Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

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flag.gif エドモントン滞在記
2001.11.1〜11.15
11月1日(木)
成田発ーバンクーバー行きJAL12便

早めに成田空港に行ってチェックインを済ませる.テロの影響でセキュリティが厳しく,これがずっと我々の旅に付きまとうことになる.成田ではスーツケースの中身を開けて調べられたが,検査官は非常に申し訳なさそうに恐縮していて,それが結構印象的であった.

機中で夕食を終えた頃,かみさんが「パパと雰囲気がそっくりな人もいるもんだねえ」と,前方で頭上のロッカーから荷物を取り出している若い男性を見ながらささやく.よく見たら,なんとそれは名大の藤田君であった.かみさんには我々が同類に見えたらしい.女の感,おそるべし.さっそく席まで行って藤田君に声をかけると,彼も驚いた様子で,中尾教授と一緒にバンクーバー経由で合衆国入りするところだということだった.

藤田君たちはシアトル方面への乗り換えのため,バンクーバーの入管はすんなり通過.私もすでにカナダ大使館から就労許可のレターをもらっているのだから楽勝だろう,と思っていたら,アジア・中近東系の人々が長い列をつくっている入国審査場のほうに行くよう指示された.エドモントン行きの乗り継ぎ便まで3時間近くあったが,行列の長さに比べて一件一件の審査時間が長く,乗り継ぎに間に合うかヒヤヒヤしながら辛抱強く待たされることとなった.列を仕切る柵にほおづえをつきながら,遅々として進まない行列の先頭を観察していると,財布の中身を確認されている若いにいちゃん,大量の書類を広げたあげくに別室に連れていかれる家族,カナダ国内の知り合いか誰かに確認の電話をさせられているおばさんなど,どうもきわどい人達ばかりである.そうしているうちに,なんで自分がここに並ばなきゃいけないんだ,という疑問すら沸いてきた.待つこと2時間,ようやく私の番となる.レターを見せた瞬間に担当官が小さくつぶやいた一言を私は聞き逃さなかった.「最初の担当官は大きな間違いをした」.なんということか!私は,本来もっとすんなりビザをもらえるはずだったのだ!結局入管を出たのは,乗り継ぎ便の出発30分前であった.

急いで国内線ターミナルへ向かい,チェックインをすませるものの,搭乗口へのセキュリティチェックにも長い行列ができている.出発までもう5分しかないのにこんな所に列んでなんかいられない.かみさんが搭乗委員やハンディキャップのある人の優先口があることに気づき,そちらに入れてくれるよう頼んでみた.しかし,担当者は「チェックイン済みの客を置いていくはずはないから安心して列んでいろ」という.言われてみればセキュリティ面でも,チェックイン済みの客を乗せないということはありえない話だ.X線ゲートを抜けた先では,いばりちらした姉ちゃんが,パソコンが入った私のザックをほじくり回し,Macを見つけるやいなや「スイッチを入れて起動しろ」という.素直に従って起動させたら,それっきりぷいっと次へ行ってしまった.実はザックの中にはもう一台Windowsマシンが入っていたのだが,どやらそれには気づかなかったらしい.おい,そんなことでいいのか,セキュリティチェック!かみさんのほうはかみさんのほうで,小さな眉鋏を取り上げられて憤慨している.小さな子供を連れて私の隣にいた母親は,離乳食用の子供の金属制スプーンを取り上げられて困り果てていた.とにかく,あちこちで悲鳴と怒号の飛び交う騒々しい検査場であった.

ようやく搭乗口に着いてみると,もうそこには機体はない.どうやら我々は置き去りにされてしまったようだ.おいおい,これでいいのかセキュリティは!子供のスプーンを取り上げることまでしておきながら,預けた荷物だけを積んでチェクイン済みの客を置いていくなんて,やってることがちぐはぐなんだよ全く!

結局,一時間遅れの便に変更してエドモントンに到着.しかし出迎えに来てくれているはずのShaw教授が見あたらない.約束の便で到着しなかった我々を見つけられず,あきらめて帰ってしまったのだろうか?そもそも私は教授に直接会ったことがない.むこうだって同じだ.写真は見ているものの,それだけでは背格好や雰囲気も分からず,こういう状態で初対面の人を探すことがいかに難しいかを,あらためて知らされた.インフォメーションに頼んで場内アナウンスしてもらったり,教授の研究室へ留守電を入れたりして,小一時間ロビーで待機するが,見つからない.息子がぐずり始めたのと長旅の疲れとで,とりあえず市内のホテルまでタクシーで向かうことにした.

結局,教授とはホテルにかかってきた電話でようやく連絡がついた.遅れた事情を説明して非礼を詫び,翌日の面会時間を約束して,長い長い11月1日がようやく終了した.

11月2日(金) Michener Park Guest Suites の住居に移動

michener.jpg 早朝にホテルを出て,あらかじめ予約していた大学の家族向け寮に向かう.寮の住所は,なぜかどの地図にも記載されておらず,実際にタクシーでやってきて初めて場所を確認できた.北大でいえば,第二農場のはじ(北24条あたり)に相当するような場所にある.意外に,こういう情報はネット上では見つけられなかったので,このページを参考にされる方のために書いておくと,Michener Parkは122Stと51Aveが交差する南東ブロックにある.大学へは,実験農場をつっきる道路を北上すること約3kmほどの距離がある.私の通う地球科学のビルは農場とは反対側の北のはじにあるから,大学の構内に入ってからも,1km以上の距離を縦断しなければならない.

管理人から鍵を受け取って,ようやくエドモントンの我が家に入ってみると,家具・食器・布団・タオル・電気・電話・ケーブルテレビ,全てがすでに調っていて,すぐに生活が始められる状態であった.しかしここでさっそく大きな問題が発覚する.この部屋はものすごくカレー臭いのだ!多分,前住人はインドか中東系の家族だったのだろう.すでに外は0度近くまで冷えている季節なので,窓を開けて換気するものはばかられる.それに,この部屋には換気扇というものがない.とにかく,キッチンで調理したものの匂いは,そのまま室内に滞ってしまうのだ.断熱や機密性と引き換えの決定的な欠点といえよう.このカレーくささとの戦いは,以後数日間続くこととなった.

午後,Shaw教授が奥さんと一緒にわざわざ寮まで来てくれて,初めての対面となる.その後,奥方どうしは買い物に,教授と私は研究室に向かう.

11月3日(土)

午前中は,近くのショッピングセンターに出かけて,何かと必要な物を調達.

午後はShaw教授宅に夕食に招かれる.教授宅は大学のすぐ隣にある.狂牛病騒ぎで日本ではおあずけになっていた牛肉を存分に味わう.

11月4日(日)

エドモントン市最大の見どころといわれる世界一の規模を誇るエドモントンショッピングモールへ出かけて一日を過ごす.室内の遊園地で目が回る.

夜,電話回線でインターネットにつながるようになった.さっそくあちこちへ到着をしらせるメールを送る.市内通話はいくらかけてもよいので,ダイアルアップも時間を気にせずにできるのがうれしい.

11月5日(月)

hub.jpg大学で活動するための準備を本格的に開始.とりあえず事務室に出向くが,私のための準備は何もできておらず,すべては翌日以降になるという.教授は講義が多いらしく,在室時間は短い.しかたないので,教授の部屋にある資料を読んで一人で時間をつぶす.

バスのパスをHUBモールの文房具店で購入する.こんなところで売っているとは見当もつかず,Shaw教授に聞いてようやく分かった.パスは一月単位なので,月の途中で買うと損をする.私は学生用は買えず,Adult Passを購入.

大学構内も見てまわりたいが,今日は格別に冷えて風もあるので,早々にカレー臭い自宅へ帰宅する.

11月6日(火)

午後,ようやく研究室の鍵を受け取る.私の部屋は,ETHで学位をとったスイス人の変成岩屋さんのクリスというPDと同居.部屋の中には彼のサンプルの石がたくさん置いてあったが,私のために快くスペースを空けてくれた.ずっと一人で使ってきたのに私と部屋をシェアすることになって,ちょっと気の毒に感じる.ケーブルを壁のコンセントにつないだら,あっさりインターネットにつながった.

夕方,8月にエドモントン入りしていた依田さん,およびここの院生で林学を専攻しているという武田さんと一緒に日本料理店で食事.

11月7日(水)

別送していた荷物が到着.夕刻,依田さんに教えてもらった東洋食スーパーへ買い出しに行く.炊飯器も届いたので,さっそくご飯を炊いて日本食.

日付が一日早い日本から,石川のD論通過の知らせが入る.あれ?岩崎はどうなったんだろう?ちょっと心配.

11月8日(木)

朝,別送荷物に入っていた投稿論文の原稿を探し出し,それを持ってShaw教授の部屋へ.今後の改訂作業について相談.なんとなく本格的に研究生活が始まった感じがする.

午後は,日本総領事館へ在留届けを出しに行く.はじめて地下鉄に乗る.
ここに来て以来の記録を書きはじめる.

11月9日(金)

午後,念願のONECardなるものを入手した.この大学では,コピー・図書館や体育施設の利用・セキュリティエリアへの入室など,何をするにもこのカードが必要である.このカードによって大学人としての人格を与えられているといっても過言ではない.一週間目にしてようやく私もUAの一員となった.

11月10日(土)

かみさんと息子が一時帰国する.エドモントン空港では早朝の便に乗るので,早朝4時半に起きる.実は我々一家はいまだに時差ぼけが解消されず,到着してからこれまでの間,ずっと5時すぎに朝食を取っていたので朝が早くてもなんということはないのである.Shaw教授も今朝の便でオハイオまで講演に出かけるというので,空港まで車にのせてもらう約束をしていた.早朝6時すぎにわざわざ寮まで来てもらって恐縮だったが,ほんとに助かった.オハイオに滞在中の極研の三浦さんもこの講演会に出るだろうか?

教授の車を待つしばしの間,親子3人で氷点下の玄関先に出て,満天の星空を眺めていた.考えてみれば,3人でこんなことをしたのは初めてのことだ.

私は東京便が出るバンクーバーまでわざわざ往復し,かみさん達がちゃんと帰国できるよう見届ける.エドモントンーバンクーバー間の便は,コロンビア氷原のほぼ真上を飛ぶので,晴れていればものすごく眺めが良い.今回はちょっと雲が多めだったが,往路復路ともに新雪が輝くロッキー山脈を満喫できた.それだけでも,大枚をはたいて空路バンクーバーを往復した甲斐があった.カメラを忘れたのは失敗.

11月11日(日)

あいかわらず早く目が覚めるので,早朝から散歩.今までバスや車での移動が多かったので,実際に自分の足で歩いてみて周辺の距離感をつかむ.いつもバスで出かけているサウスゲートショッピングモールに15分ほどで到着.そんなに遠くない.さらに東に足を延ばしてスーパーストアーという巨大ショッピングセンターまで行く.かみさんに厳重にことづけられていた掃除機を購入し,旅行用キャリーにくくりつけて転がして持ち帰る.最近は日本の地方都市でもそうだが,ここはやっぱり自家用車がないと自由の大半が奪われる.スーパーストアーで買い物をしている人達も,1ー2週間分の食料などをまとめ買いして,車で運んで帰る人ばかりだ.歩いて数分の所にあるスーパーも,やっぱり大型のものが割安なんで,ついついそちらを買ってしまって運ぶのに苦労する.子連れで買い物をするかみさんは,スーパーの袋だと数品しか買い込めないというのでバックパックを背負って行くようになっていた.

散歩しながら,都市と生活者の心理やライフスタイルなどについてつらつら考える.東京のど真ん中の私鉄駅徒歩数分という,おそらく世界一便利な環境に住んでいるかみさんは,ここの環境を非常に不便に感じたらしいが,自家用車があって自由に移動できれば印象も違ったと思う.東京は逆に自家用車は交通渋滞や駐車場の確保の問題で不便だし,そもそも生活スタイルが根本的に違うのだ.

東京という都市は(おそらくロンドンやパリも同様だと思うが),自宅(というより自分の部屋)を取り巻く都市の中の商店・公園・公共施設・交通機関などが混然一体となって,それが都市生活者のためのある種の巨大な一軒家を形成しているのだと思う.だから,そういう都市の生活者は,お茶を飲むにしても,ちょっと街角の喫茶店に入ればそこが自分のカフェテラスになるのだし,何かを食べたくなれば,巨大な冷蔵庫ともいえるでスーパーが近所にあって,そこで当座の食材だけを調達してくればよいのである.そういうトータルな環境に対して高い家賃を払っていると考えれば,東京の狭い部屋にも少しは我慢できるというものか.

とある筋によると,エドモントンは最近,住みたい都市世界一に選ばれたということである.掃除機を買いに行って,散歩がてらとはいえ,寒空下の6kmの道を旅行用キャリーを転がして帰ってきた私としては,その結果は実感とはほど遠い.車中心の生活スタイルをとるエドモントンでは,自家用車を持たない限り,平均的な生活を実感できないようだ.この平均的な生活スタイルを手に入れるために自家用車を購入するかどうか,一年の滞在期間の私としては思案のしどころである.今はまだこの街のほんの片鱗をのぞいたにすぎないだろうから,実際にここが世界一かどうか,とりあえず一年間住んでからもう一度考えてみよう.

11月12日(月)
poppy.gif

早朝5時ごろに起き出してごそごそする.テレビを見ながら朝食をとっていたら,突然,NYで旅客機が墜落した画像が飛び込んできた.

昨日は第一次大戦の終戦日で,戦没者追悼する祝日(Remembrance Day)であった.今日はその振り替え休日.ここに着いてから,街角の人々やテレビのアナウンサーが胸に赤いポピーをかたどった花飾りを付けているのをよく見かけたが,それは,この日のためのものであるということだ.バスでさえ行き先表示板にキャッツフレーズの「lest we forget」を表示して走っているほどで,国民の感心の深さが伺われる.

休日は大学の建物が施錠されており,私は入口の鍵をもらっていないので入ることが出来ない.昨日と同様に散歩することにして,ダウンタウンのある川向こうのほうへ出かける.とりあえず対岸までは地下鉄で行って,ダウンタウンより西側をぶらつく.ちょっと大きめのパソコンショップ(CompuSmart)やアウトドアショップ(Mountain Equipment Co-op)を見つけて,しばし立ち寄る.頻繁に通うにはどちらもちと遠いが,一応場所と内容を押さえておくことにする.この辺はマンション・アパート・一軒家が混在する住宅街で,ダウンタウンも近くやや都会的で雰囲気が良い.長く住むならこのへんもいいかな,と思う.

11月13日(火)

朝,地球大気科学科のパソコン部屋とでもいうべき"Digital Imaging Facility"に行って,共用のプリンタやスキャナーを使えるように登録してもらう.この部屋に入るのにもOneCardが必要.NTマシン(というより学科のNTドメイン)にアカウントを作ってもらって,空いているマシンにログインして使う.しかしそれでは日本語はだめなので,自分のパソコンからネットワーク経由で直接印刷する.印刷費はOneCoardから引かれる仕組み.

2001年11月7日−11日にエドモントンで開催されていたカナディアン・ファイナルズ・ロデオが終わり,そこで使われていたロデオ体験マシンがキャンパス内にやってきて,でデモをやっていた.

11月14日(水)

このところ日中は暖かく,外で昼食を取る学生も多くみかける.同時期の札幌より快適じゃん,と思ってクリスに尋ねたら,これは異常だとのこと.

そういえば,今日はしらせの出航日だ.日本は一日早いから,もうとっくに出ただろう.観測隊もはや43次か.

午後,オハイオに行っていたShaw教授が帰国.ついでにエリー湖にあるKelly島に立ち寄って,そこにあるS-formを見てきた,ということで,そのデジカメ画像を見せてもらう.色が変なので,密かに教授のパソコンの表示色を天然色に設定しなおしてあげる.

部屋の入口に名前を張れ,というお達しがきたので,日本語で印刷した札を張る.このドアはオートロックなのだが,鍵を室内に置いたまま作業をしていて締め出されてしまった.中にいたクリスを呼んで開けてもらったが,彼がいなかったらしばらく部屋には入れないところだった.今後は気を付けよう.

11月15日(木)

ここに来てもう半月が過ぎた.まだ街も大学の事もよく分かっていないが,時差ぼけもなくなり,とりあえず生活のリズムはできつつある.

同室のクリス以外に日常的につきあう人はまだいない.その彼も月曜まで学会に出かけて不在.ロックアウトされないよう細心の注意を払う.

院生とのつきあいや議論も期待していたのだが,教授はしばらく病気療養していたため,現在指導している院生はいないという.ちょっと残念.

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