんですけどね...
あらたな始まり
VLBI観測は昨夜に無事終了し,今,一風呂あびて無精ひげをそり落としてすっきりしたところです.がらんとした第一夏宿の食堂に一人きりでパソコンの画面に向かっています.徹夜の観測の疲れが心地よく体を包んでいます.外は予想通り,風速20m/sを越える強風.夏宿の壁にビュービュー吹き付けて,真冬のブリザードを思い起こさせます.こうして短い夏が終わり,オングル島にまた冬がやってこようとしています.
もう数時間もすれば,いよいよ昭和基地を離れなければなりません.48次越冬隊だけを残して我々は昭和基地を離れ,しらせに乗船して帰国の途に就くのです.
私の2度目の昭和基地滞在はこれで終了しますが,越冬中に得た研究試料の分析や論文・報告のとりまとめなど,南極に関する仕事はまだまだ続きます.惜別の念が募るのは確かですが,越冬という貴重な機会を与えられた研究者として着実に成果を出していくことが期待されているかと思うと,感傷に浸ってばかりはいられません.
昭和基地を離れるこの時点が,私の南極のあらたな始まりなのです.南極への情熱と思い入れを一層新たにしたところで,前向きな気持ちでここを去ろうと思います.
3月1日には,国際極年2007-2008が正式にスタートします.また,私が所属する北大・大学院環境科学院では,すでに「国際南極大学構想」に参画するための国際カリキュラムが動き始めていて,今年4月からは「南極学カリキュラム」も開講されようとしています.残念ながら私は助教という立場である都合で,講義を直接担当することはできません.もちろん私など霞んでしまうような立派な教授・助教授陣が担当されますので,私などいなくても,北大が世界に誇れるすばらしい講座になることは間違いないでしょう.そのような講座に裏方でサポートできる機会が帰国後にちゃんと用意されているというのも本当にありがたいことです.そして,南極越冬経験者として,また南極研究をメインテーマとする研究者として,この構想に積極的に参画し,将来の人材育成に貢献していきたいと,今からワクワクしています.
とりあえず,近々に下記の企画が札幌で開催されますので,お近くの方は是非足を運んでみてください.
北海道大学 南極学カリキュラム 開設記念イベント
〜 ふしぎ大陸 南極を見に行こう!〜
ということで,昭和基地からのBlog更新をこれで終わりたいと思います.ご愛読いただいた方々,どうもありがとうございました.帰国まではまだ一月以上ありますので,折りをみて船上から更新を再開したいと思います.
最後になりますが,今回の昭和基地越冬では,大きな事故もなく無事に任務を完了することができました.これも,遠くから見守ってご支援いただた家族や友人や職場の多くの方々,そして,ともに南極で過ごした46次・47次・48次観測隊の皆さんのおかげです.心よりお礼を申し上げます.そして,帰国後もかわらずおつきあいいただきますよう,どうぞよろしくお願い申し上げます.
研究者根性
昨夜からVLBI観測.眠気覚ましに,48Ganちゃんと47多目的氏がピアノとサックスのセッションを聞かせてくれた.ウマすぎ.
低気圧の接近で風が強い曇天.気温は高めだが,すっかり初冬の雰囲気.そんな中,航路啓開と海洋観測のため一時離岸していたしらせが早朝に戻ってきて,47残留組と48夏隊員の大半をピックアップしていった.私は観測中のためヘリポートに行けなかったのでWebカメラごしに見送る.たぶん,涙涙の感動惜別シーンが繰り広げられたにちがいない.残るは,私を含む47次2名と48夏の数人.明日の最終便ピックアップを待つ.昭和滞在もあと一日.
ピックアップを終えてすぐにカメラの視界からしらせが消えた.どこへいったのやら...(一旦弁天島沖まで戻った模様)
実は,今回のVLBI観測のために最終便まで47次隊員が残留することには一悶着あった.越冬交代した前次隊が最後の最後まで残ることはあまりよいことではないのだが,たまたま最終便が出る前日にならないとVLBI観測が終了しないというスケジュールだったことが原因.VLBIは国際共同観測なので,昭和基地だけの都合でスケジュールを変えるわけにもいかず,今回の観測が引継ぎができる唯一の観測でもあったので,なにがなんでも残して欲しいというのがこちらの希望であった.それでも当初は観測中の14日の帰還という線で話が進んでおり,交渉の結果,最終的に観測を終えた翌15日の帰還フライトにしてもらうことができたのである.
一時は,観測終了まで残留できると決まってほっとしていたが,その後にも,悪天が数日間続くという予想が出て,14日前半のピックアップを逃すと次のチャンスが16日以降にずれこむ可能性が大となった.そのため,14日中のしらせ帰還を要請される可能性もある,と再び言われたりもした.
現在の観測隊のシステムでは,私のような昭和基地の観測系隊員は,自分のプロジェクトでもないかぎり,観測の企画者で責任者でもある国内のプロジェクトリーダーから仕事を依頼されている立場にすぎない.しかし現場を預かる研究者根性から言えば,たとえ請け負いといえども,可能性がある限り引継ぎと観測の貫徹を主張する責務がある,というのが私の気持ち.47次神山越冬隊長には「ヘリを飛ばしてもらえないなら,船まで海氷を歩いて帰る覚悟もあるんですけど,いいですか?」と直訴までしたくらいだった.
この直訴が効いたのかどうかは定かではないけれども,海氷経由で船に戻ることが現実的に検討され始めた.その掲示を見ながら,これまでの経緯を思い出して「まさか精神論が実行懸案になってしまうとは」と驚きもしつつ一人でほくそ笑んでいたところ,横を通りかかった48次ハッシー隊員に「なに笑ってんの?」といぶかしがられた.
帰国直前になってこんなヒヤヒヤな思いをしてみると,犬たちを基地に置き去りにせざるを得なかった1次越冬隊員の菊池・北村さんたちのような気分にすらなってくる.夏とはいえ,厳しい自然との闘いは,南極「観測」オペレーションには避けられない問題としてまだまだ残っているのである.



