居候

残留組の半分は今夜が昭和基地最後の夜.

結構大勢の残留者がいる理由の一つに,ヘリの運行時間が制限されているという事情がある.しらせを引退ぎりぎりまで使う影響の中でも,搭載ヘリの飛行可能時間の限界が近づいているのが結構大きい.今次でたくさん飛んでしまうと,来次・来々次の飛行時間に制限がでる.それはなんとしても避けたい,というのが48次輸送担当の気持ち.

仕事がなくなった越冬終了隊員は,有終の美を飾ってあとくされなくきっぱりと順次しらせへ引き上げるのが理想.だけれど,帰り便も限られているので,仕方なく(内心では喜んで)残っている隊員も多い.それでも,ただぼんやりと残っているのは48次の夏オペにがんばっている隊員たちにも悪いし,ヘタに手を出すとおせっかいに思われそうだし,そんなことを思いながら,自分自身で納得いくよう働きたいという観測隊員気質で,みんなはなんだかんだと仕事を探してきて忙しくしている.

私のほうも,アンテナの交換作業が結局なくなってしまったし,VLBIまで日もあるので,漠然と残っているよりは,しらせに一旦引き上げて,必要な時に戻ってくるほうがケジメがつくと思ったりしながら一日を過ごしている.

いつまでも残っていたいと思う気持ちと去り際を潔くしたいという気持ちとが,複雑にからみあう残留である.


こんなDVDをつくってほしい

早朝,北大から助教移行審査にパスしたという通知が来た.世知辛い娑婆へ戻るのか...という憂鬱が一気に押し寄せてきた.

冷たい風の吹く一日.朝からL/Sバンド衛星受信アンテナを交換する予定だった.ところが,同型だと思って持ってきた交換品が,昭和のものと微妙に仕様が違うことが判明し,作業は保留.

空いた時間を使って環境科学棟の管理引継ぎを実施.これまで私が管理してきた環境科学棟の次の住人は,先日ドームから戻ってきたばかりの中沢氏.交代前に引き継げず,今日まで延び延びになっていた.これでようやく一安心.中沢隊員も,もう一人の住人の福井隊員も,氷河研究つながりで旧知の仲でもあるので,他人行儀になることもなくすんなり終了できた.お二人とも,これからの越冬一年間しっかりやってください.

夕食は,第一夏宿で支援してくれたしらせ乗員と合同で焼き肉.

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航空機ローパスの
ダイナミックなシーン

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Aヘリから夏宿への道.
まるで炭鉱労働者の家路のよう.
こんな渋い写真が海猿でも使われている
交響曲にのってノスタルジックに流れる.
「くわばら」さんは前の越冬で一緒だった
45次の設営主任.

午後,アンテナ作業の進展待ちをしながら衛星受信棟でデータ整理をしていたら,PCの中に45次の自作DVDの編集データが残されていることを発見.再生してみたら,これがスゴイ出来.

丁度,越冬航空機最後の隊でもあって,ピラタスやセスナからの空撮映像は圧巻.45次と47次は現地での直接的なつながりはない隊だけれど,エンディングなんかは,まるで自分たちのことのように感情移入ができてしまうほど,涙チョチョギレの感動モノ.

こういうDVDをうちの隊でも欲しくなった.だれか作ってくれないかなぁ...と言っていたら,自分で作れ,と言われてしまった.

日没直後にサンピラーが出現.夏と昭和基地との別れを感じつつ,寒さにかじかみながら日の入りを見つめる.
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公共事業基地?

残務処理で衛星受信データをとりまとめて持ち帰り用に梱包.日本から届いたセキュリティソフトのインストールなどを行う.48次には衛星受信担当隊員がいないので,これらの仕事は今後多目的大型アンテナ担当隊員の仕事になる.つまり設営部門に属する隊員の仕事になるわけ.

毛利衛さんは『ロボットにできる定常やモニタリングの観測はもっと自動化をすすめて人員を減らし,その分,本来の研究面に多くの研究者を投入できるようにするべきだ』と提言されているが,人員削減面でもっとも進んでいるのが衛星受信観測であろう.昭和基地から担当の研究者がいなくなり,観測機器をお守りする設営担当だけが残ったことがそれを如実に物語っている.もともと人間の存在をうけつけない宇宙空間での観測ではリモート技術が発達しているので,それに近い分野の衛星受信でまっさきに現場の無人化がすすんでいるのは当然といえば当然とも言える.

今日,アンテナ林で一騒動あった.多くのケーブルが地を這い,観測用の電波も入り乱れているために,立ち入りを制限している区域で,地面を大胆に掘り起こすような土木作業が,観測系隊員のあずかりしらぬところで行われていたのである.

もちろん,土木作業にあたっていた隊員には何の責任もない.全体を見通した作業工程・指示・計画を出せていない統括側に問題があることは明らか.

大気観測に影響がでる焼却炉,基地の電気的雑音を嫌って西オングルに早々に逃げた宙空観測,アース問題を観測部門が個々に解決すべき事項にしてしまう姿勢.新倉庫の建築にあたって,その場所を決めるのに建築・土木で一方的に決めてしまうプロセスなど,観測・研究と設営との乖離はすでにくることろまできてしまっているような気もしないでもない.

昭和基地の生活レベルは格段に向上したし,輸送の面でも,現在工事中の道路の完成によって,飛躍的に効率的になるだろう.でも,これにともなう地形改変によって失われる自然環境も少なくない.私が専門とする地形学的な研究においても,土木工事が進行している地域が充分に調査されているとは限らない.今できることは,どこが人工改変地形なのかをしっかりと見極めておいて,今後調査するようなことがあれば,それを自然物と混同しないように押さえておくことぐらいである.まあ,もう東オングル島にまともな自然地形の存在を期待することはあきらめたほうがよいのかもしれない.

それにしても,大気観測にも電波観測にも向かない,自然地理的調査も限界,野外に出るための充分な準備スペースもない,となれば,なんのための基地なのか,分からなくなってくる.基地拡充,生活環境の向上などの名目で公共事業でもやっているんじゃないかとすら思えてくる.ここは,観測も設営も一体となって南極観測に取り組む美しき共同体の実現の場ではなかったのか?「あなたの作った設備は観測の支障になってるし,役にもたちません」なんて言われたら,がんばっている設営隊員も浮かばれない.

定常・モニタリング観測のロボット化と研究者の短期滞在化をすすめた末に,昭和基地の研究環境を主体的に考えることができる研究者が減ることになれば,この傾向はますます強まってしまうんじゃないかと心配になるこの頃.


疑似テレビ会議

image北海道陸別町で開催されている「しばれフェスティバル」で,南極の紹介コーナーがあり,そこにNiCTがからんで,昭和基地の電離層棟に設置されている監視用ネットカメラの画像を会場に送る企画が実施された.

このネットカメラは,昭和基地を映している公開Webカメラとは別に,NiCTが独自に業務用で設置しているものであり,普段は一般には公開されていない.また,南極教室で使っているようなテレビ会議システムでもないので,双方向のやりとりもできない.しばれフェスでの企画は,当初はカメラの画像を会場に配信するだけだったのが,電話を使って会場と音声だけやりとりして,電離層棟の監視カメラの画像とあわせて,擬似的にテレビ会議をやってしまおう,という計画までふくらんでしまったのである.

すでに,越冬交代して48次隊の業務になっていたが,これまでフェス側とやりとりしてきた都合上,47次の電離層隊員が中心となって,今日の企画をすすめることになった.私も北海道関係者ということで出演を依頼されて,今日の企画に出演.また,丁度昨日にドームから帰ったばかりの斉藤隊員が陸別出身ということで,急遽出演してもらうことになった.

陸別町といえば,北海道でも最も寒い地方のひとつで,今頃の時期には氷点下20度以下に下がることもざらにある.当然,夏の昭和基地よりもずっと寒い.この寒さを利用して,ドームで使う掘削機材の開発テストも行われた場所で,なにかと南極とは縁のある町なのである.

昨夜からの強風もなんとか収まり,電離層棟の南側入り口外に臨時に設置された屋外スタジオで,監視カメラに向かって受話器を片手に,陸別町の会場に語りかける.相手の反応が分からないので一人芝居をしているような不思議な感覚.斉藤隊員のご両親も偶然会場にいらして,はからずもドームから無事帰還の報告の会話も実現した.

やっぱり相手の顔がみえないテレビ会議は物足りない.これまで南極教室やライブステージを,そんなに苦もなくこなせてきたのは,日本側のいろんな人々に会うことができたからなんだなぁ...と,あらためて昭和基地の孤立環境にいる人恋しさの気持ちを認識した次第.

北海道と南極との関わりについては北海道新聞のこの記事に詳しい.


舞い戻り

朝の便で昭和基地に舞い戻る.夏作業の残務支援.最終便直前にVLBI観測があるので,結局,47次隊としては一番遅くまで昭和に残ることになった.

残留期間のすみかとなる第2夏宿に荷物を運び入れた後,Aヘリで,ドーム先発隊でS17に残っていた二人の昭和入りを出迎える.48次隊の越冬隊員でドームに飛行機で入っていた中沢隊員も,初めて昭和基地に降り立つ.それなのに,48次の越冬隊員はだれも迎えに来ていなかったので,彼はちょっと寂しそうだった.その分,我々47次残留組で熱烈に歓迎してあげたし,荷物も運んであげたので,昭和基地の最初の印象はそんなに悪くはならなったと思いたい.

私が34次で越冬したときも,夏オペ中はほとんど野外に出っぱなしで,越冬交代式にも出ることができなかった.越冬交代が終わった頃に,一人ぼっちで野外から戻ってAヘリに着いたのだが,そこには越冬隊長が一人で出迎えに来てくれていた.うれしかたなぁ〜.そのときの感動を呼んだ歌.

野外よりひとり着きたるヘリポート 我を迎えし隊長の笑み

夕刻より風が強まり瞬間で30m/sを越える.S17ではCブリ基準を超えBブリに近づいているらしい.もう夏も終わり.管理棟や新居住棟は立派すぎて外の強風はほとんど気にならないけれど,旧居住棟を移設した2夏は,昔ながらに風の音がもろに響く.この雰囲気こそ南極なんだよねぇ.

2夏のサロンで酒を飲みながら「本来なら外出注意令基準の風なんだけど,48次からはなんのアナウンスもないよ,どうしたかな?」なんて,残留組で小姑気分の語り合い.


越冬交代

47次と48次の越冬交代の日.今夜はネットがつながらないしらせに引き上げるので,本丸にいるうちに,たぶんこんな気持ちになるんだろうなぁと予想しながら,引き上げ便に搭乗する瞬間の情景を歌に託して書いておくことにする.

なごり雪(48次追いコンバージョン)

(1) ヘリを待つ君の横で
  ぼくは時計を気にしてる
  季節外れの雪が降ってる
  「昭和基地で見る雪はこれが最後ね」と
  さみしそうに君がつぶやく
  なごり雪も降る時を知り
  ふざけ過ぎた季節のあとで
  今 が来て君はきたなくなった
  去年よりずっときたなくなった

(2) 動き始めたヘリの窓に
  顔をつけて
  君は何か言おうとしている
  君のくちびるが「さようなら」と動くことが
  こわくて下を向いてた
  時が行けば きれいな僕も
  きたなくなると 気付かないまま
  今 が来て君はたくましくなった
  去年よりずっとたくましくなった

(3) 君が去った昭和に残り
  落ちては凍る 雪を見ていた
  今 が来て君はたくましくなった
  去年よりずっとたくましくなった

  去年よりずっとたくましくなった
  去年よりずっとたくましくなった

昭和基地よ,さようなら.
仲間達の日々,ありがとう.
南極大陸よ,また来るその日まで.


#しらせに乗船したら,昭和基地と無線LANでつながっていたので,以下船内から追記.

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越冬交代式.赤ヘル(47)と青ヘル(48).の記念撮影

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最後の余韻に浸る間もなく,朝から撤収作業.最後の私物をトラックにつんで越冬交代式に臨む.19広場の昭和基地の看板をはさんで左右に両隊が整列し,正面で握手を交わしながら左右を入れ替わる.これで越冬交代完了.50年前になぞられれば,我々は国際地球観測年の本観測を控え,予備観測の任を担った第1次隊に相当する.残念ながら本観測時の第2次隊は越冬を断念しなければならなかったけれど,48次隊はちゃんと越冬に入れそうだ.IPY2007-2008の初年度を担う重要な隊として無事に任務を果たされることを祈念したい.

JARE50周年を記念して,1次隊から現在までの観測隊員の名前が刻まれたプレートが各隊次ごとに作成された.隊員経験者で希望する人にも販売するという.今回,そのプレートを昭和基地に掲示すべく,48次隊が日本から持参しており,その除幕式も行われた.かつて活躍した犬たちのプレートもある.これから毎年越冬が成立するたびに,一つずつプレートが増えていくことになる.48次に関しては,越冬成立前でまだ2週間以上はあるけれども,この除幕式にあわせて一緒に掲示されることになった.

式の後,ヘリでピックアップされてしらせに乗船.さっそく,第4船倉に入っている私物と免税品を船室まで運び上げる.

しらせの決定的な欠陥は,観測隊が使用する1甲板にエレベータの出入り口がないこと.ヘリポートのある01甲板に下ろされた物資は,そのままエレベータで2階下の2甲板にある第4船倉へ格納されるのだが,2甲板から1甲板へは狭い船内階段と通路を使って,手作業で荷物を運び上げなければならない構造になっている.特に何かのポリシーがあってこうなっている訳ではなく,設計時の仕様指定ミスらしい.おかげで,観測隊はいつも,物資の出し入れに,手作業を伴う作業を強いられてきた.新造船には01-1-2甲板をつなぐエレベーターがちゃんと装備されていることを期待したい.


越冬最後の日

早朝の便でドーム帰路先発隊のうちの3人が昭和基地に戻ってきた.手空きの人員でヘリポートで出迎え,再会を喜び,これまでの労をねぎらう.

今日で47次越冬隊の昭和基地管理期間が終了する.管理棟や居住区の大掃除や個室の荷物整理など,48次隊に明け渡すための最終作業.次の隊に気持ちよく引き継いでもらうために丹念に掃除.

image昼食後に衛星受信に関わった仲間で記念撮影.今後は衛星受信担当隊員枠がなくなるので,事実上私が最後の衛星受信担当隊員となる.それでも,大型アンテナの使用は続くため,メーカーのNECから派遣される設営隊員枠は今後も続くし,VLBIやL/Sバンド衛星受信は地圏,気水圏,宙空隊員の手によって継続される.

今日は越冬終了日であると同時に月末日でもあり,観測の月末締めもしなければならない.水素メーザーのステータスや衛星受信データのチェック,越冬中の様々な記録が保存されているWikiサーバーの切り替えなど,これだけは今日でなければできない,という仕事をこなしていたら,もう一日が過ぎていた.もう少しのんびりと過ごそうかと思っていたんだけど,結局,なにかとあわただしい最終日となってしまった.

居住棟の書庫を整理していて,越冬開始当初に読もう読もうと思っていたうちの一割も読めていないことに気づいた.ネット情報が簡単に得られ,DVDやビデオが大量にある環境では,個室に籠もって読書三昧,という感じでもなくなってしまったからだろう.野外に出るのが忙しかった,という背景もある.

むしろ,これから乗り込むしらせでの6週間は,ネットも使えないし,ビデオもそんなにあるわけでもないし,読書に向ける時間がたっぷり取れそうな感じ.娯楽本に関しては,昭和基地よりも帰路の船上のほうがずっと需要があるように思える.でも,船上の図書ぞろえは,とっても貧弱...居住棟の書庫をそのまま持ち帰ってしまいたい衝動に駆られた.

さて,どうしよう...論文を書け,ってことか...

最後の晩餐の後,47次隊10大ニュースが発表された.トップは記憶の新しいところで「VIPの昭和基地訪問」.以下の順位は結構票が割れて,同点多数か一票のみ.思い出も人それぞれということか.それでも,こうやって一年を振り返ってみると,いろんな出来事があったんだなぁ,とつくづく思う.

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47次の名盤
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34次の名盤
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食堂入り口に掲げられた47次の名盤
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名盤を見上げるみんなは
なかなかいい顔してるな,
と思った.この連中となら
もう一度越冬してもいい.

その後,各次隊恒例の名盤を壁に掛ける儀式を挙行.大胆にも,食堂入り口の真上という一等席に掲げることになった.

名盤は,その隊で建てた建築箇所に記念として掲示するのが理想とされる.現在の基地中心施設は33次以降に建てられたものばかりで,実際,この内部にあるもので一番古い名盤は33次のものである.この隊は管理棟の外側を作った隊で,非常に大変な苦労をしたにもかかわらず実際には管理棟をほとんど使用していないという不遇な隊である.次いで34次が管理棟の内装を完成させ,旧食堂棟からの引っ越しを行い,実際に管理棟を使い始めた.最初に管理棟内に名盤を取り付けたのも,実はこの34次である(名誉なことに,そこには私の名前もある).それでも33次の名盤が管理棟内にあるのは,33次経験者が後の隊で越冬した際につけたもの.ということは,棟内に名盤を掲げる習慣を始めたのは,私が前に越冬した34次ということになる.

その後,通路棟や倉庫棟,第一・第二居住棟,と昭和基地の中心施設がどんどん更新されていき,そこには,それぞれの棟の建築に関わった隊の名盤が掲げられている.ここ数年は新規建築物があまりなく,仕方がないので,管理棟内の適当に目立つ箇所に名盤を残すようになってきた.従って,名盤の場所とその隊が何をしたのかとはすぐにはつながらない状態になっている.

我が47次隊もその例にもれず,基地中央部には自分たちの仕事を記念できるような掲示場所はない.また,近年の隊が適当な場所をすでにとってしまっているので,さらに選択肢がせばまっている.逆にいうと,大胆不敵ともいえるようなベストポジションしか残っていなかったのである.

まあ,南極地域観測50周年を記念する隊でもあることだし,この場所をとっても後々ひんしゅくを買うことはないだろう.


施設安全点検

越冬交代を目前にして,47-48両隊長と安全主任により,各観測棟の安全点検が実施された.消火器の配置,電気系統の不備の確認,薬品・危険物の管理,暖房・火器の点検など.

今日一日,特に決まった作業はないものの,最後の引継や持ち帰り物資・観測データのチェック,掃除,関係者への連絡などで一日を過ごす.

ドーム帰路先発隊がS50まで戻ってきた.ここで氷サンプルをヘリにのせ,S16まで車両をもどし,今夜はS17に宿泊.明日の第一便で3人が昭和に戻ってくる.再会が楽しみ.


南極観測五十周年

1957年の今日,一次隊が西オングルで国旗を揚げ「昭和基地」と命名した,昭和基地50歳の誕生日である.

image今日は,記念式典で国内も昭和基地も大忙し.行事は三本立て.まず,「オープンフォーラム南極●第2部」があって,その後,50周年記念式典が挙行され,それに引き続く祝賀会で終了.昭和基地は,これらすべてにネットテレビ会議システムで参加する.

昨夜の秒刻みのリハーサルがうまくいって,ちょっと余裕をかまして床に就いたら,早朝の接続開始時間にすっかり遅刻してしまった.ということで,今日は出演はないものの,裏方でいろいろとお手伝い.

今日の朝日新聞にも南極五十周年の記事.1/4に書いたことが気になって,注意深く記事を読む.「開放」の対象が研究中心であるように読み取ることができる点では,前よりも良くなったんじゃないかな,と思う...こうして記事評を書いたところで,それを書いた記者を評しているんだかそのネタを評しているんだか分からなくなるんだけど...

さて,フォーラム第2部では,この「開放」の部分が焦点となった.一口に「開放」というけれど,私は「なんとなくよさそうな開放」ではなくて「実効性のある開放」でなければいけないと思っている.開放によって何が起こることを期待するのか,何が可能になるのか,どういう不都合があるのか,そのためにどう問題を解決していくのか...フォーラムに求められた議論は,まさにこのような点であろう.パネリストの毛利さんは,開放によって研究界に生じる対立軸を要領よくまとめておられた.

  • 基礎研究〜〜〜〜応用研究
  • フィールド研究〜〜〜〜シミュレーション研究
  • オリジナル研究〜〜〜〜定常観測
  • 個人研究〜〜〜〜チームワーク研究
  • 好奇心的研究〜〜〜〜目的研究
  • 越冬隊〜〜〜〜夏隊
  • 国営〜〜〜〜民営
  • 自由〜〜〜〜効率
  • 研究者〜〜〜〜技術者
  • 安全〜〜〜〜挑戦
  • 前線基地〜〜〜〜後方支援
  • 自然科学的評価〜〜〜〜社会科学的評価
  • 国際協力〜〜〜〜国際競争

  • 特に,「国際協力」と「国際競争」は我々研究者にとっては重要な視点で,個人レベルでは「他の研究者に先駆けて」と競争を迫られている中で,同時に協力もしていかなければならないのは,なかなかつらい.「昭和基地にいる研究者が外国人で占められ...」という事態も考えておく必要がある.要は人材育成を徹底して,外国人を受け入れてたとしても日本人研究者がメジャーでいられる状況を死守しなければいけないと思う.

    毛利さんがまとめられた対立軸は南極に限らずどの分野でも発生しうるものでもある.しかし,この点でも毛利さんはうまく「南極」の意義を指摘されていて,

    厳しい自然環境に対する危機管理を強いられ,かつ高度な科学的成果を要求されている研究環境は研究者個人としてもプロジェクトチームとしても根源的な必要性が問われるので、何が重要か、どういう優先順位にすべきかが顕著に浮かび上がる。

    「南極を日本の科学技術研究に共通する課題の解決法をさぐる先駆的実験場として位置づける」のにふさわしい場所である

    これまでの流れから,社会的には,環境問題などに対して南極観測に即効的な成果を期待されているように思うが,初期の南極観測にしても今現在にしても,科学と技術の試行錯誤が続く実験場としての要素はまったく減っていないと思う.毛利さんの提言は,フロンティアを開拓するパイロット事業現場として,科学技術研究の中に南極観測を位置づけられており,この案に私も大賛成.

    ただ,日本人は改革の前に清算をすませておくことが極端に苦手な人種でもあるから,パイロット事業で得られた成果(つまり改革の種)をどう拾い上げていくか,という視点も入れておく必要があるように思った.

    image皇太子ご臨席の式典には,しらせ乗員代表も参加して,昭和基地側も不動の姿勢で臨む.昨夜のリハの成果もばっちりで,時間内に通信を終える責務はなんとか果たせた.

    祝賀会会場から,一杯入った今井さんが呼びかけてきて,「今日は毛利さんと昭和基地の誕生日なので,まほろBarでお祝いしてくださ〜〜い」とメッセージを送ってくださった.しかし,昨日からの対応や夏作業で疲れ果てた我々は,特別な祝杯をあげることもなく,ただただ今日一日を無事に終えた開放感に浸っていた夜なのであった.

    「観測・夏作業に支障のない範囲で対応」と指示してくる極地研の対応は欺瞞だらけ(と言うよりは鈍感).支障がないわけないよ!

    むしろ,広報・アウトリーチ活動をちゃんとした業務と認め,「フォーラムで展開される議論は,この現場にいる研究者・観測者・隊員全員も聞いておく必要があるからしっかり対応すべし」ぐらいのことを言って,正式に参加させるぐらいの指示をだしてもらったほうが,こちらとしてはすっきりする.こういう双方の意識のずれも解決すべき点.

    昭和基地の情報孤立環境は今や昔話になった.かつてのような越冬浦島太郎はもう生まれないだろう.むしろ,昭和基地という最前線でいろんなことを実感しつつ,しかも国内外の動きがリアルタイム情報で入ってくる状況は,時代を見据え見越した考えを持つのに最適な環境にあるといってもよい.国家戦略規模のことは別として,戦術・戦闘レベルでは,内外の情勢への敏感さという面で昭和基地と極地研の指揮・対応能力は逆転している.もう,国内の旧態に凝り固まった鈍感な指示に従わなれば動けない基地ではないのである.昭和基地の現場感覚,世の中で起こっていることと自分たちの置かれた立場とを比較するバランス感覚に関しては,基地側はもっと尊重されてもよい.

    「情報革命」「輸送革命」.これらが次の50年の始まりにおいて南極観測におこりつつある変化である.


    オープンフォーラム南極第1部

    1912年に白瀬南極探検隊が最南端に到達し「大和雪原」と命名した日.オープンフォーラム南極●第1部会場と昭和基地とをネットテレビ会議システムでつなぐ準備を早朝から開始.

    先日昭和基地を訪問された今井さんと立松さん,そしてメガスターの作者である大平さんがパネリスト.私は,48次宮岡隊長と昭和基地側を代表してネットテレビで出演.越冬中には,南極展ライブステージを70回以上実施したけれど,その時に日本側の進行役でお世話になった女性が今回も進行役.彼女には我々のことやテレビ会議のクセなどをよく理解していただいているので非常に心強い.

    今井さんの昭和基地レポートにあった「人格者」との隊員評に赤面し,立松節で語られる氷底湖「The Day after Tomorrow」説との関係の解説に感じ入る.大平さんのほうは,じつは私が以前からファンであった御仁.メガスターの簡易版であるホームスターや,メガスターの誕生物語をドラマ化したTV番組の録画を,ここ昭和基地まで持ってきていたほど入れ込んでいる.昭和基地のスタジオのテーブルにホームスターをさりげなく置いておけば,大平さんの関心を引けるに違いないと思ったのだけれど,ホームスターも録画DVDもすでに持ち帰り物資の中に入れて出してしまっていて,非常に残念な思いをした.

    当初の予定では,私は,パネリスト3氏の講演のあとで47次越冬活動の概要と現在の様子を簡単に説明する程度でよい,という話だった,フォーラム後半のパネルディスカッションにも引き続き出演したけれど,その議論でも,なにか意見を求められたときにちょこっと答えるだけでいいから,と言われて座っていた.

    ところがパネルディスカッションに入っていきなり,会場からの質問コーナーになってしまって,半分以上はこちらで答える展開になってしまった.越冬中に実施してきた南極教室やライブステージのようなノリで,大人から子供までの高度な質問にアドリブで対応する.すっかり身に付いた反射神経のようなものかもしれない.それでも,せっかく出演していらっしゃるパネリストの皆さんになんとか話題を振ろうと思って,質問と回答の間がまのびしないよう頭の中をフル回転させて画策したけれど,なかなか思うようにはいかなかった.

    その他にも,札幌管区出身の48次気象庁隊員の奥さんが登場するハプニング?もあって,予定を一時間近くオーバーして終了した.

    午後からは,明日の第2部,および50周年記念式典会場とのネットテレビ接続の準備.しらせの艦長も昭和基地入りして,神山・宮岡両隊長と式典対応について打ち合わせ.皇太子殿下も臨席なさるという記念式典は,今日のような大幅な時間超過という事態は問題外という厳密な進行スケジュール.秒刻みのシナリオに対応すべく,念入りなリハーサルを実施して明日に備える.


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