Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

トップ  >  Aug.2002前半
flag.gif エドモントン滞在記
2002.8.1〜8.15
8月1日
(木)

朝,Shaw教授と次男のWillyと共に空港へ.Hamiltonを経由してOttawaまでの約5時間の飛行.すでに一月前から来ていた夫人とイギリスから休暇に来ている教授の兄君の出迎えを受ける.

エドモントンの朝は10度以下の寒さだったが,こちらは30度を超す暑さ.湿度もある.北海道から本州へ帰省したような感じ.

オタワ空港からKingston方面へ車で二時間.すっかり暗くなった頃にコテージに到着.最後の1kmほどは,両側からおおいかぶさる草木をかき分けるて入るような道で,とにかく人里離れた場所にある.

8月2日
(金)

朝,泳がない?という声で起こされて,ほとんどベッドから湖へ直行という感じで水に飛び込む.ちょうど良い冷たさ加減で気持ちよい.

P8020009s.jpgP8020011s.jpgP8020012s.jpg 昨夜は暗い中で到着したので気づかなかったが,今朝になってよく見たら,コテージはほったて小屋程度のものだった.同じ湖の周囲には,もっとゴージャスなコテージが点々としており,それらに比べたら,教授のコテージは庶民のささやかな楽しみ,という感じだ.湖はこのあたりでは比較的小さなほうだということで,夫人は対岸まで泳いで往復するのを日課にしている.

シリアルとお茶,という簡単な朝食を済ませて,兄君と一緒にカヌーで湖一周ツアーに出かける.ヨークシャー訛りの英語は非常に難解だが,話し好きな人で退屈しない.

午後は,心地好い風が吹く中,木陰のベンチで読書や昼寝をして過ごす.

夕方,買い出しと電話連絡のため,街まで出かける.

8月3日
(土)

今朝も朝一番でひと泳ぎ.

P8030017s.jpgP8020016s.jpg お昼時に,この湖の周辺にコテージを持つ人たちの集まりがあって,サンドイッチの弁当を持って対岸までカヌーで出かける.湖の水質管理に関する説明の後,しばらく住人の間で議論.

帰路に兄君と釣り.ほとんど入れ食いなので面白くない.

コテージに帰ってから,ハンモックで昼寝をしながら読書.かみさんが残していった曽野綾子の「黎明」を読了.日本語の縦書き右読みのスタイルに,教授一家が異常な興味を示す.

夕刻,Shaw教授がKingstonのQueens大にいたときの同僚で,この7月に引退した友人夫妻がコテージを訪問.8月中旬にはシベリアのエニセイ川を遡る巡研に行くと言っていた.

客人とともに外で夕食.星空がきれいなので,いつまでも眺めていたかったが,涼しくなると出てくる蚊の大群にボコボコにされるので,やむをえず室内に退散.

8月4日
(日)

昨夜は蚊の襲撃でよく眠れなかったので,今朝は10時過ぎに起床.起き出してみたら,すでにRob Gilbert教授が訪問していた.ベランダで議論の真っ最中の教授お二人に,寝ぼけ顔で挨拶し,湖へ飛び込む.

Gilbert教授が持っていた携帯電話がコテージでも使えることが判明し,夫人はさっそく購入を検討しはじめる.夫人が携帯電話の使い方がわからずおたおたしている様子を見て,おもわず笑ってしまったら,“夕食抜きよ”と怒られた.

読書と昼寝をしているうちに一日が過ぎる.二冊目を読了.

8月5日
(月)

朝一番のひと泳ぎを済ませて,リビングの窓の網戸張りを手伝う.夫人は,これを“Sawagaki Windows”と呼ぶことに決めたそうだ.私はWindowsは嫌いなんだけどなあ...

蹄鉄投げや読書をしているうちに,Queens大の古生物屋さんが夫婦で訪問.なんでも,つい先頃に,陸上にあがりたての脊椎動物の這った跡の化石を発見して有名になってしまったとか.奥さんは話し好きで,夜10時までおしゃべりして行った.

夕食のおかずの鶏肉は最高.私の滞在の最後の夜ということで,御飯を炊いてくれた.感謝.

カナダでは,かなりの数の人が各自のコテージで夏のひとときを過ごすようで,コテージライフならではのカナダの習慣もいろいろあるようだ.Shaw教授のコテージでは,電気は辛うじて使えるものの,上下水道はないし電話もない.でも,Kingstonにいたときの知人達とのつきあいを続けるための社交の場にもなっていて,彼らの生活には欠かせないものになっているようだった.日本人がお盆に里帰りするのと感覚的に良く似ている.

ということで,教授のコテージに滞在しながら,蚊取り線香の香り,盆踊り,花火,浴衣,風鈴,縁側での夕涼み等など,日本の夏の風物誌に思いを馳せる日々であった. そこでひらめいた歌.

日本の夏 金鳥の夏 というけれど
カナダの夏はコテージの夏

8月6日
(火)

ヒンヤリとした朝.最後のひと泳ぎはあきらめる.

お昼にコテージを出てみんなでKingstonへ.夫人は買い出し.息子と兄君は映画.私とShaw教授はレンタカーを借りて巡検に出かける.

いくつかのS-formの露頭をみせてもらいながら西へ進み,Petersboroughで泊まる.

P8060032s.jpgP8060039s.jpgP8060043s.jpgShaw, J. (1988: Can. J. Earth Sci., 25, 1256-1267)

8月7日
(水)

Petersboroughの西で,カナダ地質調査所のDavid Sharpe氏と5年ぶりに再会.教授の教え子のGeorge Garrow氏とともに砂利採取場へ出かける.

案内役のGarrow氏は,マスターを取った後に砂利採取業社に就職.堆積物の分布を3次元で克明に記憶し,分布範囲を頭の中に拡張できるという特殊な技能の持ち主で,この業界では“礫層の魔術師”と呼ばれている.残念なことに,頭の中で構築した層序を文章に書き出そうとしたとたんに,なにもできなくなってしまう,という特殊な脳の持ち主にありがちな欠点がある.そのため,博士課程に進むことをあきらめざるをえなかったのだという.砂利採取は,貴金属鉱山にも勝る有望な地下資源で,巨大な利益を生みだすらしい.Shaw教授は,Garrow氏の才能をもってすれば,砂利鉱脈探査のコンサル業でリッチになれるはずなのに,企業の一社員としてこき使われているのがしのびなくてならないのだという.

今回案内してもらった砂利採取場は,Sharpe氏がここ数年手掛けてきたOak Ridges Moraineプロジェクトの調査範囲の一部にあたる.

dem_gta.jpgOak Ridges Morainと呼ばれる地域はOntario湖の北側に位置しており,最新氷期の氷床に覆われていた.Oak Ridges Moraineの周囲には,昨日みたようなS-formやドラムリン・エスカーなどが分布し,基盤岩が地表面近くに露出しているのが一般的である.しかし,なぜかこの地域にだけ,厚い砂礫層が分布していて,しかも,非常に高い地形面を形成している.Sharpe氏はカナダ地質調査所とオンタリオ州政府との共同プロジェクトで,この砂礫層の分布周囲や水文特性を明らかにし,水資源開発や環境アセスのための基礎データベースを作成しようとしている.

P8070017s.jpgP8070034s.jpgP8070004s.jpg Oak Ridges Morainといっても,一般的なモレーンとはまったく様相が異なり,氷床の末端位置を示しているわけでもなく,水成の砂礫堆積物から構成されていて,いわゆる氷成堆積物(Till)から構成されているわけではない.Oak Ridges Moraineは,S-formやドラムリン・エスカーなどの氷底地形を覆っており,また,砂礫層は,非常に急激な運搬と堆積によって形成されたことを示唆する数々の層相を示している.このことから,S-formやドラムリン・エスカーを形成した氷底水流の衰退期かそれよりも後に,なんらかの突発的かつ大規模な水流現象があり,その水流によって堆積したのだろう,とShaw教授らは考えている.しかし,この堆積物の発達過程について,第四紀あるいは氷河地質学的に記載・研究された例はまだないのだという.

これまでのSharpe氏の調査では,非常に限られた露頭の観察か,あるいはボーリングコアの解析にのみ基づいていたため,その解釈は困難を極めていた.砂利採取場の掘削によって砂礫層の内部を広範囲に観察することができるようになって,ようやくその構造や全体像を把握できるようになったのである.

Shaw教授,Sharpe氏,Garrow氏の三人は旧知の仲であり,この問題にお互いに精通しているので,私が脇から入り込んで彼等の議論に付いて行くのは非常に困難だった.まるでどこか別の惑星のことについて議論しているかのような感じなのである.また,三人にはどこか以心伝心的なところがあって,一人の発言をもう一人が発展的に引き継ぐ,という議論の展開もあって,よそものの入り込む予地のない,非常に高度な議論であった.内容は分からないけど,そういうことだけは把握できた.

とにかく,今回の砂利採取場の観察は,私の氷河地質学のフレームワークを完全に変えてしまうほどの衝撃であったことは間違いない.それほどの枠組みしか持ち合わせていなかったのか,と言われればそれまでだが...

とにかくこんなことは,どの教科書も教えてくれなかったし,今後もしばらく教科書に載りそうな気配もない.しかし,氷床の融解や衰退過程を復元する意味では,非常に大きな意味を持つことだけは確かである.このプロセスを組み込んでいない氷床モデルなんて,とうてい信用できるシロモノではない.もし日本で講義を持たされることにでもなれば,“The Alternative Glacial Geology”とでも題した講義をしてみようか,と言う気にさえなってしまった.でも,いつまでも“Alternative”な亜流でいてはつまらない.なんとかこの流れを本流にしなければ...


P8070037s.jpg 砂利採取場の観察を終えて,Sharpe・Garrow両氏と別れ,教授と二人でナイアガラの滝へ向かう.到着したときはすっかり日も暮れて,ライトアップされた滝が美しく輝いていた.

8月8日
(木)

朝,鉄道の駅でおろしてもらって,コテージに車で戻るShaw教授を見送ってから,滝まで歩く.

P8080009s.jpg ききしに勝る超観光地。夏休みの真っ只中ということもあって,すごい人出.のんびりしたエドモントンやジャスパーに比べると,片田舎と都会ぐらいの違いがある.アトラクションも充実していて,1日たっぷり遊べる.

午後一時を過ぎると急に人が増える.ナイアガラの観光客はみな,家族連れかアツアツのカップルばかりなので、一人でいるのがなんだか寂しい感じ.意外に日本人は少なく,中国語と朝鮮語がよく耳につく.

P8080018s.jpgP8080020s.jpgP8080047s.jpg Maid of Mist号に乗って滝見学.カナダ滝の裏側にまわるコースを歩いたりタワーに登ったりして滝を満喫する.最後はIMAXシアターで滝の映画を観て,木陰で昼寝.

8月9日
(金)

朝,バスでトロントまで.人口200万のカナダ一の大都市.久しぶりに大都会の雰囲気を味わう.

P8090038s.jpg バスターミナルで今夜のホテルを予約し,鉄道の駅で明日のオタワ行きの切符を購入した後,世界一の高さを誇るCNタワーに登る.すごい行列で,最上階の展望台まで1時間待ち.しかし,447mの高さの展望台は待ったかいがあるすばらしい眺望.湖畔の飛行場から飛び立つ飛行機がずいぶん下のほうに見える.

いろんなアトラクションを一通り楽しんでから,地下鉄でRoyal Ontario Museumに向かう.金曜の午後4:30以降は無料開放ということで,丁度その時間に行ったら,4:30を待つ大勢の人たちで入り口付近がごったがえしていた.

大英博物館・スミソニアン・ペテルスブルグなどの世界的に有名な博物館はどれもまだ見たことがないが,ROMはさすが大英帝国の血をひくだけあって,見どころたっぷりの博物館である.閉館間際まで,3時間近くかけてじっくり見学.

しかしまあ,中国や東洋の展示を見るにつけ,略奪品の陳列に見えてしかたがないのはどうしてだろう?もし,日本の正倉院の宝物や寺院の曼陀羅画なんかがここにあったとしたら,日本人としてきっと怒りを感じるに違いないし,仏像はこんな陳列棚に押し込められているよりはちゃんとしたお堂に祀られるべきだと思う小僧としての感情がそうさせるのだろうと思う.ここにあるおかげで文革や大戦の混乱から逃れられたのだ,といえば聞こえはいいが...ここに来てようやく日本人が多いな,と感じるようになったが,それにしてもやっぱり中国人が多い.彼らはこの展示をみてどう感じるのだろうか?

その反面,地質や生物,カナダの開拓やネイティブに関する展示は素直に見ることができるし,非常に興味をそそられた.救済画のオリジナルがローマからやってきていて,その特別展をやっていた.先月ローマ法王が来加していたこともあり,こちらは有料にもかかわらず長蛇の列.さすがにこれを見るまでの時間はなかった.

夕暮れの中,街中を散歩しながらホテルまで戻る.なんだか札幌の大通り公園にいるような錯覚に陥ってしまった.

8月10日
(土)

朝,地下鉄で駅まで.オタワ行きの列車の改札はこれまた行列.座れるのかな?と不安になる.乗ってみるとそうでもなく,大きめのシートにゆったり座り,MP3を聞きながらオンタリオ東部の風景を楽しんで,オタワまでの4時間を過ごす.

オタワ駅にはトムさんと奥さんが出迎えに来てくれていた.中華料理店で食事をご馳走になる.

中華街で新たな発見.オンタリオ州の車は日本と同様にナンバープレートを前後に付けている.子供のときから,ナンバープレートの数字を語呂合わせする癖があるのだが,前にもプレートがついていると,これがずいぶんやりやすい.そこで気づいたのが,中国人の運転する車はどれも必ず“8”を含んでいるということ.こちらでは希望する番号をもらえるので,かれらが意図的に“8”をねらっていることは容易に想像できる.きっと,商売繁盛の縁起をかついでいるに違いない.8ナンバーの車は中国人,という方程式ができてしまった.

8月11日
(日)

トムさん夫妻と一緒にセントローレンス川方面へドライブ.

Upper Canada Villegeを見学した後,Kingston方面へ.1000 Islands周辺は,典型的な流線型の基盤地形がみられる地帯.

P8110012s.jpg トムさんの隣人がコテージを持っているというので寄らせてもらう.オンタリオ湖とオタワ川を結ぶRideau Canalの最も狭い部分のNarrow Lock付近にある.

このお隣さんはすでに引退した老人で,息子が世界の有名企業の経理を請け負うビジネスで成功した大金持ちだとか.湖畔のコテージもShaw教授のとは違って風格がありブルジョワ風の優雅な作り.ここでひと泳ぎさせてもらってオタワへ戻る.

8月12日
(月)

朝から非常に暑い一日.

地質調査所によってから国会議事堂前で衛兵の交代式を見物.

P8120052s.jpgP8120027s.jpg その後,議事堂内の見学ツアーに参加.こちらも行列で,ツアーまで1時間待ち.議事堂内の廊下に掲げられている歴代首相の肖像画の中にトリュドー氏(4/1)を見つけて思わず写真を撮る.やっぱり彼はどこか違う.画の中でもトレードマークの赤い薔薇をしっかり胸につけていた.私が画に見入っていたら,他の観光客も寄ってきて,人だかりができてしまった.

あまりに暑いので外を歩き回る気にもならず,議事堂内やショッピングセンター内の冷房の効いたところで時間をつぶす.午後,トムさんに空港まで送ってもらってエドモントンに帰着.

8月13日
(火)

午前中に部屋のメンテの作業員が来るという案内があったので,洗濯や掃除をしながら待っていたけどなかなか来ない.仕方がないので昼過ぎに大学へ出かける.結局,メンテは来たのかどうか不明.

昨夜,オンタリオからの帰路の飛行機の窓から星空を眺めていたら,結構な頻度で流れ星が見えた.ニュースのページを見たらペルセウス座流星群の極大期だという.たぶんそれがみえたのだろう.今夜は曇りで観測は無理.

先月来の旅行でいろんなカナダ人と話していて興味深かったこと.

  • チベットを独立国家として認め,中国とは別と考えている人が多いこと.
  • 合衆国でのテロ事件を冷めた目で見ている人が多いこと.
  • カナダ人は太りすぎだと考えている人が多いこと(実際私もそう思う).
  • 長距離ドライブの感覚が麻痺している人が多いこと(目的地まで残り50kmを切ると着いたも同然).
  • 日本のアイヌのことを知っている人が多く,彼らの実情について知りたがる人が多いこと.
  • 先祖であれ自分自身であれ,移民前の祖国の文化を大事に考えている人が多いこと.
  • 女性の権利・地位向上に敏感な人が多いこと.
    (北大の宣伝文句の“Boys be ambitious ( for Christ)”は評判が良くなく,必ず何か一言いわれる)
8月14日
(水)

寒い一日.もう夏は終わったかな.

エドモントンの生活の中で,良く聞いているインターネットラジオがある.バンクーバー発の日本語放送のRadio Nippon

特に,バンクーバー在住の日系人をゲストに,生活に密着した日常英会話をレッスンをしてくれる「知っててエ〜会話」は毎回楽しみにしている.自分が実際に“こういう言い方でよかったんだっけ?”と疑問に思っていることを明解に解決してくれるので,大変役立っている.おすすめの番組.

8月15日
(木)

朝から雨.お盆休みのつもりで今週一杯は休むことに.一日,家にこもってシトシト雨を眺めながら読書.

日暮れ時から晴れてきたので,流星群でもみえるかな,と思って夜空を仰いだら,みごとなカーテン状のオーロラが出ていた.

終戦の日.日本から見れば敗戦,カナダから見れば勝利の日.何か書こうかと思っていたけど,驚くべきタイミングで問題が起きた.韓国がいちゃもんをつけている“日本海の表記問題”である.この韓国の強気な出方は,W杯という代理戦争の場で日本に勝利したという勢いもあるに違いないと思う.6月の滞在記でさんざん書いたけど,“共催国頑張れ”なんてのんきなこと言ってる場合じゃ無かったんだよなぁ...

こんな歴史・地理的考察もあることだし,日本は主張すべきことはきっちりと主張すべきだと思う.

住基ネットの番号,留守の間に届いているはずだけど,“透けて見える”というニュースを見て,どうなっているかちょっと心配.

前
Jul.2002前半
カテゴリートップ
エドモントン滞在記
次
Aug.2002後半