Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

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flag.gif エドモントン滞在記-Mar1
2002.3.1〜3.15
3月1日(金)

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お茶の時間に,ひさしぶりにミラン氏も加わり,Shaw教授とマーティンと4人でDEM画像の解釈論議となる.今日はNo.122136について.皆,氷床底洪水に注目しているので,最後には,氷底水流の記憶が人類の伝説の中に残されている可能性がないかどうかという話になった.

日本の洪水伝説について尋ねられて,答えられたのは「知る限りでは日本に洪水伝説は存在しない」ということだけ.「それでは,いつから日本に人が住んでいたのか」ともきかれたが,石器捏造事件で日本の前期旧石器時代が疑問視されつつある現在,どう答えてよいものやらさんざん迷ったあげく「確実な証拠があるのはLGM前後かな」と答えるしかなかった.どうもこのへんは私の知識の弱点でもある.

東洋では蛇や龍が河川の象徴として扱われることが多いので,オロチ退治伝説などが洪水伝説に対応するのかとも思うが,ノアの洪水に匹敵するようなものでもないような気がする.ネットでいろいろ調べたところ,日本は「洪水伝説がない」という点で世界的に特殊な地域だという見解が多い.なんでだろう?日本列島を取り巻く地域には洪水伝説があるので,渡来してきた人々がその伝説を携えてきた可能性は十分ある.いつかの時点でそれが放棄されて現在に受け継がれていない,という可能性が高いのではないか?

ミラン氏の話では,ナイルにしても東欧にしても,洪水の発生源と被害地域が離れているため,下流域で洪水の被害にあう人々は,ただそれを神の業として受け入れるしかなく,そういう土壌が洪水伝説を継承する素地にもなった,という.ということは,狭い日本列島のどこかで洪水が起きたとしても,その源はほぼ確実に察しがつくので,洪水の原因は容易に人知の至るところとなるはずである.であれば,人間の英知によって洪水の原因を取り除くことによって根本的に洪水を予防し回避する措置は十分に可能だし,原因を取り除くことはできなくても予測することは可能になる.具体的には,山林や里山を大切にすることなどが予防措置にあたるだろう.洪水伝説はこの森林を重視し神聖化する思想と相入れなかったために放棄された,と考えられないだろうか?日本列島が,自然の中の因果関係をはっきりつかめるほどの適当な広さであったことが効いたのだろうと思う.

スキャンダルによる日本の考古学の窮状を説明したら,Shaw教授が,初期のアメリカ大陸人類に関する“Clovis vs Pre-Clovis Controversy”という論争があることを教えてくれた.早速ネット検索したら日本語では限られたページしか見つからなかったが,そのどれもが捏造事件がらみでこの論争を取りあげており,結局行き着く所は同じか,と興味深く感じた.ただし,この解説にもあるように,米国の議論のレベルは日本のはるか先を行っている.

私がこのような問題について考えざるを得ないのは,ひとえに,氷河地形学内の「論争」のさなかにある一仮説を支持する立場にいるからであり,「疑似科学」「科学哲学」「社会の中の科学」というものには常に気を配っていなければならないと思うからである.また,研究科改革やガイドコースのたちあげとも無関係ではない.捏造事件に関する検索で「日本の考古学リソースのデジタル化」というページをみつけたが,そこにある「学問の動機 」「モード2の考古学 」「モード論と埋文」「 パラダイム論:共約不可能性 」は面白いので(ある程度批判的に)一読されることをお勧めする.

3月2日(土)

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今日も寒い一日.午前中は掃除と洗濯.

午後,Shaw教授夫妻と次男のウィリーの4人で,2/15以来延期になっていたMUMP & SMOOT in Fluxというブラックコメディの観劇に出かける.場所は11/24にも行ったことのあるRoxyという小さな劇場.

トロント出身のMichael Kennard と John Turnerの二人が演じるMUMP & SMOOTという道化コンビは,Ummoというパラレルワールドに住んでいて,Ummonianという独自のでたらめことば[Gibberish]を話す.MUMP & SMOOTには他にも多くのフルストーリーと寸劇があるらしく,今回のステージはそれらの中のフルストーリーの一つ(約90分).

言葉がジブッリシュなので,当地のShaw夫妻も4割程度しか台詞を理解できなかったということだが,最初から最後までお腹を抱えて笑ってしまった.結構エグイシーンもあるが,たぶんシリーズの中でも最も私向きと思われるキャンプの話だったので,1/20にも書いた“ユーコン川160キロ”にも似た現実味を感じ,大いに楽しんだ.

たぶん日本で講演しても理解してもらえるんじゃないかと思う.別の作品も観てみたくなった.

3月3日(日)

うすら寒い一日.

現在住んでいる寮の600番区画でPharaoh Antの被害が出ているので気をつけるように通達が有る.薬品への耐性をすぐに獲得するらしく,たとえ見つけても下手に防殺虫剤などをかけてはいけないそうだ.

感染が見つかったら罰金をとるということなので,掃除や洗い物などには気をつけるようにしよう.

3月4日(月)

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朝,糠のような吹雪.

個人のページのトップでノースダコタ大の氷河地質学に関する試験問題を紹介している.実は2月のはじめごろに,自然地理学が軽視されている研究科改革の動きに抵抗するため,この紹介の下に“ある文言”を追加した.最近になって,さるお方からその文言の誤認識を指摘され,確かにそうだと自分も納得したので現在はもとの問題の紹介だけの状態に戻している.今はなきその文言では,学問の少数派や多様性を維持することの重要性を主張することで,大きなトレンドに収束しつつある日本の大学システムの危うさを訴えかたったのである.

お茶の時間に日本で進行しつつある研究科改革のことを話したら,Shaw教授もミラン氏も「研究者としては自分のことをやっていればいいので,どこに所属していてもやっていけるじゃないか」と奇しくも日本のH教授と同様の言葉で慰めてくれた.特にShaw教授は「『おれはドラムリンを知っている』という自負を持ってやっていけば良い」とも言ってくれた.この言葉は“文言”を書き加えたときに私の意志の奥底にあった主張に通じるものでもあり,非常に勇気づけられた.しかし,こと学生の教育や自然地理学の行く末の話になると,Shaw教授もミラン氏もとたんに血相をかえて「総合大学としても環境科学としても自然地理学がないなんて考えられない」と日本の現状に驚きあきれるばかり.

ミラン氏が“なんの助言にもならないだろうけど...”と言って,祖国クロアチア内紛からすべてを投げ捨てて脱出してきた経験談を聞かせてくれた.亡命に近い形で家族とともにカナダにやってきた彼の暮らしもまだまだ厳しいにも関わらず,時間を割いて研究に打ち込もうとする姿勢には敬服するばかりである.ミラン氏ほどではないが,私もそろそろ脱出を考えないといけないかもしれない.多分,日本には行き先はないだろうから,国外に出るしかないか...こうして日本はどんどん単一的になり,大きな変化に耐えられるだけの多様性を失っていくのだ.

しかし,私はこれまで,海外に流出した数々の優秀な日本人研究者を「逃亡者」として蔑視してきたことも事実である.実際今でも,こちらにいる日本人研究者が「日本の大学はだめだ」と外野的にグチュグチュ言うのを聞かされるのはたまったもんじゃないし,それなら日本に帰ってちゃんとなるように協力してくれよ,と言いたくなる.また一方では,ここまで窮地に陥ったのには地理学者自身の責任も少なくあるまい.私は地理学科出身ではないし世代的にもその責を負うことはないと思うのだが,安易な脱出を潔しとしない哲学からすれば,行き場のない脱出を決行した気になって祖国や母校にとどまり,自分が正しいと思うやり方を貫くのも一つの生き方だとも思うのである.

“外にいて考えすぎなんじゃない”と思われるかもしれないが,この深刻さを共有できる人が少ないのもまた寂しいことの一つである.

半村良氏が亡くなったとか.「太陽の世界」は高校以来続きを楽しみにしていたので未完なのが残念.

3月5日(火)

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昨夜帰宅するときに,創造論主義と進化論主義ついての講演があるという案内を見かけた.今朝のお茶の時間にShaw教授にその話をしたところ,面白そうだから行ってみるか,ということになった.

講演は「Beyond The “Evolution vs. Creation” Debate」というタイトルで,演者はUA内にあるカトリック系カレッジであるSt. Joseph's Collegeに所属するD.O. Lamoureux氏.Lamoureux氏は,歯科医の資格に加えて,生物学と哲学のPh D.を持っているという人で,物理学科の講義室が会場だったこともあり,私も教授もそれなりに期待して講演に臨んだ.

しかし講演で明らかにされたことは, Evolutionist や Creationistと一口で言っても,実際には極端なものから中間的なものまでいろいろあって,単純な両者の対決という構造で考えることはできない,ということだけ.そんなことぐらい言われなくたって分かっているよ,と言いたくなった.Lamoureux氏は高校生以来様々な学歴を積む中で,その両端を行ったり来たりして現在に至っているということで,揺れ動く自分の経験からも,単純な二極化の対立構造で論争されがちなことに我慢できないらしい.

講演の中で,Lamoureux氏がある時期に極端なEvolutionistになった際には,教会に行こうとする母親に対して「Geological sequences show no floods !」と叫んだことがある,という昔話が出てきた.このとき私と教授は思わず顔をみあわせた.もちろん目の奥ではお互いに「Geological sequences show floods !」と叫んでいたに決まっている.まあLamoureux氏と我々では全体のコンテクストが違うから,こう言ってみても単なる茶化しにしかならないのだが,公演後に,Lamoureux氏より我々の方がよっぽど深く“Evolution vs. Creation”について考えているよなあ,ということでShaw教授と意見が一致.とんだ暇潰しになった.

午後はRains教授の講義.前回に引き続きドライバレーの話で,極地砂漠環境におけるアウトウォッシュプレーンの形成について.

3月6日(水)

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ダイヤモンドダストの朝.サンピラーが出た.-25度だというのに,なんと自宅前のバス停のシェルターが撤去されている.市の交通局は何を考えているんだか,まったく...

エドモントンの地域地質の解説本を図書館で見つけて,書店に注文していたのが入荷.Edmonton Geological Society発行の「Edmonton Beneath Our Feet -A guide to the geology of the Edmonton region-」という150ページのフルカラーの小冊子(ed. J.D. Godfrey, 1993).Shaw教授も共著の一人.アルバータの地質研究に貢献した先駆者のプロフィールもコラム形式で紹介されていて,フィールドガイドにもなる.

これを片手に歩き回れるようになる季節が待ち遠しい.

3月7日(木)
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午後,Rains教授の講義.ドライバレーの周氷河プロセスについて.

北大から,『研究活動一覧』の掲載業績について私が提出したリストの訂正を求めるメールが来た.「電子ジャーナルによらないインターネットで公開されている論文は,本人による改変が可能なものであり,他の書き換え不可能な媒体で発表された論文と同一視できないので,現時点では,業績として取り扱わない」という『研究活動一覧』作成に係る確認事項にひっかかる項目があるとの指摘.

国際ワークショップで口頭発表した際の発表予稿がホームページにも掲載されていたので,それを参照するように書いたのがひっかかった.カナダに来る直前の忙しい時期にやっつけ仕事でまとめたため,印刷物を引っ張り出して調べなかったというのが実情で,非は私にある.しかし,予稿原稿を配信しているサーバーに入って内容を書き換える権限は私にはないので本人による改変の心配はないし,そもそも業績はその予稿ではなくて口頭発表したこと自体にあるのであって,発表行為の事実は改変のしようがない.第一,予稿は論文ではない.予稿の内容と違う発表をする場合さえあるのだ.『研究活動一覧』の確認事項の言葉を借りれば「予稿は,論文と同一視する必要がないので業績内容にホームページアドレスを記入する方式を採用できない規定には該当しない」ということになるはず.『研究活動一覧』に口頭発表を載せる場合には予稿の所在を明記するように要求されているが,予稿の情報をリストに載せるのは単に口頭発表の場が存在したことを示す意味しかもたない.

ということで,私の提出したリストの書き方は『研究活動一覧』の意図するところには反していないと思うのだが,この理屈も“ホームページ表記=本人による改変が可能な形態”という変な取り決めに従って画一的に判断している“確認事項”には意味のないこと.私は,その件の発表で出張に使った補助金の報告書は文部省に提出済みなので責任は果たしているし,『研究活動一覧』以外にも業績を公表できる方法はいくらでもあるし,『研究活動一覧』でその項目がどうなったところで給料が変わるわけでもないし,要するにどうでもいいのである.かえって,わざわざ私に尋ねてくるとは,事務方もなんとも律儀でご苦労なことだと恐縮するのみ.

とは言っておきながら,ダメと言われると一言言いたくなるのが性分.この規定によって排除された業績は私の一件だけではあるまい.このままでは北大にとっても損失は大きいと思うし,今後の影響もいろいろ考えられるので,以下に私の考察を書かせてもらう.

『研究活動一覧』の“ホームページアドレスを記入する方式を採用しない”という杓子定規な“確認事項”は,論文の公開方法だけに気を配り,論文と予稿を同一視したり,口頭発表という業績の本質を理解していなかったりするなど,学問の業績に対する根本的な認識を欠いている.だいたい,こんな表記方法なんかの細かいことよりも,リストで提出された論文あるいは発表の存在そのものをチェックしなくてよいのであろうか?ホームページのアドレスじゃなくて,適当にJournal of Sawagaki Vol 5 なんて書いておいたほうが事務官の手を煩わせずに済んだに違いないのだ.しょせん“確認事項”のチェックなんてその程度のものだろうから,自己申告制を前提にするならば,なるべく多くの読者の目にチェックを委ねるのが筋だろう.ホームページならば,リストに書いてあるアドレスにアクセスしてみれば,本人による改変が可能かどうかはもちろん,本当に存在しているかどうかもすぐに分かること.今回のケースのように,参加者にしか配布されていないような予稿集を探す苦労を強いるよりは,ネットで参照できるように書いた方がずっと助かるだろうに...私なんかはその貴重な1冊ですらなくしてしまうこともある.参加者全員が配布資料をなくしてしまえばワークショップそのものもなかったことになるというのか?...このように自己申告をチェックするアリバイとしても,Net上のリファを指定するやり方は有効だと思う.従って“ホームページ表記=本人による改変が可能な形態”の可能性をおそれて一律に『研究活動一覧』の表記法から排除すべきでないし,むしろ推奨すべきだ.

この一件で「教育」が業績としてあるいは業務としてでさえなかなか評価されない背景も透けて見えた気がする.教育の“業績”とは,まさに教官本人によって改変をほどこされた学生である.その“業績”が優秀であればあるほど“業績”自身で勝手に改変していくし,次の世代の改変に携わったりもするのだから,とても書き換え不可能な媒体で発表された論文と同一視できるはずがない.「研究活動」と「教育活動」は別々に評価していると反論されそうだが,なによりも,それらの評価基準を策定する基本理念に不審を感じてしまったのである.『研究活動一覧』の選定基準を作った人達にとっては,書き換え不可能で自己改変もしない人材を育成する事のほうが業績になるんだろうな,きっと.

それは冗談としても,今後は電子媒体で公表される論文も増えてくるだろうし,電子媒体でインタラクティブに変化する表現そのものを業績にしたがる場合も出てくるだろう.そういうものにどう対応していくのか真剣に考える必要が有る.また,電子ジャーナル並みの市民権を得ていないマイナーな学会関連のドキュメントは,ホームページに掲載した内容をCD-ROMに焼いて配布・保管するなどして,書き換え不可能な媒体で発表された論文と同一視できるような体裁にする配慮が必要になるかもしれないと感じた.

地理学会などは,査読もない単なる予稿集をどこかの引用規定に反しないように「論文集」と名乗るという対抗手段を取っている.ホームページの内容も『論文集CD』なんて名前でCD-ROMに保存しておけば引用が可能になるかもしれない.晴れて北大の『研究活動一覧』の規定にあるホームページアドレスの記載方法が使えない部類にも入れるわけだ.かくして,『研究活動一覧』に登録されたその業績を参照しようとする人は,ホームページにアクセスするよりもそのCD-ROMを探し回ることになるのである.ところがオリジナルCDは作者の管理がずさんでどこかに紛れてしまっている...なんてばかげた事が現実に起こりそうではないか.CD-ROMを開けてみたら,ホームページのアドレスが書かれたテキストファイルが一つあるだけ,だったりして...姑息であり本末転倒でもあるが,世の中みんなそんなもん.

大学が出している『研究活動一覧』も実情でみればこの程度.いったい誰のための『研究活動一覧』なのかポリシーがはっきりしない.こんなものを作るために,事務官がわざわざ私のところに問い合わせてくる労を負っている.今後,大学が法人化した際に大学法人の評価にも使われるとなれば,予算獲得ともからむいわば医療のレセプトみたいなものになる可能性もある.むしろそうなれば,北大側も,リストに書いた内容をわざわざ削らせるような自虐的行為をしなくなるだろう.“この項目はダメ”というのがお上あるいは第三者のチェック機関になるだけの話しではあるが,それなら書けるだけ書いて出せるような内部規定にしなきゃ損だ.姑息だが,世の中みんなそんなもん.

***この事件の警察やYahooや新聞社の対応によく似ている***

3月8日(金)

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南極越冬時の同僚からメール.3月14日から南極観測をテーマした「極リーマン」というマンガが「ヤングサンデー」に連載されるという知らせ.越冬の機械担当隊員が主人公で,この人物を中心に越冬生活が描かれるらしい.

低温研の松岡君は「どうやら世間一般の観測隊へのイメージは機械隊員なのでしょうか。若い人に越冬しながら地道にサイエンスをやるという姿勢は受けないのかなあ。」とコメントしていたが,実際のところ,昭和基地の生活は機械隊員様々であることは確か.とは言っても,マンガの世界では脇役も結構注目されているので,研究者の描かれ方次第ではサイエンスへの引き込みも期待できる.なんならカッコイイ研究者のモデルになりますよ,私 (2/14参照).研究への若者の引き込みをマンガに期待するなんて情けない気もするが,かつて私が犬主役の映画で南極にあこがれていたのに比べれば,エンジニアが主役になった分マシという気もする.

日本の南極観測が始まってほぼ半世紀が経過しようとしている現在,探検や初めて物語りとして南極がもてはやされる時代はとっくに終わっており,昭和基地の生活には独自の社会性と文化が形成されていると言っても良い.サラリーマンという点では,機械隊員がそうであることは昔も今も変わらないが,その独自の社会や文化の中での一介のサラリーマンの生活について語れるようになったほど,南極観測も成熟したということなのであろう.

原案者がおなじ「海猿」というのも一緒に読んでみたくなった.海上保安庁南極組は連続して取り上げられてさぞかし嬉こんでいることだろうなぁ.

!これか!(3/14)
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3月9日(土)

最近力づけられた言葉.

  • 『We trained hard , but it seemed that every time we were beginning to form up into team we would be reorganized. I was to learn later in life that we tend to meet any new situation by reorganizing; and a wonderful method it can be for creating the illusion of progress, while producing confusion inefficiency and demoralization. --Petronius Arbiter, 210 B.C.--』
    --研究科の改革について話をしたときに,私への慰めにShaw教授が教えてくれたquote.Rains教授の部屋の前に張ってある.

  • 『創造論や宗教は“I belive...”で出発するが,科学は“I suspect...”から始める.Lamoureux氏は科学者っぽい肩書きをたくさん持ってはいるけれど,彼の話は Scientific ではなく Evangelistic だった』
    --3/5の進化論vs創造論の講演の後でShaw教授弁.

3月10日(日)

最近,折りに触れて頭に浮かび,自戒も込めて考察している言葉.

  • 『ことばもて、人は獣に優(まさ)る」と昔、ペルシャの詩人は言った。「……されど、正しく話さざれば、獣汝(なんじ)に優るべし〉』
    --H12.5.23天声人語,より.

  • 『あることをできないと言う者は、それをやろうとしている者の邪魔をすべきではない』
    --ランダムなデータの「完全な圧縮」をうたう新技術は本物か,より.

  • 『わたしは研究者だから、“考えたことは売りますが、感じたことは売りません”と、みずからを律してきた』
    --上野千鶴子:「上野千鶴子が文学を社会学する」(朝日新聞社),より.

  • 100人の地球村 [The Global Village]
    --「世界がもし100人の村だったら」という絵本(マガジンハウス)のもとになったチェーンメール.

  • 『(日本の)人々は「無限の競争」をする事に何らの抵抗感も罪悪感もなく「競争」は美徳であると信じ 勝者となって英雄視される事のみを熱望し だれかが勝者となると その背後には敗者(犠牲者・落ちこぼれ)があることには微塵の配慮もしない』
    --菊池徹氏弁.
    私は「競争」を否定しないが,競争が「無限」で「無節操」に行われることを恐れる.上記の言葉も競争を否定するのではなく「競争のルール」を知らない「競争の素人」としての日本人像を批判しているものであると解釈した.良い意味でも悪い意味でも,日本人はそもそも競争を好まない人種である.それが「競争下手」の原因でもある.

3月11日(月)

お昼にあっさりした麺が食べたくて中華料理店で注文したら「それじゃなくて上海麺はどう?」とレジの姉ちゃんに勧められた.「それじゃ試してみるか」と応じたら,非常に不味い焼きうどんだった.この店の炒め物はどれも胃がもたれるから避けていたのに.

昼食の帰りに,建物の壁に向かって熱心にスケッチしている集団を見かけた.壁に何が有るの?と自分で確かめてみたら,ライムストーンの石材の中に化石がたくさん入っていた.スケッチの人達は古生物学の実習中だったらしい.

大学のターミナルで帰路のバスを待つ間に,公衆電話の受話器を上げて話もせずにまた元に戻して行く人を見かけた.一人ではなく何人も.私も同じ事をしてみた.受話器を上げると電話機のデジタル表示部分に現在の日時が表示された.そういえば,ターミナル内には公衆用の時計がない.人々は公衆電話で時間を確認していたのである.時計ぐらい設置しろよな,交通局.

家に帰る前によく立ち寄るスーパーのレジのお姉さんは,どの人も愛想がよく気さくに声を掛けてくる.私が買ったピザの値段を打ち込みながら「このピザおいしいよね,私もよく買うわ」なんて言ったりするし,不注意でドアに顔をぶつけた際に目のあたりをメガネで打ってしまって隅を作っていたら「目のところどうしたの?大丈夫?」なんて聞かれたりもする.今日は「今何時?」と聞かれて「6時10分過ぎ」と答えたら「あら帰る時間だわ」と,私の次の客をほったらかして何処かへ行ってしまった.

3月12日(火)



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相変わらず寒波の逆襲を受けているが,日は高くなっている.研究室はガラスの屋根で覆われたアトリウムに面しており,太陽が低い冬の間は全く日光が入らなかったが,この頃では,お昼頃にアトリウムの屋根を抜けた日差しが入り込んでくるようになった.建物の内部から日光が差し込んでくる感じになるので,なんだか不思議な気分.

午後,Rains教授の講義.ニュージーランド南アルプスの氷河作用について.


「Washington DCに本部を置く地球政策研究所[Earth Policy Institute](Lester Brown所長)が,本日の発表で『世界各地で氷河が予想以上に後退し、南極や北極の氷も急速に溶け始めている』と警告している」という時事通信の記事を見つけたので,地球政策研究所の原典にあたってみた.時事通信の翻訳記事ではコロラド大とUSGSの研究として紹介されていたが,原典にはロニー・トンプソンのアンデスやキリマンジャロの研究もデータソースに挙げられている.“ヒマラヤは南極とグリンランドに次ぐ3番目の淡水源”としているのがちょっと気になるが,「夏に北極海から氷が消えることでアルベドが低下することによってグリンランド氷床の融解が促進されることになるだろう」という指摘は心しておくべきだろう.

低温研の白岩さんのページに大陸氷床以外のいくつかの山岳氷河の海面上昇寄与(全部解けた場合)について見積もった計算結果があるので引用すると,以下のようになる.

  • ノバヤゼムリヤ 体積9500立方km (海面上昇への寄与:2.6cm)
  • フランツヨセフ 体積2272立方km (海面上昇への寄与:0.6cm)
  • セベルナヤゼムリャ 体積5500立方km (海面上昇への寄与:1.5cm)
  • 中国の氷河 体積5590立方km (海面上昇への寄与:1.5cm)
  • ネパールの氷河 体積481立方km (海面上昇への寄与:0.13cm)

記事では「1990年以降では,アラスカ州西部海岸およびカナダ北部の巨大な氷河の融解による海面上昇は年間0.32mm,グリンランドの融解による海面上昇は年間0.13mm」となっている.この数字を大きいとみるか小さいとみるか...問題は氷河の融解や海面上昇だけにあるわけではないから,地球政策研究所の警告そのものは意味のあることには違いない.原典のページには,氷河と気候変動についてのリンク集もあるので,一般向けに紹介するならお勧めのページだと思う.

3月13日(水)

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カナダ国営放送[CBC]は,NHKと同じように,一日のTV放送の終了時に国歌を放送している.実はこれ,私のお気に入りの番組(?)の一つ.“O Canada”が演奏されている数分の間,画面には水彩画調のアニメーションが流れ,(たぶん)西から東に向かって地面すれすれの高さで飛行しながら超高速でカナダ全土を巡るシーンが展開される.これが実に見ごたえがある.ビデオに撮って日本に持ち帰りたいくらい.しかし,早寝早起きをこころがけている私は,深夜2時ちかくに放映されるこの隠れた名作を見る機会は少ない.(右の絵クリックで動画再生)
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木を植えた男」というアニメーションがあって,絵・ストーリーともに私が好きなものの一つなのだが,CBCの“終了放送”のアニメはその作者であるフレデリック・バック氏の作風に非常によく似ている.こちらで“終了放送”を最初に見て以来,その作者もバック氏ではないかとずっと気にしていた.昨夜は,氷河の融解の記事に関連して調べ物をしていて久しぶりに夜更かししたので,“終了放送”を見ることになり,この課題を思い出し,あらためてネット検索してみた.「木を植えた男」に並んでバックの傑作と評される「大いなる河の流れ」という作品は,実はCBC製作だったことが判明.バック氏はそもそもCBCのグラフィック・アート部門に所属していたということも分かった.結局確証になる情報は得られなかったが,“終了放送”のアニメもバック氏の手によるものならいいのになあと思う.

カナダでは,自宅や個室に国旗を掲げているのをよくみかけるし,カエデの葉をモチーフにしたデザインがTV・ポスター・ファッション等の随所に用いられていて,その人気の高さを示している.日の丸ではとても同じようにはできないなあ,と,国としてのアイデンテティを自由にのびのびと表現できるカナダをうらやましく感じたりするleafwh.gif

極リーマン」出たかな?

3月14日(木)

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湿った雪.ここは寒冷乾燥気候なので,めったに“つらら”をみかけないのだが,今日はめずらしくビルの窓から“つらら”が垂れていた.

京都議定書で日本は温室効果ガスの90年比6%削減を義務づけられた.日本政府は,その具体策を示す「地球温暖化対策推進大綱案」を刷新して,家庭や職場で国民に実行を求める内容を明らかにしたらしい(朝日新聞の情報.環境省も首相官邸も,まだホームページには載せていない).

●家庭
 ・白熱灯を電球形蛍光灯に(70万〜140万トン)
 ・省エネ型電子レンジ普及(40万〜70万トン)
 ・節水シャワーヘッド普及(80万トン前後)
 ・同じ部屋での家族だんらん(340万〜470万トン)
 ・1日1時間、テレビ視聴を減らす(20万〜40万トン)
 ・シャワーを1日1分減らす(90万トン前後)
 ・炊飯ジャーの保温を止める(40万〜90万トン)
 ・歯磨き、洗顔中に水道水を止める(10万〜20万トン)
 ( )内は温室効果ガス削減見込み量でCO2換算トン数。予測方法によって幅が出る取り組みもある

上は朝日新聞の報道内容の一部だが,これで興味深いのは,白熱灯を電球形蛍光灯にすることが,思いの外効果が大きいことだ.1/8にも書いたように,こちらでは白熱球の使用頻度が非常に高く,今でも明かりをつけるたびに気にしていることでもある.

カナダは,京都議定書にとっては最大の敵ともいえる米国と共謀して,CO2の森林吸収分を排出削減だと見なす案を提案した国でもあり(実は日本もこの2カ国と共同戦線を組んで森林吸収分を主張している),実際にカナダで生活していても温暖化対策に積極的な動きはあまり感じられない.ゴミの分別収集も全くといってよいほど実施されておらず,公共交通機関よりも自家用車が主流の都市構造といい,先進国の環境対策全般という点ではあまり評価できない.

Asahi.comのコラムで「京都議定書国際政治の虚々実々」(船橋洋一)という面白い記事を見つけた.イタリアのジェノバで開かれたG8準備会議の席上でカナダの代表が「かつてCIA(米中央情報局)の国力評価官は、なぜカナダは地球温暖化対策に熱心なのか理解に苦しむ、温暖化が進めばカナダは農業適地も人口も倍増するから勝ち組になるのに、と言ったものだ。典型的旧思考だ。温暖化で地球がダメになってはみんな負け組だ」「カナダは京都議定書問題では、絶対前に出ず、目立たないように、が合言葉」と言ったという.コラムで船橋氏は「エネルギー・パイプライン企業と環境団体が正面からぶつかっている。下手に政府は動けない。」とカナダの事情を評している.もっとも,毎日のニュースで見ている限りでは,アンダーソンというカナダ連邦政府環境相は米国の説得工作を進めるなど,京都議定書に協力的であるようには見える.アメリカの独走の制止役として,今後もカナダに大いに期待したい.

カナダは氷河を抱えていることでもあるし,その融解分をCO2に換算して排出量に加算する,というのはどうだろう?

3月15日(金)

このところ同室のクリスはなんだか不機嫌でしかも不在が多く,Shaw教授も家で仕事をしていてあまり顔をみかけず,日本から来るメールも普段の半分以下ということで,人と話す機会が非常に少ない一週間だった.日本はもう春めいてきたというニュースだが,こちらはまだまだ氷点下.はやく春にならないかなあ.

Mountain Equipment Co-opというアウトドアショップに登録していたら,春夏シーズンのカタログが郵送されてきた.国際山岳年のロゴがしっかり印刷されていた.商用で用いられているのを見るのはこれが初めて

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