南極
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南緯55度通過
本16日未明,日付が変わった頃に南緯55度を通過し南極圏を出た.手当支給に関わるため,通過時刻は厳密に定められていて,早すぎても遅すぎてもいけない厳守事項となっている.
昨夜にビデオを見ていたら,突然エンジン音が高まって揺れも増えたのだが,実はこの時刻調整のためなのであった.
氷海離脱
8日夜にあった時刻帯変更で日本時間と同じになった.9日から大型の低気圧のど真ん中を航行したため大きく揺れて,食事とベッドに横になる以外にはなにもできなくなった.それでも10日が報告書や自己点検評価の第一稿締め切りなので,薬付けで船酔いを抑えつつ,原稿を仕上げて期限に間に合わせる.食後にソフトクリームの支給が行われたのが,せめてもの救い.
11日に48次行動最後の氷海観測が実施され,午後には氷海を離脱して,これで南極海の海氷とはおさらばとなった.いよいよこれから北上を開始する.まだ揺れる日が続くかと思うと非常に憂鬱.
11日は休日ということで,艦内娯楽大会が実施された.科員食堂では将棋・オセロ・キャロム・ダーツなどの室内ゲーム大会が行われ,ヘリ格納庫ではストラックアウトとフリースローの競技があった.全員参加のダーツでは,5本のうち3本を真ん中に決めて観測隊最高点をマーク.船酔いで左脳が機能不全に陥っていたのが勝因かも.ベッドの中で日本から送ってもらった,リリー・フランキー著の「東京タワー」を一気に読んだ.泣けた.そして,東京の醜悪さを評して,
ポケットの中に納められた百円は貧しくないが、ローンで買ったルイ・ヴィトンの札入れにある千円札の全財産は悲しいほどに貧しい。
必要以上になろうとして、必用以下に映ってしまう、そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。
「貧しさ」とは美しいものではないが、決して醜いものではない。しかし、東京の「見どころのない貧しさ」とは、醜さを通り越して、もはや「汚」である。
と書いているあたりに,現在の施設ぶくれした昭和基地のありようを見ているような気になった.
船のメシ
6日からはしらせ乗員向けの南極大学講座が始まって,一日に2コマづつ,夏オペや越冬中の観測隊の活動が紹介されている.
ここ数日,東進を続けているため,インド洋上空のインマルサットと船のアンテナとの位置の関係が悪く,メールも電話もつながりづらい状態が続いている.現在はオーストラリアの真南にいて日本との時差は1時間,昭和基地との時差は5時間である.
食事以外には生活をしばる規則も特になく,体内時計も狂いっぱなし.夜通し起きている人も多く,朝食の出席率が非常に高い.私もその例に漏れないが,このところ朝食が楽しみになってきた.ご飯とみそ汁の他に,漬け物や炒め物などの簡単なおかずが出るだけだかれども,炊きたての飯が非常においしいのである.船では一日に一回しか炊飯しないようで,昼食と夕食のメシは保温されたものだったりして味は確実に落ちている.
そろそろ,シドニー寄港にむけて体内時計を正常にもどしていかなければならないと思いつつ,自堕落な生活をつづけているこのごろ.
アンケート
ずーと南緯64度を東進中.3日には東経100度まで来た.3日・4日と続けて時間帯変更があり,本4日朝の時点で日本との時差は2時間.
船の中の仕事には,報告書執筆の他にアンケートへの回答もある.越冬全般についてのものや,昭和基地からのアウトリーチ活動に関するもの,雪上車のユーザーとして大原鉄工所の質問に答えるものなど,いくつかある.
隊としてまとめている越冬アンケートについては,一部の例外を除いて,すでに隊長が集約している回答を我々に公開してくれているので,どんな意見が出ているかを知ることができてありがたい.自由記述式になっている質問に対してある程度長い回答を書いているものからは,その回答者の意図を良く読み取ることができる.
ここでアンケートの回答内容を明かすわけにはいかないけれど,そのような記述を読んで感じたことは,皆それほど違わない思いを抱いているんだなってこと.私自身もかなり書いた方だけれど,出してしまったあとで,あれも書けばばよかった,これも書いたほうがよかったかな,と思うことも多いが,自分が書き残したことを他の人が書いてくれていることも分かって,けっこう嬉しかったりする.いや〜47次越冬隊はなかなか良くできた隊だ,と手前味噌ながら感心している次第.
繭の中
今日から3月.27日から時間帯がEに変更になっていて,日本との時差は4時間.船上観測に携わっている隊員や船員たちは毎日それなりに忙しそう.手伝うこともできず申し訳なく思いながら,自分はだらだらと時間を過ごす.まだ南極海にいて氷海の中に漂っているのだけれど,南極という夢の国から現実社会へと戻る,長いトンネルの中にいるような感じがする.
昭和では張りつめた顔をしていた皆も,それぞれ肩の力がぬけて,焦点が定まらないうつろな表情を見せている.戻るべき娑婆に新しい自分を再起させるため,しばしの間サナギになっている時期なのかもしれない.暇に任せてビデオを見る時間が多くなってしまうのだけれど,ひょんなことから懐かしい掘り出し物に出会った.二十数年前,NHKで夏休みに放送されていた少年ドラマシリーズの「七瀬ふたたび」という番組である.当時中学生だった私は,眉村卓,星新一,かんべむさし,小松左京などのSF作品を読みあさっていた.中でも筒井康隆氏原作の七瀬シリーズは大ファンで,それがドラマ化されたのだから見逃すはずがない.サッカーの練習を終えて汗と砂まみれで帰宅したまま,テレビにかじりついていたことを思い出す.
今回,そのビデオに再会して,番組の中で描かれる道東と十勝の風景に強烈なあこがれを抱いた当時の記憶が,まざまざと甦ってきた.もちろん,主人公を演じた多岐川由美の美しさがその憧れを助長したことは否定しないが,彼女らが演じる切ないストーリーと北海道の自然の美しさが,多感な少年の心に大きな何かを残したのである.そして,自分の北海道に対する原風景というか憧憬の原典がここにあったのではないかと気づかされたような気持ちになった.
当時,私は,漠然と南極への憧れを抱き始めていた.それが,数々の南極のヒーローを生んだ北海道という地への思いへとつながっていく過程で,SF好きの少年の心の奥底に,北の大地への志向を芽生えさせたのがこのドラマだったのではないかと思う.
極地探検の歴史の中で,北欧の探検家がオスロー・ベルゲン・トロムソをふるさとに思い,南を目指した世界中の探検家たちが,ニュージーランドのクライストチャーチを母港と思うように,私の南極への出発点,そして,旅の果てに懐かしく思い起こす帰着点は,立山山麓の郷里と北海道にある.帰国したら,家族をつれて道東の旅をしてみたくなった.白樺の森を歩き,笹原を流れるせせらぎを訪ね,湖畔にたたずんで夕日をながめる.そういう旅.
繭の中で,もう少し夢の続きをみさせてもらうとしよう.
一年
次男の誕生のしらせを昭和基地で受けてからはや一年.まだ顔もみていない.会う頃には歩いているんだろうな...
26日,しらせはプリッツ湾の流氷域に突入.



